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無心について

深く考えずにできる、同じことの作業を繰り返し続けていると無心になって、意図しないところでものごとが考えられたり、閃きやアイデアが浮かんだり、またストレス解消にもなるような気がします。 たとえば私の場合その作業のひとつが「掃除」なのですが、結局何時間続けても飽きないのは、実は頭や心の中で整理されているから(したいから)、なんて思ってます。 その理由について心理的、生物学的、哲学的それぞれの方面からの構造を教えていただければと思います。

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回答No.11

お返事いただき恐縮です。本業はものつくりと思っていますが、生来の怠け者で、本業で食ってはいません。しかも、50を前にしてまた学生を始めてしまいました。 話題がせっかく面白い方向に進んでいるのにつまらない横槍が入り、ちょっと残念です。でも、そういう人生もあるのかと、そういう考え方の人もいるのかとちょっと学習。わたしの場合は、せっかく人がアドバイスという意識ではなく、楽しい会話に口をはさんでみたような気分なので。 わたしは、無心でなべ磨きをするのがすきです。またなべ磨きが実は一番無心になれる仕事です。 かつて動物占いがはやったときに、わたしの友人がこれはあたっていると言ったこと、洗濯機の水流のようなものを見ているのが好きということでした。没我して無心になれるのは人それぞれです。 人それぞれながら意味がなく何を獲得しようという野心もなく、何がしかの作業・動作に身をゆだねるのは、ゆだねることができ、それについて考えることは人間の人間たる証ではないかと思いいたりましいた。

frau
質問者

お礼

再びお越しいただいて嬉しく思います。 >横槍が入り 予測ですがどうせ捨てIDでしょう。ある方に似ています。別件で思い当たることがあるのですが、あまりにもくだらないのでほっておきましょう。 >50を前にしてまた学生を始めてしまいました 私も30にして、学生を再開しました。今の身分こそ、私の今の無心、かもしれません。 >無心でなべ磨きをするのがすきです 心も同時に磨いているのかもしれませんね。私にとっては掃除ですが、ピカピカに磨きあげ、少し汗をかくとこれだけでストレスの解消になります。あとは収納ですね。もっとも近藤典子さんのように機能的過ぎるのも逆に落ち着かないですが。 ご友人の水流のお話は興味深いです。洗濯機の中の渦巻きを見ていると吸い込まれそうで、確かに私も前にじーっと見ていたことがあります。でも目が回りそうでした(笑)。本当に、人それぞれです、大変興味深いです。 再回答ありがとうございました!

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その他の回答 (13)

  • yoyos
  • ベストアンサー率20% (76/372)
回答No.3

散漫な注意が、静まっている心の状態ですね。この先に、開放された意識の状態があると言えます。 ピカピカになるまで鍋磨きをしてスッキリするという方もいますし、書道、華道、武術など、ひとそれぞれ色々な方法で経験するのではないでしょうか。 ある意味、瞑想で言われている集中状態といえるのでしょうね。こういうのを求めて人は瞑想するのかも。 実際、冷静さもありながら閃きやアイディアも浮かびます。アルファ波がでているでしょう。瞑想の生理学という本に詳しくこういう状態について、心身の解説が書かれていましたよ。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532520029/qid=1117839444/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-2168449-8947559
frau
質問者

お礼

「>散漫な注意が」 テスト前になると、なぜか掃除や雑誌を読みたくなってしまう心理ってこういうことなのでしょう。 私の場合テスト前ではないのですから、いつも注意が散漫ということでしょうか(笑)。でもそれは確かに自覚しています。 その対象とするのは人それぞれですが、芸術家などは仕事としているのですから羨ましいことです。芸術のためのインスピレイションは、無意識からの恩恵を得てのことですが、「芸術」その行為と絶対的な相互関係あってのことですから。 スポーツ時に出るドーパミンの「味」を忘れられないから、ジョギングなどし続けたくなる、ということを聞いたことがあります。また歩くということは一種の瞑想状態になるそうですので、それもまた然りなのでしょうか。 参考になりました、ありがとうございました。

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  • fuy_ukky
  • ベストアンサー率21% (40/184)
回答No.2

作業療法というのを聞いたことがあります。 聞いたことがあるだけで、僕、詳しくないですm(_ _)m ネットで調べてみると、そんな感じかなと思いました。 「作業療法」で検索してみてください。

frau
質問者

お礼

「作業療法」は仰臥する「森田療法」とは対照的ですね。なるほど、閃きなどの無意識からのメッセージは療法に適していると思います。つまり森田療法のように「あるがまま」でも作業を繰り返しながらの「作業療法」でも、「一見考えずに考える」という姿勢は共通しています。 参考になりました。ありがとうございました。

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  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.1

哲学ではないですが、、、 浄土真宗では妙好人という人と近いかも知れません。 手仕事をする、決してアーティストではない人達の中で、こころがピュアで、信仰心が篤い人がいて、その方が、悟っていたりするわけです。 心と体は繋がっています。 子どもでも、運動能力が高い子どもが知性も優れているというケースも多いようです。 特に手は脳と直結していますから

frau
質問者

お礼

確かに足だけではなく手にもツボがありますね。ツボというとつい足の方を思い出してしまいます。 昔の人は下駄を履いてたから頭のいい人が多かった、と祖母が言っていたことが記憶に強く残ってます。 機械などなく手作業をするしかなかった時代の方が手を刺激することで頭が活性化されていたのではないでしょうか。 職人さんたちの仕上げた優れた技術や作品は、無心と繋がっているゆえんかもしれません。 「>心と体は繋がっています。」 まったく同感です。体(ハード)と心(ソフト)は一方なくしてはいずれも成り立ちません。 参考になりました。ありがとうございました。

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