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人はエレベーターに乗るとなぜ、すぐに入り口に向くの?
短歌です。 「満員のエレベーターに乗る人ら乗りては直ぐに入り口を向く」 真木 勉 中公文庫、「三十一文字(みそひともじ)のパレット」 俵 万智著から。 何でエレベーターに乗りこむと皆んな入り口に向きを変えるんでしょうね。 本来なら、心理学のカテゴリーで質問すべきなのですが、この疑問は、哲学で扱うことが出来ますか。 実は、哲学って何、て問われても答えられないのです。 ですから、こうした疑問が、哲学でも扱えるのかが分かれば、多少でも哲学について理解が深まるのではないか、と思ったのです。 哲学として取り上げることが出来る、出来ない、を。 また、その理由を伺いたいのです。 そして、「何で入り口に向くのか」の哲学的回答も。 そして、心理学の方面からの回答も伺いたいのですが。 どうぞよろしくお願いいたします。
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- SOLAR_RAY
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難しいことを考えずに、「エレベーターに乗って、みんなが入り口とは反対の方向に向いている」状況を仮に想像し、そういう状況を実際に感じてみましょう。
- kigurumi
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たびたびすいません kigurumiです。 ちとまちがっとった。 >哲学として取り上げることが出来る、出来ない、を。 >また、その理由を伺いたいのです。 に対応する返答じゃなかったですね。 えっと 哲学ってのは、普遍の真理を探し出すのが、そもそもの目的だったと思う。 同じ条件なのに結果が毎回違うってのは、哲学にならない。 普遍ってのは、条件に関係なく結果が常に同一なこと。 で、今回のことは、どの国に行っても、人間は同様の行動をとることから、共通のマナーだと思えます。 発展途上国に行ったことありますが、エレベータなかったので、どういう行動をするか、そっち方面は検証してませんが。 子供は関係なくエレベータで騒ぎますが、物心ついた頃には、教えられなくても、みんなと同じ方角を向くんじゃないかと。 ラブラブカップルだと、二人だけの世界なので、お互いを見詰め合うでしょうけど。つまり 他者がいないという認識なので、他者に配慮した行動を取らないんじゃないかと。 同じ行動を取らない例だと、電車に乗るとき。 地域性が出る。 すごい人数が電車待っていない地域だと、すぐに乗れるので、他者に配慮せず、電車が着たら近づいていってすっと乗る。 常に混雑している地域だと列に並ぶが、後から決められたルール。 だから人間の本能からする行動ではない。 昼間ですいているときは、並ばないし。 で、最初に書いたとおり、心理学というより、、、集団で生活する上で摩擦が起きないようにする集団内における行動じゃないかと。 他の動物も、順番を守ることで、他から「お前は後! 俺がしとめたんだから俺が食い終わってからなの」ってかみつかれないようにしているし。 人間も動物なので。
補足
「思考の土台にあるのが哲学」と捉えてみましたが、この回答を見て更に考えてみました。 思考の土台として哲学があるとしても、それは‘潜在意識’の中の事柄なのかもしれないと。 考える人は、無意識のうちに、哲学なる土台に立って思考しているのですね。 そして、その潜在意識を探るのが、‘哲学する’という作業なのかも?なんてことも。 今回のkigurumiさんの回答は、社会人としての人の行動についての分析であると受け止めましたが。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
kigurumiです。 <エレベーターに乗ると、どうしてみんな同じ方向を見て、かつランプの方をじっと見つめるのか> その説明を講義で聞いて「なるほど」って思った。 無意識にうちらは礼儀正しいことしてたんだって。 >小さな籠に閉じ込められた虫は、盛んに出ようともがきます。 >こんなことと関連付けて、考えてみていただけないでしょうか。 という言葉で脳からひっぱり出された内容は、学習性無力感。 虫はいいですよね。 学習の結果じゃなくて本能で動きますから。 小さくないんですが、うちのウサは(もう他界しちゃったけど)、ゲージが大嫌いで、出すまで「だせだせだせだせ」とモフモフゲージをカジって訴えてました。 で、食事中、カレーの皿の上にジャンプしてポチャンってして、「これは・・・どしたらいいの?」って困惑したことがあるので、それ以降食事中はサークルに入れてたら、、、、 サークルをくわえて、突進してきた・・・ サークルごとこっちに向かってきた。 その形相があまりにも怖かったので、サークルとっぱらったから それ以降は野良うさ。 野良だから自由で、夜中、パソコンのモニターの上にのぼり「じゃーーーんぷ」って人の腹の上に落下して遊んでました。 こいつは・・・・ 本能でやっているのだろうか、人の腹にジャンプすると「なにすんだ ごらぁぁ」って私が起きるので、学習の結果 毎晩やるようになったのだろうか??? >哲学として取り上げることが出来る、出来ない、を。 また、その理由を伺いたいのです。 哲学ってのは、学問全部を含むんですよ。 愛智のことで、智恵の美しさを堪能するのが哲学。 以前、解離性同一性障害についての本を読んだことがあるんですね。 上段と下段にみっちし文字が書かれており、まるで辞書。 だけど、すごくわかりやすくて「なるほどぉぉ」と思った。 で、この人医者か心理学者かな?ってプロフィール見たら、哲学者だった。 心理学者も医者でもわからないことを、この哲学者は紐解いた。 すっげーー って思いました。 アインシュタインも哲学者でもあったし、ダーウインだってそうでしょう。 ラマ・チャンドランの本なんてもろ哲学。(ちなみに脳の中の幽霊書いた脳科学の医者) リチャード・ドーキンスもそう。(動物行動学者) 最近私がはまっているyanni(音楽家)も哲学者でもあると思う。 だから全てをカバーするのが哲学。 人間の智恵の総称が哲学。 だから哲学者って、他にいくつも職業を持っていることが多い。 一種類の偏った知識じゃ偏った結果になっちゃう。 いろんな情報を吟味した上で、その中から適当な情報を抜き出し適応させる。 で、私は一種類の学問に精通はしていない。 けど、広く浅くで、UFO関連の本から脳科学の本まで ちびっとずつ読み漁る。 一つのことに精通していないってのはネックだが、そのことで得るものの方がでかいと感じる。 で、今回のエレベーターでやる人間の行動について、ザーッと脳というハードディスクをサーチした結果、以前受けた講義の内容がヒットした。 狭いところに入れられたら外に出たくなるって心理が働いているからじゃない。 礼儀として一斉に不文律のように一つの方向を向いている。 どでしょ? んーー じゃ 講義のテキストをコピーしてアップするわけにはいかないので、、、似たようなもので、これでどでしょ? http://plaza.rakuten.co.jp/joe3ma/diary/200907290001/
補足
再度の回答を無理強いしてしまってごめんなさい。でも快く?答えてくださって、ありがとうございます。 「ちとまちがっとった」も、拝見しましたが、とりあえずこの回答への感想を、書き込みます。 さすがはkigurumiさん。面白く読ませていただきました。 私のところにも、‘ウサ’ではないけれど同じ大きさの動物がいます。そして似たような行動をします。このレベルの生き物は本能+学習によって、行動するのではないでしょうか。その行動を見つめることで、そうではないかと私自身‘学習’しました。 「学習性無力感」の意味は分かりませんが、「礼儀正しい無視」に就いては、エレベーターの中に他人と一緒にいることが条件ということになるので、自分一人のときでも自然と入り口(出口)に向いちゃうんですけど、と言いたくなります。 でも他人と一緒の時には「礼儀正しい無視」という心理が無意識に働いているのだと、教えられました。この指摘は納得です。 もうひとつ疑問があります。 「狭いところに入れられたら外にでたくなる」心理と「礼儀正しい無視」とは関連付けられないように思えるのですが。 そして‘哲学’についてもkigurumiさんの考えから、次のように捉えてみようかと思います。 「全てをカバーする。人間の智慧の総称」以下のコメントから、思考の土台にあるのが‘哲学’であると。 次の回答の欄に飛びます。ありがとうございました。
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
>哲学って何 動物は本能と自らの経験によって学びますが、自分が出来ない(似ても いない)経験をした尊敬に値する人を目標にして自分なりの方法で自分 の殻を破ろうとします。殻の中は安全であるのですが窮屈に感じてきま す。もっと「よりよい生き方」となる輪郭をなぞりたくなります。哲学 は指針であったり、境界線のない「果て」とも言えるのかな。哲学は 「死の演習」ともいって、可能的死をいくつ思いつくかでもあると思います。 エレベーターの乗り降りを哲学的にですか!? 降りる観念?は降りる階層ボタンを押すことですでに作用と結果に集結 していて、言葉で示すのは不要で、次の目的行為はエレベーターが上昇 すれば自分が上を目指して上を見つめることしなくてよくて、ただ降り る方向を目指してドアを見つめるのが自然で無駄を省けているからです。 カニは横歩きするけど・・・。
補足
miko-desiさんにとっての哲学は、どのように生きるべきかを考えることである、と受け止めましたが? やっぱりこの問いは、‘哲学’できなかったか・・・・
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
<礼儀正しい無視>と呼ばれます。 無視は一般的によくないとされますが、良いとされる無視もある。 今回のようなエレベーター内で、みなが一斉に入り口を向くことが、回りに気を使った礼儀のある無視。 確か、、、人間行動学関連の講義で紹介されたような。
補足
kigurumiさん。やけに短い回答ですね。 小さな籠に閉じ込められた虫は、盛んに出ようともがきます。 こんなことと関連付けて、考えてみていただけないでしょうか。
- ga111
- ベストアンサー率26% (247/916)
ふっふっふ。ゴルゴ13は入ってくるかもしれない敵に背中を見せないのさ。
補足
でも、これじゃあ、エレベーターに乗ると誰でもゴルゴ13になっちゃうんですけど。 そういうもんなんでしょうか。
- -oju-
- ベストアンサー率37% (11/29)
高層ビルでも階段を使う、健康オタクの知人がいます。 エレベーターとは「手段」であり、「目的」ではないのでしょう。 上る・下りるまでの時間は、信号待ちや、ダウンロード待ちと同じく「待つだけ」の消極的な「止まった」ひとときです。 やるべきことは最低限の安全確保。そのへんの行動は他のみなさんの仰る通りだと思います。 こういった空白の時間。文明の発達と共に色々増えているんじゃないでしょうか。 エレベーターに乗ることで、人生を少し損していないか。 そりゃ言いすぎかな。 ※最近、ビジネスホテルのエレベーター内にCMが流れるテレビが設置されてるのを見かけます。かなり強力な広告効果ですな これわ。
お礼
目的ではなく手段。 そういえば‘道具’って言うものは手段として利用されることが圧倒的に多いですよね。 電車もバスも移動のための道具かぁ。 でもエレベーターとはなんか雰囲気が違いますね。 エレベーターの中のCMは見たことありませんが、絶対見ちゃうでしょうね。することがないから。 それでふと思い出したんですが、音声で‘お待たせしました’って言うのがありますが、あれ、むっとしませんか。 ありがとうございました。
ある程度一般的な回答は出ていると思いますが、もう少し深い理由があるのではないですか? 人間は、特にエレベーターのように閉鎖な空間(自分の行動が顕著に判ってしまう場所など)では、人と同じ向きを向きたがる習性があるように思います。一人が先に居てその空間を自分も後から共有しなければいけない場合、団体の中で同じ行動を取ろうとする心理や、あえて人と目を合わせない事で”敵意が無い意思”を表現する為だろうと思う訳ですがどうでしょうか? 一度ご友人等とエレベーターに乗って、自分が降りる階は友達に任せて自分は逆を向いていて下さい。本来は降りる事が次の動作なので出口を向こうとする事が一番大きな理由だと思いますが、それとは別に妙な居心地の悪さを感じるのではないでしょうか? あと、誰もが、今の階が大よそ把握できても、それでも階の表示を見上げたままだったりします。あれも他人との空間の共有方法を頭で探っている行為で、視線のやり場が無いからこそ無難な階の表示をみんな見つめたままだったりするのではないですか? やはり何かしら空間を他人と共有する上での、動物的な習性としての行動が加わっているように思われます。
お礼
甘口のカレールウで作るカレーに牛乳を少し加えると、コクが出て美味しくなります。 そんなコクのある回答ありがとうございます。 人と同じ向きを向きたがる習性とか、団体の中で同じ行動を取ろうとする心理とか、目を合わせないで、敵意が無いことを表現するとか、示唆に富んでいます。 ‘自分は逆を向いているときの居心地の悪さ’・・・とても興味深い心理状態です。 エレベーターの中では、人は動物。 理性は、動物的本能にはかなわないのですね。 新発見です。
- wankodan
- ベストアンサー率44% (90/203)
単純に出口(あるいは操作パネル)の方向を向いているだけ そしてそれが習慣になっているからでしょう 入り口と出口が違うエレベータを利用していたことがありますが 誰も入り口向きには乗っていませんでした
お礼
やっぱり、出口が分かっているからなんでしょうかね。 ありがとうございました。
- globef
- ベストアンサー率17% (1306/7306)
>人はエレベーターに乗るとなぜ、すぐに入り口に向くの? ・出口が入り口と同じなので ・入り口に階数表示、階数の案内があるのを読む為 ・景色が見えるようなスケルトン仕様の場合 入り口と別の向きを(外の景色)向いている人もいます。 ・秋葉原駅のエレベーターは、入り口と逆が開くので バラバラに向いています。
お礼
入り口と出口が逆だと、ばらばらに向くんですね。 非常に興味在る現象です。 ありがとうございました。
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お礼
実際に感じることはたぶん不可能なので、想像してみました。 なんか、気味が悪いですね。たぶん、ぞっとすることでしょう。 居た堪れずに次の階で降りたくなるのではないでしょうか。 頭の変な人達に囲まれてしまった、なんて恐怖を感じるかもしれません。 実はエレベーターには毎日何度か乗ります。 それで今日は、意識して乗ってみました。 そしたらなんとも感じないのです。 もすでに‘習慣化’しているのですね。 この問いかけは失敗だったようです。 哲学的思考に発展させてみたいという思惑(おもわく)があったのですが、どうやら無理があったようです。 これで締め切らせていただきます。 kigurumiさん、ごめんなさい。 SOLARRAYさん、ご忠告ありがとうございました。