ファウスト博士の亡霊
つぎの文章を読んで 哲学的なご所見を述べてください。
○ (ホムンクルスの世界観) ~~~~~~~~~~
ひとが人のたましひを尋ね求めるのは
わがたましひをいつくしむごとく 相手のたましひをうやまうためにと
そして そうではなく
たかぶりの心によって相手のたましひをおとしめようとしてとである。
けれどもなかには たましひをころそうとして近づくばあいがある。
かみのごとくいかなる者の下にも立つまいと心に決めたばあいである。
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☆ このような(末尾に言う)たましひが もし現実にあったとしたら どうか。
でも その毒麦を引っこ抜くことは人間の為すことではないと考えられています。
となりの麦をもいっしょに引き抜いてしまいかねないからだと。
穫り入れのときまで待てと。
ところが 近頃は この穫り入れの時が 延びた。あるいは もともと来ない。もともと来るか来ないかは 分からないものであった。と分かって来たかに思われる。
そこで ファウスト博士によるむしろメフィスト―フェレスごっこが始まったのではないか。
毒麦が自己を主張し始めた。わたしはわるくないのだと。わるいのも一興であると。
ホムンクルスは 文字通り小さく見られ落としめられる。おまえの出る幕ではないんだぞと。
悪魔にたましひを売ったというよりも 悪魔を自分の家来に従えたかたちを採るようになった。
何ものをも否定する精神を おのれの道具とするたましひ。
すべてを削除し削除しまくる人生を送ってやるのだと心に決めたもののようではありませんか?
ご所見をうかがいます。