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戦国時代の権力者の尊称
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こんにちは。 テレビの時代劇を見ていると、戦国大名は「親方様」と呼ばれていますね。時代考証はしているでしょうから、そうなんでしょうか?(俗称かもしれませんが) 部下は、下記のサイトによりますと、色々な序列があって一言ではいえないようですね http://homepage3.nifty.com/shingen-1103~han/my_homepage/index/about_sengoku/jidaikosho/sengoku_sosiki_shokusei/sengokujidai_sosiki_shokusei.htm
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武士同士が呼び合うときは「受領名」を使うのが一般的と思います。 例えば織田家では秀吉(豊臣秀吉)を呼ぶ場合は「筑前殿(当然、目上からは呼び捨てにされますが)」、柴田勝家は「修理亮」、明智光秀は「日向守」信長自体は「右府さま」とか「上総介」と呼ばれたかと。 また住んでる場所で呼ばれることもあり「古渡の若君」とか「清洲の殿」とか。 藩と言う概念は自分たちでは持っておらず、江戸期でも「尾張藩士」という言葉は使いません。 こういう場合「尾張家中の何の何がし」とか「牧野家家中の某」と名乗ります。
お礼
ありがとうございます 藩と言う概念が無かったというのは驚きでした。
戦国大名のうち幕府(この場合は足利氏)から「屋形号」を許された有力大名は「御屋形様」と呼ばれます。 そして妻は御簾中。 但し、これは自分の領内で使う言葉であり、他人の領内では失礼にあたりますから、他家の家臣の前で「うちの御屋形様は・・・」という敬称は使いません。 屋形号を許された大名の家臣は直垂に烏帽子の着用が許されました。 足利一門の有力大名は「御所様」と呼ばれます。 関東の「古河公方」など。 将軍家に対しては「上様」。 織田信長も晩年は「上様」と称されましたが。
お礼
ありがとうございます。 参考になりました
- ryuudan
- ベストアンサー率39% (252/638)
戦国大名の尊称としてはよく「お屋形様」(おやかたさま)が使われているのを見ます。「お館様」とも書くそうですが。 また、戦国大名に忠誠を誓う武将たちの呼称としては、「家臣」(かしん)・「郎党」(ろうとう)などではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。参考になりました
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ありがとうございます。紹介のサイトはおもしろいですね。