信長時代の生活様式

このQ&Aのポイント
  • 信長時代の生活様式とはどのようなものだったのでしょうか?布団や食事、お風呂など、日常生活の様子について教えてください。
  • 信長時代の生活様式について具体的な描写をしたい場合、どのような情報が必要なのでしょうか?布団の種類や食事の内容、お風呂の形式など、具体的な質問をお聞かせください。
  • 信長時代の生活様式に関するコツやポイントがあれば教えてください。どのような情報を集めれば生活様式をイメージしやすくなるのでしょうか?参考になる資料や情報源があれば教えてください。
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信長時代の生活様式

趣味でオリジナル小説を書いています。 描写をするのによくわからないので教えてください。 表向きと言うよりは奥向きの生活の様子です。 たとえば、どんな布団に寝ていたのでしょうか。 少し前?(平安?)まではゴザのようなものに、打ち掛けみたいな衣を掛けて寝ていましたよね。 信長の頃はどうなのでしょうか。 綿の布団はいつ頃から存在したのでしょうか。 食べ物は? 湯漬け、というのは有名ですが、普通はどういうものを食していたのでしょうか。 お風呂は? 今と同じようなお湯につかるものでしょうか? 五右衛門風呂は江戸時代ですよね。 湯気だけのサウナのような時代もありましたよね。 信長の時代は? 襖とか障子は普通に屋敷にあった時代ですか? 奥方などの衣類なども…… 時代劇などで見るセットは信用していいものでしょうか? ちょっと怪しい気がしたもので。 詳しいことを知っている方が居ましたらお願いします。 このほかにも珍しいお話をお聞かせください。 よろしくお願いします。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.1

信長の時代既に綿の栽培はされていましたがまだ生産は少なく一般に広く使用するまでには至っていなかったと思います。 上流社会では薄い綿布団くらいでしょう。 茶も貴重品で茶道は特権階級のステータスでした。 茶を許されるというのはある階級に達した事を意味するくらいでした。 従って日常の生活では白湯が普通で湯漬けとなります。 米飯は銀シャリではなく雑穀や刻み野菜入りでそれを雑炊にしていたのが普通です。 風呂は水をかぶるか冬は沸かし湯をかぶるくらいで湯につかるのは湯治で温泉に行った時くらいです。 一般に風呂というのはサウナのような蒸し風呂でした。 出陣中は大地に穴を掘り渋紙を敷いてそこへ沸かし湯を運び入れた即席の風呂を使用したといいます。 襖はまだなく、板戸です。 大体に紙は貴重品の時代でしたヵら。 繰り返し裏表を使用するのが普通でした。  衣類は綿製で絹製品はよほどの上流でないと使用できません。 紙子といって紙製のものもありました。 古着を大切に使用したので古着屋が多かった。 いづれにしても庶民と上流社会とはかなり事情が違いました。 時代劇のセットは時代考証のしっかりしたものはある程度信用しても良いでしょうが、それでも怪しいものがおおいのではないでしょうか? 照明は夜明けと共におきて日没には寝るので上流社会以外は必要なしでした。  灯油は油座の独占商品で、貴重品でした。 斉藤道三はもと油商人でしたが油を徳利に量り入れる時升から一滴もこぼさなかったという話があります。

megu-mama
質問者

お礼

貴重なお話をありがとうございます。 大変参考になります。 歴史は好きなのですが、なかなかこういった生活の面まで語られているものは少なく、資料集めにも苦労しています。 お米や油だけでなく、紙も貴重だったのですね。 絹も少ないとなると、信長も若い頃は結構質素な暮らしだったでしょうね。 織田家はまだ台頭していないわけですから。 やはりテレビは結構いい加減な気がし生ます(笑) 本当にありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.2

補足です。 上流社会と庶民の生活は懸絶していました。 農民は米を生産しても年貢として取り上げられ口に入るのは稀でした。  兵士らはそれでは戦争出来ませんから年貢で取り上げた米を支給されましたが調味料といえば塩、味噌位で、戦場には味噌玉という味噌を干して団子状にしたものや「ずいき」の茎を味噌煮し干して味噌を塗ったものを兵糧として持参し野戦食にしました。 都市生活者には「ひしお」という色々なものを塩漬け発酵させた醤油にあたる調味料もありました。 都市に生活する公家などは随分豊かな生活を送れたようで、今日残っている信長時代の料理本でも伺えます。 信長が始めて上京した時、時の足利将軍が接待しましたが出された食事がまずいと2度取り替えましたが3度めの食事が気に入りました。 料理人が後で語ったのは、最初は京都の上流社会向けの味付けだったが、まずいというので塩味をきかせて出したがそれも気に入らず、ついに田舎味の味付けでだしたら気に入った、信長は田舎者だと評したといいます。 しかしその信長も安土に家康を接待した時には、明智光秀の準備した料理にイチャモンをつけるようになったのですから習慣というものは変化するものです。

megu-mama
質問者

お礼

再び…… ありがとうございます。 >「ひしお」という色々なものを塩漬け発酵させた醤油にあたる調味料もありました 味噌は当時から有り、醤油はまだ完全ではないのですね。 こうなると、いつ登場したのか興味がわきます。 情報も少ない時代では、味でさえ地元というか育った家の味……という事になりますね。 質問の趣旨は放り出して、何を聞いても興味深く面白いです。 ありがとうございます。 いろいろ教えて頂けて嬉しいです。

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