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皆さん、嘘についてどう考えていますか?
タイトルどおりですが、「嘘をつく」ことに対してどう思っていますか? 私は、宗教や信念があるわけではないのですが、「嘘をつく」ことに異常なほど、嫌悪感があります。(嘘に対して「苦い」思い出があるのが原因です。) ですので、自分では他人に「嘘」をつかないようにしています。その為、自分で自分を縛り、気難しくなり、追い込み、精神的に参ってしまいます。いわゆる「堅物」です。他の人からすると、「肩の力を抜いてもいいんじゃない?」と思われるでしょうが、今までがこうでしたので、なかなか自分に正直になれません。 よい「嘘」、悪い「嘘」など、嘘にもさまざまな嘘があると思います。考え方を変えたいので、皆さんの意見を教えてください。
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ある種の毒薬があるときは他に例を見ないほど特効薬としての効果を発揮する.....ことはよく知られています。ウソもこれと似たようなものではないでしょうか。 たしかに、ウソを言うのは泥棒の始まり.....なんて昔から言いますし、It's a sin to tell a lie.....なんて歌もあります。 しかし、ウソを言うのはいけないこと、ウソをつかないのは正しいこと.......こんな考え方はもちろん間違ってはいないものの、あまりにも近視的なというか、視野の狭い倫理感ではないかとわたしは考えます。 とにかくこの社会で暮らし、人と接し、円滑にすり合わせて生きていくには、とにかく「思いやり」こそがなによりも大切なことだと思います。話す相手にも、話の中に登場する第三者にも、いえ、自分自身に対しても、常に心を配って、傷つけないようにしなくてはなないということです。 しかし、そこにウソというものが存在しなかったら、はたして話す相手にも、第三者にも、ご自分にも、思いやりを尽くしたと言えるでしょうか。 たとえ芯からの思いやりの心を持っていたとしても、心の中で思っていることをそのまま相手に伝えてしまったら、それしか方法がなかったら、いくら思いやりの心がその背後にあっても、結果として相手を、第三者を、そしてご自分を傷つけてしまいやすいはずです。 この世の中、そういうわけですから、会話や行動のすべてにわたって、思いやりを与えたいがためにウソという会話法が存在する.....と言ってしまってもいいのではないかと思います。 これがつまりウソも方便、つまり、ウソそのものには善悪があるわけではなく、要は使い方次第というわではないかと思うのです。 ご質問者様は「ウソをつくことに異常なほどの嫌悪感を持たれ、他人にウソをつかないようにしています」とおっしゃりながらも、「自分で自分を縛り、気難しくなり、追い込み、精神的に参ってしまいます」とおっしゃっている。つまり、間違いなく正しいことをなさっているのに、どうして悩まなくてはならないのでしょうか。 「嘘に対して苦い思い出があるのが原因です」とおっしゃっていますが、たぶん、だからウソは悪いこと....と短絡的な強迫観念として信じ込んでしまったところにこうした食い違いが生じているのではないでしょうか。 もちろんウソのつき方によっては失敗もしますし、人生を大きく狂わせてしまうこともある。また他人を傷つけてしまうことも多いものです。 でも、それは、ウソが悪いことだからでなく、正しく使われなかっただけのことではないてしょうか。それは単に、クルマは便利な乗り物だが、運転を誤れば....ということと変わらない、そこのところがいまひとつご理解できていないように思えます。 ものごと良いことも悪いこともすべて存在するだけの理由があるのだということ。もっと視野を広げて、清濁合わせ飲むような、もっとゆったりした考え方をなさってはいかがでしょうか。 ウソをつけないことで「堅物」になっているのではなく、先に、モノの捕らえ方、考え方といった面で一本気過ぎる「堅物」でいらっしゃるから、ウソを罪悪視なさっているのだと思います。上手に使われるウソも存在しますし、それは「悪いこと」ではないのです。
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- yu-taro
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こんばんは。 私もかつては嘘をつくことはどんな理由があっでも良くないと思ってました。 でも、嘘の中でも人を楽しませる嘘や夢を持たせる嘘はあってもよいなと思うようになりました。 女性との雑談でも、嘘だと思っていてもかわいいとか誉めるととても喜んでくれたりします(^^; こういうような嘘はお互いに嘘だと分かっていても楽しいもので場も和みます。 人を誉めるときには、良いところを見つけそれを本当のように誉める嘘も良いものです。 人を指導や指示するときに、誉めて指示するのと叱って命令して指示するのとでは同じ結果を得たとしても、どちらがお互いに気持ち良いでしょうか。 言葉は悪いかもしれませんが、人をおだてて動かす方がお互いに楽しくできるというものです。 悪い嘘は人を騙して陥れ、相手を不幸にすることです。
- hiro-2005
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相手を傷つけないための嘘というものもありますよね。 病気で悩んでいる人の顔色が悪いからといって、正直に「顔色が悪い」と言ってしまうとよけいに本人が落ち込んでしまうことがあります。 私も久しぶりに会った友人に「老けたね」と言われるより(本当は老けたに決まってるけど)「変わらないね」と言われて「あなたもね」返せるような「嘘」が、その後の会話や関係をスムーズに運んでくれるという経験があります。 また、こんな美しい景色は見たことがないだろうと、お膳立てをしてくれた彼や夫に対して、実は前に来たことがあったとしても「うわー!こんないいところ初めて!」と「嘘」をつくこともありました。 互いの信頼を損なうような嘘はダメですが、お互いの心を気遣うゆえの嘘は、ある程度必要ではないかと思います。 相手の心や立場を思いやり、優しさゆえに発せられる言葉や態度が「事実」と違っていても、「真実」には近いのではないかと思っています。 でも、一番大事なのは、自分に正直だということだと思いますよ。 そのために自分自身が辛い思いをしても、自分には嘘を突き通せないでしょう。(自分を偽り続けることのほうが結局は辛い。) 自分に嘘をつかず、あるがままの自分を受け入れて愛すること。(ダメな部分も) 完璧じゃなくてもいいじゃないか、と肩の力を抜いてみると、まわりの風景(今まで嘘にまみれているようで嫌悪していたもの)も違って見えると思います。 完璧じゃないからいとおしい、という気持ちも大事にしたいですね。
お礼
回答、ありがとうございます。 「嘘」をつかないと、自負していましたが、自分自身に「嘘」をついていたことに気が付きました。自分の事が嫌いで、何年間も虚勢を張って生きていました。 やっと、肩の力を抜くという意味が分かってきたような気がします。ありがとうございます。
私も質問者の方と同じで、嘘をつけないタイプです。 この場合、多少嘘をついたほうがいいと思うときでも つい本当の事を言ってしまいます。逆に私は、その方が楽なのです。相手もこの人は嘘をつかない人だと思って信頼してくれますし、嘘をつくと、どうしてもどこか、その話は、しらじらしく聞こえるので、カンのいい人からは、ばれますしね。私も、結構人の嘘をなんとなく見破ってしまうので、そんな人と真剣にお付き合いしたいと思わなくなります。もちろん、まったくのジョークで、ふざける嘘なら、いいと思います。相手を傷つけない範囲でなら、そういう罪のない嘘がうまい人には感心します。
お礼
回答、ありがとうございます。 私も嘘をつかない生き方方が、自分にとって楽でした。だけど、相手を思いやる気持ちが足りなかったように思います。正直に生きているつもりが、曲がった視点で世の中をみていたことが分かりました。 「罪のない嘘」いい言葉ですね。
- nemutaiazarasi
- ベストアンサー率25% (777/3052)
嘘も方便と申します。 私は質問者さんと反対で結構つきますね(笑) 例えば体重やスリーサイズのの自己申告の数値とか(太いのでつい・・・) 過去の付き合った人数とか(相手にとって必要なのは今とこれからの私たちなのに済んだ過去をそんななにからかにかで正確に言う必要もないだろうと思うので) 嘘を言っても相手・周りに迷惑にならない嘘なら結構ついてます。 またつき通せることしか嘘は言いません。 ですからささないことが多いですね・・・ 重大事項で嘘は絶対に許せませんが、笑って許せる事なら「方便になる」と勝手に解釈しております。
- 1112
- ベストアンサー率22% (716/3114)
そうですねヤハリ人を、傷つける嘘はいけませんが 時には、「人を傷つけない嘘」もあると思いますよ 補足ですが僕も、AozoraKanpaiさんと類似する質問を しましたのでこちらもご参考の程を・・・
お礼
回答ありがとうございます。 回答していただいたように、「嘘」というものを「短絡的な強迫観念」として受け止めていました。 自分でも感じ取れるほど、視野が狭く、物事に対して、二者択一的な考えで受け止めていました。何年間も、もやもやと悩み続けていたことでしたので、頭のなかが、すっきりとしました。ありがとうございました。