• ベストアンサー

進化論が正しい時

threetreeの回答

回答No.17

ちょっと質問者さんの望むものとは違う回答になってしまうかもしれませんが、現在の進化論の考え方によると、「人類が滅んだとすれば、それは環境に「適応」できなかった為だ。」ということになると思います。それ以上でも、それ以下でもなく。 もし進化論に興味をお持ちならば、「進化と人間行動 長谷川寿一 長谷川眞理子 共著 東京大学出版会 発行」をお勧めします。進化論の考え方について分かりやすく書いてありますよ。

noname#34252
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 質問とは別と考えていただいてもよいのですが、疑問がありまして「自然淘汰は必然なのか?」という問題です。 「そんなの当たり前」と考える人達も多いようなのですが、私としては学ぶほどわからなくなってしまった所です。 私的には副題になる所です。

noname#34252
質問者

補足

. 皆様ありがとうございました。 .

関連するQ&A

  • 進化論

    私は、大学の理系の学部を卒業しましたが 生物系ではないので進化論は、やっていません。 高校でもやった覚えはありません。 アメリカでは、義務教育に進化論が入っているのでしょうか。 最近の、放射線事故で分かった人もいると思いますが、 進化論は、実験不能なので化石の年代測定が誤っているだけ で、崩壊してしまう脆い理論だと思います。 ここまでは、科学の疑問でしたが わざわざ、哲学カテゴリで質問しているのは 進化論という理論自体が人間にとって都合の 悪い理論だと思うからです。 自然淘汰などを主張するならば、人類より 現代の地球に適した生物や人類より優れた 生物、人類より賢い生物が現れたら、 地球の支配権(?)をその生物に譲り渡すということでしょうか。 (私は、それでもいいですが) 私には、キリスト教的な人間だけが特別の存在である という理論のほうが受け入れやすいですが。 アメリカでしつこく、進化論が正しいと主張している人は 何がしたいのでしょうか。

  • これは進化論ではないのでしょうか?

    これは進化論ではないのでしょうか? マタイ七章にこうあります「よい木はよい実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。よい木が悪い実をならせることは出来ないし、また、悪い木がよい実をならせることもできません。よい実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」 ヨハネ十五章にはイエスをぶどうの木にたとえた同じような記述があります。このように聖書にも存在に有効な性質と無効または有害な性質を神が選び 存続を決定するととれる記載があります(ゆにこ説) よい木というのは存在性のことで 悪い木というのは存在できない性質のことです。これは進化論で言う自然淘汰ということではないでしょうか。 進化論を否定してきて ようやく認め始めたキリスト教ですが 僕にはこれは進化論に見えます つまり進化論も聖書から出て来たのではないでしょうか と思うのですが?

  • 進化論について

    進化論の正しさを証明するものに種のDNA比較があります これをするとなぜ進化論が正しいことになるのかが分かりません どなたか教えてください

  • 進化論と創造論

    こんにちは。 私はクリスチャンです。 日本には進化論を否定する創造論者は居るのでしょうか? 私は現在の人間が今に至るまでのプロセスが進化論が伝える様なものであったのか、創造論者が伝える様な6日間で世界は造られ~という過程であったのかに対して明確な考えを持っていません。 しかし、私にとってそれらはあまり重要な事ではなく、進化という過程を経たにしろ土からいきなり人間として造られたにしろとにかく神が人を造ったという所に意味を感じています。 そんな私から見て、ムキになって創造論者と進化論者が争っている姿がよく理解できないのです。 私は聖書は真実/真理の書である事は疑いの余地無く信じています。でもそれが形而下的意味での事実の書であるか否かは解りません。私にとって形而下的事実と真実/真理は必ずしも同じではないからです。 神が人間を造った。これは事実です。この事実さえ解っていればその過程が1日もかからずに造られたのか進化論が伝える様な過程を経て造られたのか、はたまた全く別の過程であったのかはあまり重要ではないというのが私の考えです。 聖書に書かれている様に、愚か者は何をしても神を侮りますし、進化論者相手に創造論を証明できる方法がある様にも思えません。 つまり進化論者に創造論を主張する事自体が私から見てとてもナンセンスです。 そんな私から見て創造論者の方に一つの疑問があります。 「創造論が破れ、進化論が決定的な証拠を得たとしたら、あなたの信仰は揺らぐのか?」と。 もし創造論者の方がいらっしゃいましたら、私の考えに対するご意見と、上記の私の疑問にお答え頂けると幸いです。 よろしくお願い致します。

  • 「変化論」でなく、「進化論」と呼ばれるわけは?

    進化論について、非常に初歩的なことがわからなくなってしまいましたので、教えてください。 「進化論」は、遺伝子の突然変異と自然淘汰により、生物の進化が進んだという考え方だと思うのですが、もし、そうだとすると、「進化論」は、「生物の性質が変化すること」、すなわち、「様々な多様な生物が発生すること」の説明にはなっていますが、「生物が進化する」ことの説明にはなっていないのではないでしょうか? 「変化」という言葉には、「方向性」の意味は含まれていませんが、「進化」には、「より高度な方向へ向かっての変化」というような方向性の意味が含まれていると思います。 「進化」という言葉の意味をそのように考えると、「進化論」は、生物種が「変化」する理由の説明にはなりますが、「進化」する説明にはならない、すなわち、「生物が高度化する説明」にはならないのではないでしょうか? 何故なら、自然淘汰された種と自然淘汰されなかった種があった場合、後者が前者より「高度」であるという根拠は全くないからです。例えば、「マンモス」が淘汰され、「みみず」が未だに淘汰されていないからと言って、「みみず」の方が「マンモス」より高度だとは言えないからです。 従って、「進化論」は、本当は「変化論」と呼ぶべきなのではないでしょうか?

  • 進化論について

    質問ですが、 人類の進化論には、アフリカ起源と各地域バラバラに起こった?という説があるようですが、アフリカ起源の方がより有力な説だと聞きました。 それはなぜなのでしょうか? 創造論ではなく、アフリカ起源の進化論を、無知の私でも分かるように教えていただけないでしょうか? 宜しくお願いします。

  • 【ダーウィンの進化論でダーウィンが言った「進化する

    【ダーウィンの進化論でダーウィンが言った「進化する種こそが生きる種である」の人間に限定すると人間の種の進化って何だと思いますか?】 今ならスマートフォンが使いこなせること? すでにインターネットに取り残されて、PCも使いこなせなくて、スマホも拒絶して電話機能だけで良いと言っている人は3ステージほど人間の進化に取り残された死の種ってことですか? それともダーウィンが言いたかった種の進化ってこういう意味ではない?

  • ダーウィンの進化論

    ダーウィンの進化論が、100%正しいと思っていない方、 独自の理論を教えてください。 現在の生物が存在しているのは、どういう課程があったかとか、 どうやって生物が、そもそも誕生したのかなど。 例えば、美しい花に擬態しているカマキリは、本当に進化の結果でしょうか? 毒蛇に似せて生きている無毒のへびは、ほんとうに意図的に(無意識ですが)そうなったのでしょうか? あれらは、知的生命体の生み出した生物だと思います。 そもそも、地球上の生物は本当に進化したのでしょうか? パソコンだって、進化しています。古いPCは新しいPCと似ていて、 これが土に埋もれているなら、生物の化石のような進化を感じるでしょう。 他の物も同じです。生物も、新しく作り変えられているかもしれません。 天変地異で絶滅した前後に、似た種の変化形を作ったかもしれません。 無数の種が生息する中で、この2000年内で、 ただの1種も、進化の変化が見えた生物を知りません。 あれば教えてください。紀元前1年の時には、水かきがあったのに、 ある子孫からは、それが消えた! みたいな。 何万年もかかる進化かもしれませんが、これだけ種がいるのなら、 これだけ、人類が地球環境を急変させたのなら、何か変化した生物がいてもいい気がします。 自然が減ってきたから、ぶら下がらないで鳥のような巣を作るコウモリが見られた!とか。 内容は、非常にくだらないものかもしれません。 真剣に取られる方のみ、ご回答よろしくお願いします。

  • ダーウィンの進化論はラマルクの進化論とは違います

    ダーウィンの進化論は、進化の主役は自然にあり、それを「自然選択」といって、これはデカルトに始まる機械論的世界観によるものですので、目的がありません、偶然により進化します。 それに対してラマルクの進化論は彼の「動物哲学」で述べられているもので、キリンの首が長いのは、高いところのエサを食べようとして意志し、首を伸ばそうとして首が長くなったと言いました。 それを「獲得形質の遺伝」と言っています。 ところが、どなたか、首を伸ばして高いところのエサを食べるのをダーウィンの進化論と同一視して論じる人がいます。 でも、ダーウィンはそんなことは言っていません。 自然が選択して、たまたま首の長いキリンが生まれて、それが環境に適応した結果、首の長いキリンが種を増やした、と言っているだけです。 19世紀の末、英国のハーバート・スペンサーは「社会進化論」で、自然界には生存競争があり、その生存競争によって種は「淘汰」される、そして「淘汰」を生きぬいたものだけが生き残る、と言いましたが、それもダーウィンの進化論とは違うものでした。 19世紀の英国による世界制覇を合理化・正当化するためと、当時の英国の「進歩思想」、歴史は進歩発展するという思想に基づくもので、ダーウィンの進化論とは似てもつかないものでした。 ダーウィンは自然界に「生存競争」があるなんて言っていませんでした。 だから「自然淘汰」と訳していますが、正式には「自然選択」です。 それに「進化」と言っていますが、どちらかといえば「変化」です。 「進化」というと、進歩発展を連想しますが、ダーウィンは環境の変化に応じて、種も変化すると言っているだけです。 自然が進化のイニシアチヴを握っている、という意味で。 確認質問です。 間違っていますか?

  • キリスト教では進化論は受け入れられてしますか?

    キリスト教では、猿から人類に進化したという進化論は 受け入れられているのでしょうか? アダムやイブの話などと矛盾します。 よろしくお願いします。