• 締切済み

人生ってTSUTAYAで借りるビデオみたいだ・・・。

ビデオを借りて(この世に生まれて)、ビデオを見て楽しんで(人生を楽しんで)、終わったら返しに行く(死ぬ)。色々なビデオ(人生)があって、人それぞれ。 なんとなくそう思いました。皆さんにとって人生って何ですか?教えてください。(漠然としていてすいません、でも真面目です)

みんなの回答

  • freeway55
  • ベストアンサー率34% (67/193)
回答No.13

死ぬまでの間の暇つぶしですね。 ビデオとまったく同じです。暇つぶし。 同じことばかりじゃ飽きるから、いろいろ見たり聞いたり食べたり・・・。 ビデオも、同じものだけを繰り返しは見ませんから。

noname#9783
noname#9783
回答No.12

私見ですが 人生=模範解答のない答え合わせ うーん、俺の人生、赤点かも・・・(笑)。

noname#11474
noname#11474
回答No.11

「私」を主人公とする物語だと思います。 (間違いなく「私」が作者ではない。)

  • kobe-kun
  • ベストアンサー率53% (53/100)
回答No.10

> 色々なビデオ(人生)があって、人それぞれ。 年を重ねるほどに、「一生は短い!」と言う思いは、実感させられますねぇ。 だからこそ、出来るだけの努力をし、悔いのないように生きてください。 > 皆さんにとって人生って何ですか? 偶然に生まれて来た(少なくとも本人の意思ではない)と、思っているので、 自分と世の中にとって、【 自分の出来る、意味の有る生き方は何か? 】を、 日々考えながら、可能な限り最善と思える生き方をすること。

回答No.9

 貴方の「虚無にとりつかれそうな」状況は、人それぞれ 程度の差は有るでしょうが、このような漠然とした虚無感 (それが、清清しい時さえあります)に襲われ、妙な気持ちになったことが有るようです。 だから、当たり前なのですが、この虚無感が、長々と継続すると、最も恐ろしい 「うつ病」になり、最終的に確実に「自殺」に到達するそ うです。 そういうわけで、ちょっと心配しています。  「人生」てのは、やはり「その人」だけの、他人には本 当の事など解らない「特別」なものです。  私は医者に「うつ病」寸前という診断を突きつけられた 時に「この自分の時間こそ、自分に命の続く限り自由に、 自由でいたいから精一杯有意義に使うべき貴重なものであ り、お金では買えない大切なものだ。何故、俺が死ななき ゃいけないんだ。馬鹿馬鹿しい」と考え、虚無感に襲われ そうになる度に、相当に苦心して「お呪い」のように、こ の考えを頭の中で繰り返していました。 結局、皆さん誰 もが、ちょいとワイルドに「精神的過激性」を失っては、 やっていけない「現代社会」と付き合う「運命」なので す。「運命」なのですね。「運命」です。「運命」という言葉も、「お呪い」です。 理屈ではなく「お呪い」を唱 えてバカになってしまう方が気楽ですよ。 仏教、特に日 蓮正宗も推奨している「方便品第二」は、私にとては最高 のお呪いです。(「お呪い」では、ちょっと失敬ですが)

回答No.8

非常に示唆的なたとえ話です。でも、僕はこう考えた方がもっと面白くなるような気がします。 何かに借りてこられて(生まれて)、何かに見られて(我々が生きている状態)、何かに返される(死ぬ) そうすると、自己と世界を分られる。「何か」というのはこの世の存在意義になります。「何か」が解れば、人は何のために生きるかが解ると言うことです。

  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.7

面白いご質問ですね(笑)。 確かに人生はビデオ(映像)に比喩できます。それは「ドラマ」であるということにおいて。でも他の回答者の方々がおっしゃるように、したいときに巻き戻しもできないし早送りもできません。♪したいとき~…それは「後悔」するとき~♪(笑)一時停止…、これはまあある意味、意図的にできるかもしれない。まあ今の私の人生で例えられますね。何もかもが「停滞」していますから(笑)。 しかし「内容」でいえば、それこそ多ジャンルの無限のストーリーの要素があるでしょう。「ある程度の」脚本作成も演出も主演も自分でできます。チャップリンみたいに。 編集は映した後からできることが可能です。その編集とは主観とか思い込み、心の領域で行う作業ですから(まあ、本来編集とはそのようなものですが)。あるときは悲劇はそれほどひどい悲劇ではなく、むしろ喜劇となり、喜劇も考えようによっては惨劇にもなりうる性質を秘めています(二律背反の法則にのっとれば、悲劇と悲劇は紙一重です)。それは「編集」しだいで「ジャンル」さえ変化するダイナミズムでしょう。自分の作品世界に病的にすらこだわる監督が(たとえばキューブリックなどが)「編集」に固執し、決して他人に任せられないにように…。 それがメジャーであってもB級であっても「観客」があれば「人生」も「映画」のようになる。例えば小さな映画館でしか上映されないような小品でも、観客がいること(もちろんいなくても)、それは映画として収まる。一人にでも感じられれば、「映画」は「映画」として、そして「人生」は「映画のような人生」としてまなざされる。観客数を意識しない小粋な作品もあれば、メジャーを目指しているのによい評価に繋がらない作品もある。一本の作品が人の個性のようだとすれば、そこに訪れる観客の人生もまた同じように存在し、その人生が「映画のよう」と比喩されることもある。 悲劇も喜劇も、上手に書ける脚本家や演出家にピックアップされれば芸術へと昇華する。しかし映画は嘘で塗り固めただけの世界ではない。その「虚構」も、有機的な人生を基盤とせずにはいられないから。「物語」が虚構であっても、その世界は人が想像しうるすべての世界が集約されている。それを物語にする脚本家も演じる役者も、人間である。その物語の基盤とするものはフィクションでもノンフィクションでも「物語の成立」に対しては自由自在である。芸術の方で、凡庸な人生からイマジネーションを与えられるときのほうが多いだろう。凡人はただの観客ではなく、かつ専門的な世界のためのものではない。 波乱万丈でないと生きている実感がわかないという、平凡な幸福に退屈する人もいるでしょう。そのとき彼もしくは彼女にとっては、そのフィクションはその人にとってのノンフィクションになります。また普通では「ヘンな映画」「不可解な映画」でも「カルト」ともなります。つまりは観客がいればどんな「劇」も成り立つということでしょう。誰も見てくれないとき…でも人生には自分という観客もいます。そして「共に」俯瞰して見れば、隣には「神」という観客もいます。 映画評論家の故淀川長治さんは「自分は映画がないととっくに死んでた」とおっしゃっていました。推測ですが、死にたいくらいの現実を映画が救ってれたという意味かもしれず、また死にたいくらい映画が好きという意味かもしれません。いずれにしてもこの方は、ファンタジーの世界と、評論家としての現実世界との扉を、その虚構世界も現実世界の境界を見失うことなく、上手に行き来してきたお人でした。 ある夢がフィルムに「投影」され、それが別の誰かの夢の「投影」のためのツールとなる。だから映画という媒体は素晴らしい。上手な映画鑑賞とは、そのような似たりよったりの現実世界と夢世界とを「同一化」することなく、適度な距離を保ちつつ「投影」できる見方なのではないでしょうか。しかもその趣味を生涯の職業として昇華できた、淀川さんは本当に「幸福な人」でした。 巨匠フェディリコ・フェリーニは「映画は多きなベットで皆で見る夢だ」と言いました。私はこれは「遺言」であるとも思っています。これはビデオ時代への批判ともとれますから。 とはいえ、無意識の世界(=眠りで見る夢の世界)は底辺で皆と共有しているように、共通の時間枠の中でひとつの虚構の物語を、皆で生身の実感と共に共有し、感動という共通の味わいを深く感じられるのは、「映画」という媒体の恩恵でしょう。 ネット世界に時に孤独を癒すリンクを求めるように、映画も同様に人とのリンクのためのツールであり、覚醒しながら見る夢なのでしょう。フェリーニのその遺言は、便利さで失いつつある、娯楽に伴うプラスαの意味を残していたのかもしれません。 だから…デートで映画に行くのはもちろん素敵なことですが、独りで行くのも決して恥ずかしいことではありません(笑)。 ここでいきなり心理学ですが(笑)巻き戻しということで連想したことがあります。 トラウマ療法では「巻き戻し法」という方法があります。トラウマが生じた事件までの記憶の映像を自ら巻き戻す。それがどんな理論で、癒しへつながるのか詳しいことはわかりませんが、巻き戻すという作業に癒しが本当にあるのならば、現実は巻き戻しできないところに意味があるのではないかと思いました。また形而上的な説ですが、意図的にはできない「巻き戻し」が強制的?自動的?にされるときが「死ぬ瞬間」なのだそうです。「走馬灯のように人生が思い出されて」とは、臨死体験した人の定番体験です(これはビデオなんか比較にならないほど速い巻き戻しですよね)。神様は死にゆく人にその人のそれまでの人生を振りかえさせるんだそうです。で、みせられた本人はすごい「恥」を感じさせられるらしいです。これこそ神の「罰」なんでしょうね。臨死体験はないけれど、この瞬間こそ本当の地獄なのではないかと思います。(ビデオデッキはビデオが最後にくると自動的に巻き戻さししますよね。この瞬間もビデオデッキと同じなのかもしれない)。やはり神様は観客…それもすべてのドラマを厳しくそして優しく見つめる、観客であり、演出家であり、そして最後の評論家でもあるのでしょう。 心の理論でいえば、そのように巻き戻すことができる。記憶があって人生があると思いますが、テープが上書きできるように、人生もそのように可能ならと。これは切なる個人的な願いですが。 そうだ、TUTAYAにビデオ返しにいかなければ!ハー、面倒…「現実」では「延滞料金」がついてしまいます。ああ「夢」から覚めたあとの虚しさよ(笑)。

  • sinfonia
  • ベストアンサー率42% (53/124)
回答No.6

似て非なる意見を持つものです。 ビデオ的な感覚、私もあるんです。 特に私は無宗教ですが、死んだら一生分の自分の映像が見れたり するのかなぁ、なんて考えたりします。 妄想というわけではなくて、その時に、「こんなもんかよ」とか 思いたくないなぁって。 素晴らしい人生にはならないかもしれないけど、せめて「よく やったわ」と思える人生にしたいもんだと考えたりします。 誰かその映像を覗き見してて、「プッ」とか言われたら嫌だし (十分「プッ」な人生ですが…まだまだこれから)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

tsutayaのテープは、的を射てますね。世界で60億巻のテープが走っているんですね。死んでテープを巻き戻してプレーバックしたときに、この人生は合格と思えるなら80年の人生に意味がありますね。しかしこの人生では不合格となれば、再度やりなおしですね。映画にもランクがあるように人生の結果にもランクがあるんですね。だからそれを永遠に繰り返しているんです。それが人生ですよ。カルマというのは、前の人生での不足分を補うという意味ですね。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.4

ビデオとの最大の違いは、未来が決定されていない事じゃないかな?  多分決定事項ではないと思うんだよね。 ビデオテープみたいに巻き戻しは出来るかもね。 でも巻き戻されても、本人は気づかないでしょうね。 それはビデオの役者が巻き戻しに気づかないのと同じ

関連するQ&A

  • 人生について

    みなさんは一生一度きりの人生、何をして過ごしたいですか?得をするような生き方、考え方ってありますか?誰しも楽しく、幸せに、やりたいように、思うように生きたいですよね。誰にでも欲望がありますから。 死ぬことは死んだ人にしかわからない、死んだときにはもう意識がなくわからない状態です。この世に存在するものを見たり感じたりできなくなります。死ぬってどういうことですか? 一回、一度しか人生を最高に旅できません、味わえません。誰にでも必ず死が待っています。死んだら、生前に自分を見ていてくれた人に記憶として残るはずです。この世に存在していた、生前はこういう人でこうだったよねと話が出ます。それだけですね。あなたは祖父、祖母に見守られているといいますが、魂?が極楽浄土に行き、そこで見守るのですか? 他に与える影響力のない凡人は平凡なまま歳をとり老後を迎えるのだと思います。

  • 人生とは

    最近思ったんですが、生きている上で起こる様々なことは、どんなに辛いと思っていても楽しいと思っていても、結局自分がそう思っているだけにすぎないと気付きました。 自分が楽しいと思う事をやっていても頭では空しいというだけです。 全てが幻想のこの世に、人は何のために生まれてきたのか。 よくある話だと永遠の生命を得るためだとか魂の成長だとか次世代の宇宙を作るためだとか言われてますが、そんなことを認識することは不可能です。 こんな質問してもそれこそ無意味だとは思いますが 人生についての皆様の考えをお聞かせください。

  • 「人生」は長い?短い?

    ご自分の人生、他人(ひと)さまの人生を考えてみた時、 どちらだと思いますか? あまり深く考えなくても、インスピレーションで答えて下さっても結構です。 私は長いと思います。 今20代なのですが、よく、「自分はまだ2〇年間しか生きていないのか」「この世に生まれてまだ2〇年か」と思います。

  • 人生の目的

    人生の目的 皆さん勝手にこの世に生まれてきたわけではありません、自分の意思で目的をもって生まれてきたはずです。また、一人ひとり必要とされて現世に生をさずかって来ていて誰も無駄に生をさずかっているわけではありませんし、よく簡単に命を終わりにするような人もおりますが自殺するなんてもってのほかです。 マスコミでよく悲惨な虐待、いじめ等報道されてるのを見ますと人生の目的がまるでわかってないようで当事者にはとても気の毒におもいますしまた、人に対して非情な行いをすると必ず自分に還ってくることを肝に命じることです。 つねに人のため、社会のため自分になにができるのか考えながら生きていくのが大事ではないでしょうか これらのことに対して皆さんはどのようにお考えでしょうか。いろいろなご意見をお聞きしたいです。

  • 人生が辛いです

    ブサイクでハゲで異性に見向きされないどころか蔑まれる人生を送ってきました。 異性交際が出来る人たちが羨やましくて仕方ないです。 先月に我慢出来ずに風俗行ったのですが、性病を貰ってしまいました。 お金を払ってでも俺には女性と接するのは無理なんだとこの世の理不尽さを感じ辛いです。 周りを見て異性でワイワイしてる人を見るとイライラが止まらないです。 最近は別に死んでもいいかななんて思ったりしてきました。 自分みたいな境遇の方は人生をどう過ごしてるでしょうか?ここ数日間絶望感がずっと頭の中にあっていつかとんでもないことを起こしてしまいそうで苦しいです。

  • 23歳女です。人生について

    質問です。 高卒後、専門校を出てそのまま専門職に就きました。 家族も優しく、6年付き合って今年プロポーズをしてくれた彼氏も居ます。 友達も少ない程度ですが居ます。 傍から見れば普通の女の子です。 何不自由なく幸せな人生だな。って思う様に生きてきました。 しかし小さい頃から人の顔色を伺う癖があり、辛くても優しくしてくれる家族の前では笑顔でいよう。 家族も、彼や友達も私は明るい人間だと思っています。 そして最近人生に意味がないように感じています。 楽しんでいる時は楽しいし 辛い時は頑張ろうと思える だけど、この世が無意味な気がしてしまいます。 死にたいとか無気力とかではなく、 人生に意味が感じられません。 誰にも言えず一人になると考えてしまいます。 もちろんこの世は素敵で旅行に行ったり新しいものを見たり聞いたり、好きな人と何かをしたり趣味を持ったりもします。 美容室やエステに行ったりメイクをしてクラブに行くのも楽しいです。 旅行へ行ったり飲み会に参加したりする事でたくさんの人に出会えたり学んだ事もあります。 でも一人になると襲ってくる 人生の意味について。 23歳でこんな事言ってはいけないのは承知です。 誰にも言えず困っています。 アドバイスお願い致します。

  • 【人生の楽しみは本来は誰から教わるものですか?】

    【人生の楽しみは本来は誰から教わるものですか?】 自分で見つけるものなのでしょうか? それとも人生は楽しいんだと教えるのは親の責務なのでしょうか? 子供にこの世に生を受けて、人生は楽しいものだというのは自分で見つけるものなのか、親から最初に教わるべきものなのか、それとも友達から学ぶものなのでしょうか?

  • TSUTAYAで借りたビデオ

     ツタヤで借りたビデオ 家で見ようとしたら 画像がかなり 不鮮明で テープを見るとしわしわでした、お金をとってここまで ひどいものを 提供したことに 頭にきてます   文句を言いたいのですが ダメでしょうか? 意見をお聞かせください

  • ワンピースは人生って意味?

    ワンピースという ひとつなぎの大秘宝は 1つは、 人生って意味かと 思いました。 ロジャーの言葉の 「俺の財宝か? 欲しけりゃくれてやる、 この世の全てを そこに置いてきた。」 という言葉は、 「欲しけりゃくれてやる、 俺は自分の中にもう持ってる、 今までの冒険や人生の体験だ、 俺にとっての この世の全てが ここに置いてある。 」 という意味あいや、 「欲しけりゃくれてやる、 お前はすでに持っている。 お前が体験してきた出来事 全ての事だ。 お前にとっての この世の全てが そこに、 お前の中に置いてある。」 という 意味あいに 取れるなあと 思ったりしました。 ですから ひとつなぎの大秘宝なので、 体験の 最初から、最後までで、 ひとつなぎって事かなと 思ったりします。 人生にせよ、 冒険にせよ、 体験としては 成功だと思った物だったり 失敗だと思った物だったり 人によって いろいろ有るでしょうが、 どちらも 体験としては ひとつなぎの秘宝 だろうという、 ちょっと強引な考えなんですが、 ルフィとエースとサボが 小さい頃3人で遊んだ 体験も ひとつなぎの秘宝だったり、 世界のどこかで 小さな子供が 海賊ごっこをやって ちょっとした何かを 手にいれたような 体験も、 ひとつなぎの秘宝 だったりと、 しかし みんなが それぞれ ひとつなぎの大秘宝 を持ってるので、 特別誰かが 大きい小さい 秘宝を 持ってるわけでは 無いと思ってみると、 one piece まあ そんな大秘宝も ひとかけらのような 物かな、 という事だったり するのかなと 思ったりしつつ、 だから ロジャー的には 「もし 俺が持っている 財宝を手に入れたいと 言うのなら、 お前は 手に入れる事は できるだろう。」 という意味あいで、 言ったのかなと 思ったりしました。 ワンピースのまんがは 何十巻も続き、 まあこれはこれで ひとつなぎにすると 長くて凄い秘宝だなと 思いました。 どこ編はどんな感じ、 というだけだったら 思い出せるんですけどね、

  • 人生等について書かれた本

    人間は何のために生きてるのかとか、人生やこの世に存在しているものの意義等に ついて書かれた本を探しています。 どんな本でもいいので教えてください。 よろしくお願いします。