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源氏物語「野分」
gagamboの回答
こんにちは。 野分、いい話ですね。 野分とは、台風・嵐のことです。 光源氏パパのところをたずねた夕霧が、 紫の上を垣間見るシーンですね。 野分が来て女房たちがワタワタしてる中、 夕霧が訪れます。 屏風や戸が風になびくのを防ぐため、 しっかりとゆわえて上げてあるので、 建物の中が見えてしまいました。 (夕霧的には、「見たのではなく見えたんだ」みたいな感じです) 紫の上があまりに美しいので見とれていたら、 光源氏パパが紫の上のところにやってきます。 容姿端麗な二人が揃います。 この「のぞき見る」は源氏物語の十八番でして、 源氏物語ならではの段であると思います。 あと、具体的にどこがどうわからないのかを書いてくだされば、 もう少しわかりやすく解説できますが、 宿題とかでしたら、ご自身で調べてくださいね(^_^;)
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やがてその日、とかく納め奉る。かぎりありける事なれば、からを見つつもえ過ぐし給ふまじかりけるぞ、心うき世の中なりける。はるばると広き野の、所もなく立ちこみて、かぎりなく厳しき作法なれど、いとはかなき煙にて、はかなくのぼり給ひぬるも、例の事なれどあへなくいみじ。空を歩むここちして、人にかかりてぞおはしましけるを、見奉る人も、さばかりいつかしき御身をと、物の心知らぬ下衆さへ泣かぬなかりけり。御送りの女房は、まして夢路にまどふここちして、車よりもまろび落ちぬべきをぞ、もてあつかひける。 むかし大将の君の御母君うせ給へりし時の暁を思ひ出づるにも、かれはなほ物のおぼへけるにや、月の顔の明きらかにおぼえしを、こよひはただ昏れまどひ給へり。十四日にうせ給ひて、これは十五日の暁なりけり。日はいとはなやかにさしあがりて、野辺の露も隠れたるくまなくて、世の中思しつづくるに、いとどいとはしくいみじければ、おくるとても幾世かは経べき、かかる悲しさのまぎれに、昔よりの御本意もとげまほしく思ほせど、心よわきのちの謗りを思せば、このほどを過ぐさむ、とし給ふに、胸のせきあぐるぞたへ難かりける。 大将の君も、御忌にこもり給ひて、あからさまにもまかで給はず。明け暮れ近く侍ひて、心苦しくいみじき御けしきを、ことわりに悲しく見奉り給ひて、よろづになぐさめ聞こえ給ふ。風野分だちて吹く夕暮に、昔の事思し出でて、ほのかに見奉りしものを、と恋しくおぼえ給ふに、またかぎりのほどの夢の心地せしなど、人知れず思ひ続け給ふに、たへがたく悲しければ、人目にはさしも見えじとつつみて、「阿弥陀仏、阿弥陀仏。」とひき給ふ数珠の数にまぎらはしてぞ、涙の玉をばもてけち給ひける。 いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えしあけぐれの夢 ぞ、なごりさへ憂かりける。やむごとなき僧ども侍はせ給ひて、定まりたる念仏をばさるものにて、法華経など誦ぜさせ給ふ。方々いとあはれなり。 臥しても起きても涙のひる世なく、霧りふたがりて明かし暮らし給ふ。いにしへより御身のありさま思し続くるに、 「鏡に見ゆる影をはじめて、人には異なりける身ながら、いはけなきほどより、悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめ給ひける身を、心強く過ぐして、つひに来し方行く先もためしあらじとおぼゆる悲しさを見つるかな。今はこの世にうしろめたきこと残らずなりぬ。 ひたみちにおこなひにおもむきなむに、さはり所あるまじきを、いとかくをさめむ方なき心まどひにては、願まふ道にも入りがたくや。」とやましきを、 「この思ひすこしなのめに、忘れさせ給へ。」と、阿弥陀仏を念じ奉り給ふ。 の訳がある場所を教えてください!!!
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