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第二地銀

第二地銀の成り立ちについて教えて下さい。 なぜ第二地銀は代取の呼称が頭取ではなく社長なのでしょうか?

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回答No.2

頼母子講が第2地方銀行に変わった  社長・頭取との呼び方についてはわからないのですが、第2地方銀の由来について書きます。頼母子講とは無尽とも呼ばれ、日本で古くからあった庶民の相互扶助的な金融制度。古くは鎌倉時代から宗教団体で利用された、と言われているが、庶民の家族生活が現代のようになったのは、江戸時代からなので、本格的な普及は江戸時代から、と考えるのがいいだろう。つまり現代のように、父親・母親・子供が一家族として独立して生活するのは江戸時代からなので、そう考えるのがいいだろう。  この仕組みは、一定の口数を定め、一定の期間毎に一定の出資(掛け金)をさせ、1口毎に抽選または入札により所定の金額を順次加入者に渡す方式でお金を融資するもの。明治維新後も、新しい銀行制度ができたが庶民の間では、この無尽や質屋が多く利用された。1915年無尽業法が制定され、免許制となった。1940年に221社あったが1942年「金融事業整備令」が出て、1945(昭和20)年には57社になった。  その後いくたびかの法改正を経て、1951(昭和26)年には相互銀行となり、1989(平成元)年に第2地方銀となっている。

koruku0127
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。

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  • akipong
  • ベストアンサー率66% (10/15)
回答No.1

雑学大作戦からの転載ですが・・・ 頭取は歴史ある呼び方なんですね。 自分も勉強になりました。 銀行も基本的には株式会社のはずなのに、経営のトップは社長(あるいは行長)ではなくて頭取になっているところが多い。 いくつかの地方銀行はトップを「社長」としているが、頭取に替える所もある。 1869年に設立された「為替会社」が銀行の始まりで、トップは頭取と称していた。 1872年に「銀行」に変わってからも、頭取の呼称が継承された。 明治12年にかけて全国で153行が設立された。これらの銀行、一般にナンバー銀行と呼ばれている。 第一国立銀行以降、第二、第三と番号で名前がついていたのだ。 今でも第一勧業銀行のように当時のナンバーを引き継ぐ銀行がある(第一銀行と勧業銀行が合併して出来た銀行名)。 なかには長野の八十二銀行のように、第十九国立銀行と第六十三国立銀行が合併したからあわせて八十二なんて例もある。 1997年の時点で、都市銀行11行、長期信用銀行3行、地方銀行64行と、第二地方銀行(旧相互銀行)65行のうち53行が頭取を、残りの第二地銀と信託銀行7行が社長を称している。 頭取というのは、もともと音頭取りに由来する。 古くは雅楽の首席演奏者のことを頭取と呼んでいた。 これが、その後に能や歌舞伎にもひろがり、次第に組織の重要な役割の人、長を指すようになった。 その呼称が銀行が出来た時に採用され、現在に至っているのだ。

参考URL:
http://www.elrosa.com/tisen/70/70958.html
koruku0127
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 頭取というのは歴史のある呼称なんですね。

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