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小泉さんちって神道なのですか?

aruberihiの回答

  • aruberihi
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.6

ふむ、カトリックの人だったのか。 だとすると、「神」の概念が根本的に違う。 代表的な宗教の神の概念を纏めてみよう。 キリスト教での神(Godと呼ぶべきかな?)は絶対神です。 同様にイスラムの神(アラーと呼ぶべきかな?)も絶対神です。 絶対神は唯一無二にして大いなる存在であり、人間の上に立ち、人はこのようにあれと命令する存在です。 人にとって神は恩恵を授けてくれる存在、導いてくれる存在。 神にとって人はしもべ。 神は世界の創造主であり、世界すべてである。 対して、ヒンドゥー、仏教の神はなんらかの現象の抽象化された存在を神と呼びます。これらの神は人格を持ち、人に対して何らかの働きかけをします。神には神の摂理があり、人は神の摂理の中にある。この場合、神は人より上位の存在であり、道を示す存在です。この場合、「上位」とは能力が高い、道を知っていると言う意味。 人にとって神は畏怖の対象、道を示す存在、人を助けてくれる存在。 神にとって人は世界の円環の一部、道を知ろうとする存在。 神は世界の一部であり、運営者である。 日本の神道における神はもっと抽象的で原初的です。神とは何らかの力であり、そこにある何かです。精霊と言う言葉が最もわかりやすいかもしれません。人格と言うより、なにかの意志のある存在と認知するべきかもしれません。人間への干渉は基本的にありません。神が人に何かをすることはなく、命じることもありません。神は常にそこにあるのです。居ても決して干渉してこない。ただただそこにいる存在として捉えるとよい。 ただ、力であり意志たるそれは気まぐれに災害を起こしたり、気まぐれに幸福をもたらしたりするでしょう。気まぐれで不幸な目に遭わされたんじゃたまらないので、その意志たる何かを鎮めてやりましょう。 祭ってあげれば幸福をもたらしてくれるかもしれません。 そんなわけで社を建てる。祀る。 基本的に人間と神は対等であり、不干渉な存在である。 人にとって神は畏怖すべき対象(これは人が闇を恐がるような原初的な畏れと解釈すべきでしょう)である。 神にとって人は世界の一部。 神は世界の一部。 場合によっては世界を運営する立場にある。 私なりの解釈をしてみました。 これは違うぞ。と思ったら、びしばし返答下さい。 神道というのは原初的な宗教形態なのです。 シャーマニズムと呼んで良いでしょう。 信仰の原初的なものであるが故にどのような宗教にもとけ込むことが出来る。 だって、不干渉な存在なのです。 機嫌さえ取っておけば何やってもオッケー(ぉぃ 神道的にはキリスト教のGodだろうがアラーだろうが釈迦だろうが「意志を持った強大な何か」で一括りだ(我ながら乱暴だ)。 ------------------------------------- キリスト教圏でも精霊の話が語られます。人々は精霊に親しみを持ってます。 ハロウィンでおなじみジャック・オー・ランタンはお化けというか精霊というか。精霊信仰の流れを汲んでますしね。クリスマスもそうじゃなかったかな? ま、土着の信仰がでかい信仰の中にとけ込むのはよくあることですよ。 日本の場合、神道と仏教はちょうど1:1の割合で解け合って、且つそれぞれ独立した宗教として成り立っているという非常におもしろい現象だと思う。 ------------------------------------- ああ、なんかつらつらとよく分からない方向へながされてるな。 神様の概念についての補足でした。

noname#4713
質問者

お礼

なるほどー。対比してみるとよく分かる気がします。 ひとくちに神と言ってもこうも違いがあるんですね。 日本は山の神様、風邪の神様、厠の神様、井戸の神様、となりのトトロ(?)…、本当にありとあらゆるものが神様になりますよね。こういう豊かなイメージは私も好きです。 ただ、明治以後の日本は、そういう土着の原初的な神概念(八百万の神々?)を、aruberihiさんの言われるような、より上位の神概念のもとに意図的に統合しようとしたような気がします。で、その上位の神概念というのが「神聖不可侵」の天皇だったのではないでしょうか? 森さんが「日本は天皇を中心とした神の国」と言ってましたが、ありとあらゆるもの、とりわけ人間でさえも神様になりうるという、神と人間の間の一線のなさが、国家神道の土壌となり、国家建設、戦争の遂行、対外進出という目的のために政策的に利用された気がします。 いろんなものに神が宿るという感覚はよく分かるけれど、生きてるにせよ死んでるにせよ実在の人間を神様として拝むときは、一度はその背後にあるものを疑った方がいいんじゃないかなと、私は思います。 (で、ついでに言えば8月15日に「戦争犠牲者に哀悼の誠を捧げ」るんだったら、抽象的に御霊に参拝するとかいうんじゃなくて、1人1人の人間の一生を思い、あくまで人間同士の同情や共感を捧げてほしいなと。) いろんな角度からの回答を読ませていただいて、何となく掴み所のなかった神道のことが分かって来た気がします。 たいへんありがとうございました。

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