• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:最近テレビでよく耳にする「いただく」は「食べる」の謙譲語として使われているか?)

最近テレビでよく耳にする「いただく」は「食べる」の謙譲語として使われているか?

chimneyの回答

  • chimney
  • ベストアンサー率34% (68/198)
回答No.2

食事のときに「いただきます」という習慣は、 元々はお百姓さんに対してでも食事を作ってくれた人に対してでもなく、 かまどの神様に対しての感謝を表していました。 昔は今と違い、かまどで火を使わなければ食事は出来ませんでした。 だから昔も自分でつくった野菜で自炊していたとしても、「いただきます」といっていたのです。 もちろん材料や料理をつくってくれた人に感謝する気持ちを表すのに使うことも大切ですが。 なんだか質問の意図と少し違う気もしますが、何かの参考になれば。

pbf
質問者

お礼

かまどの神様というのは初めて知りました。ひとつ勉強になりました。ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 食べる・飲むの謙譲語、丁寧語としての「頂く」について

    食べる・飲むの謙譲語、丁寧語としての「頂く」について テレビのナレーションなどで、「こちらではこのお料理は四季を通じて頂くことができます。」という使い方がとても気になります。レシピや料理番組などで、できあがり場面で食べ方を指定するときに「このソースをかけて頂きます」という場合には、「このソースをかけてお召し上がり下さい」が正しいと思います。 自分の行動をさす場合に「大変おいしく頂きました」「ケーキを半分頂きます」などの使い方は謙譲語、丁寧語として正しいと思いますが、他人の行動をさす場合には、食べる・飲むという意味での「頂く」は丁寧語にはならず、謙譲語にしかならないのではないかと思います。 同じような違和感をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか?

  • 謙譲語で「ご馳走する」は正しいですか?

    友人に「ご馳走するよ」と言われたんですが、なんだか違和感があって、正しい敬語なのか疑問です。謙譲語で「ご馳走になる」というの言いますが、人に奢るときはわたしは「ご馳走する」とは言わないのですが… そもそも「ご馳走」というのは、「立派な料理」という意味だと思っていたので(「ご馳走様でした」などというように)、奢る側の人が「ご馳走する」というのは「立派な料理を食べさせてあげる」という感じを受けてしまいします。 「ご馳走する」というのは謙譲語として正しい用法なのですか?

  • 謙譲語の使い方

    最近疑問に思うことがあります。話の流れから、「私の父をご存知ですか?」や自分に対して「~さんは、私のことをご存知でしたか?」と言っているテレビ番組を見る事がありますが、ご存知という言い回しは、知るの尊敬語の様に思い自分や身内に対しての謙譲語とは違うように思うのですがどうでしょうか教えて下さい。

  • 古典文法の「謙譲語」について

    古典文法の「敬語」の中の「謙譲語」は、話し手が(登場人物の)動作の受け手に敬意を払って、動作の受け手の行動に対して使うもの、という説明が一般的ですが、「謙譲語」というのは、話し手が自分の行動に対して(へりくだる意味で)使うものではないのですか。少なくとも、現代語ではそうなっている気がするのですが。文語と口語では、謙譲語のニュアンスや使われ方が違うのか、それとも、私の解釈がおかしいのでしょうか。教えて下さい。

  • 敬語に詳しい方へ 自動詞の謙譲語その他について

      二つの関連ある質問をいたします。(ここでいう謙譲語は「謙譲語I」に限ります。「謙譲語II」の話が及ぶ場合はその都度IIを付けます) 1.自動詞には「尊敬語」はあるけれど、「謙譲語」はない。  (質問内容)自動詞である「生まれる」(他動詞は「生む」)・「立つ」(他動詞は「立てる」)・「分かる」(他動詞は無し)等には、次のように相手側の動作に対する尊敬語はあります。     お生まれになる 生まれなさる ・お立ちになる お立ちなさる ・お分かりになる お分かりなさる  ところが自分側(話し手)の動作に付く「謙譲語」には適当な言い方が存在しない。  お生まれする ・ お分かりする ・ お立ちする(最後の言い方については場合によってはあるかも知れない)      以上について、異論があればお教えください。 2.上に関連して相手側の動作に「くださる」や「いただく」が付くのはどう考えればいいのか、お教えく ださい。  お生まれくださる(これは通常言わないこばなので省きます)  お立ちくださる  お立ちいただく ・お分かりくださる お分かりいただく  「くださる」が尊敬語であり「いただく」が謙譲語であることは知っています。しかし、この二つに「お立ち」や「お分かり」という語句が付くと、意味としてほぼ変わりない言い方(おそらく尊敬表現)になるのはどうしてなんでしょうか。そして、話し手の立場からすれば、「尊敬語」なのでしょうか。それとも、「謙譲語」なのでしょうか、そこのところを分かりやすくご説明くださると有り難いのですが。

  • 日本語…私がこだわり過ぎ?

    私の住んでいる地方では、夕方、各テレビ局で、この地方だけのワイドショー番組がいくつかあります。 その中で、この地方のテレビ局だけのアナウンサーやレポーターが、色々な情報を伝えるのですが、その日本語の凄さに呆れます。 以前、レポーターが、新規オープンのブティックを紹介した時「この靴下は2枚で500円なんですよ。」と言いました。 つまり右1枚・左1枚で500円ということ…「1足で500円」が正しいでしょう? その他、料理番組でゲストに「どうぞ頂いてください。」…「どうぞ、おあがりください。」こう言うべきじゃないですかね? 昨日の番組では、料理人がレポーターに出した料理を見て、そのリポーター「どう召し上がったらいいんですか?」…この日本語絶対に違うと思った。 今時の日本、多少の事は目をつぶらなくてはいけないのかもしれないけど、私のこだわりすぎですかね。

  • 敬語の使い方についておしえてください

    あるテレビ番組内で毎回 「こちらに○○があると聞いたのですが、ございますか?」 と言うレポーターのセリフに違和感を感じているのですが、 この敬語の使い方は正しいのでしょうか? 私の勝手な感覚では、「ございます」というのは自分が持っている場合のみに使う言葉(謙譲語?)だと思っていたのですが・・・。 きれいな日本語が使えるようになりたいな、と思っているのでどなたかおしえてください。 よろしくお願いします。

  • 動詞+「いただく」について

    「お待ちいただく」は謙譲語に分類されているのですが、謙譲語というのは自分の行動をへりくだった表現ということですが、この場合の「お待ちいただく」はどういう意味で謙譲語なのでしょうか?

  • 給ふの命令形?

    古典で「給う」で辞書を引くと謙譲語の時は自分や自分に近い存在の人の動作を表す「聞く」「見る」「思ふ」の時は 命令形はないと書いてあったのですが 「受く」「飲む」「食ふ」のいただくの意味のときは命令形が書いてあり、「給へよ」となるそうですが、 謙譲語で命令形ってどういうのですか? よくわかりません。 りんごを頂け。とかですか?これだったら謙譲語の自分がへりくだっているようには思えないし… どなたか詳しいかた、給ふの謙譲語の命令形の具体例を教えて下さい。

  • 「申す」という単語の使い方について

    日本語の勉強です。ご存知の方におしえてほしいです。よろしくお願いいたします。 あるクイズ番組で次のようにいっていました。「知るは楽しみと申しまして、知識をたくさんもつことは人生をたのしくさせてくれます」と。 質問(1)「...と申しまして」ここの申しましては「言う」といういみを知っていますけど、どうして「申す」という謙譲語を使うのですか。ただしくないとおもいますけど