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「確信犯」という言葉の意味について
国語辞典を見ると、「確信犯」の意味は 「自らの信条に基づいてなされる犯罪」と成っていますが、 最近の文書を見ると 「初めから犯罪だとわかっていて行う行為」を指す 言葉として使用されている例が多く見られます。 既に言葉の意味が時代の流れによって変化しているのでしょうか? または、単に字面からの誤用が多いだけでしょうか?
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平成14年に文化庁が行った「国語に関する世論調査」の中に「確信犯」も取り上げられています。元の意味で使う人がこれだけ少なくなると、もはや誤用ではなく、新しい意味として定着したと言わざるをえないのではないでしょうか。
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- kankasouro
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確信犯には有名な伝説があります。たしか聖クリスビンだったと思いますが、貧しい人に靴を恵むために悪いことと知りつつ材料となる革を盗んだというものです。 これが西欧における典型的な確信犯ですが、その意味するところは「道徳的・宗教的・政治的な信念に基づき、自らの行為を正しいと信じてなされる犯罪」そのものです。(1)「本人はそれが悪いことである、罰せられることであると承知している」にもかかわらず、(2)「しかし道徳的・宗教的・政治的な信念や使命感から自分がどうしてもやらなければならないことだと《確信》して、あえて犯罪行為を行った」場合の犯罪、これが法的な意味での確信犯です。 (1)(2)の両方が揃わないと正しい意味の確信犯とはいえません。「自らの信条に基づいてなされる犯罪」という説明はおそらく「犯罪」と明言することで(1)を類推させるようにしているのでしょうが、やや舌足らずです。「犯罪だと承知していながら自らの信条に基づいてそれを行わなければならないと考えてなされる犯罪」とでもしたほうがいいでしょう。「初めから犯罪だとわかっていて行う行為」というのは、「それが犯罪であることを《確信》している」という点であやまりです。また(1)の条件しか満足していません。正しい用法では《確信》は「その行為を正しいと《確信》する」部分について使われるものです。この誤用は、つまるところ「なにを《確信》するのか」という焦点のあわせかたがズレているところからおこったものでしょう。 確信犯は罰せず、というのが法の常識であるのは(むろんそれが通用しない場合もあります)、(1)(2)の条件をともに兼ね備えているから、特に(2)の性質がつよいと、世間一般の常識的な価値判断が不能になっているのですから所謂心神耗弱者(善悪の判断が一時的に不能である者)と同じ扱いになるためです。(1)だけの要素を強調する「初めから犯罪だとわかっていて行う行為」を法律上の確信犯と定義し、「確信犯は罰せず」を適応してしまうと、世の中たいへんなことになってしまいます。
お礼
ご回答有難うございました。 「確信犯」という言葉自体への理解は非常に深まりました。 先に回答された方がこの言葉の意味の変化を調べた文化庁の資料URLを提示してくださいましたので誤用が特別な事ではない事がわかり、次点を付けさせていただきました。
- namnam6838
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誤用ですよね。かなり違和感があります。 「初めから犯罪だとわかっていて行う行為」は「故意犯」と思います。 余談ですが他に自分が違和感のある誤用は・・ ・春に「小春日和」という誤用 ・「情けは人のためならず」を人に情けをかけるとよくないという誤用
お礼
ご回答有難うございました。
辞書によると「道徳的・宗教的・政治的な信念に基づき、自らの行為を正しいと信じてなされる犯罪」とあります。 「道徳的」という面で使用しているものと思われますね。
- hijyousyudan
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有名な誤用ですね。 「姑息」「憮然」も同じような感じになっています。 でも、日本語というモノは、 誤用が原因の変化や派生が多いんですよね。 まぁ、言葉は生き物だってことですよ(^^;
お礼
回答有難うございました。 他の誤用例についても参考になりました。
お礼
ご回答有難うございました。 参考URLの文書が大変役に立ちました。