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「適当」「いいかげん」の意味について

「適当」「いいかげん」という言葉には、「ちょうどよい・ふさわしい」というような意味と「まともにやらない・なおざり」という、相反するような意味がありますよね。 字面から考えても本来はいい意味だったはずですが、『日本国語大辞典』を見ると、悪い意味での用例は「いいかげん」は明治、「適当」は昭和が最初のようです。 本来いい意味だったこれらの言葉が悪い意味でも使われるようになったのはなぜなのでしょうか。

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noname#126728
noname#126728
回答No.3

政治家が「前向きに善処します」とかいいますよね。 形式的にとりつくろわなければならないけど、ほんとはやる気がないときに、形骸的な言葉が生まれてしまうように思います。 あれと似た使われ方がされていた、とか。 プラスの価値を持つ言葉がマイナスに転化したり、意味のインフレで過剰になったりすることってよくあるようです。 「お受けになる」が「お受けになられる」と過剰になったり。 なんの根拠もないですが、形骸的な使用法と意味のインフレ辺りが、原因として臭いんじゃないでしょうか。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 形骸的な使用…なかなか有力な説かなと思いました。 たしかに、「善処する」も政治家用語では「何もしない」ということだとよく揶揄されますよね。もう少ししたらこの言葉も「うやむやにごまかす」というような意味で普通に使われるようになりそうですね。 「あの約束、すっかり善処されちゃったなぁ」とか…。 自分ひとりでは思いつかなかった仮説に気づかされて、勉強になります。

その他の回答 (3)

noname#118466
noname#118466
回答No.4

No1です。補足します。 いい加減(良い加減)とは個人差の強い調節度合いですから、意味が段々プラスとマイナスへ広がったのだと思います。 生ぬるい風 これも温度の幅があり、人によって或いは民族によって 感じ方が違ってきます。生ぬるい温度を心地よいと感じる人もいるわけです。しかし、今のところ生ぬるいにはマイナスのイメージが強いと思います。将来的には適当な温度の意味に変わる可能性があると見ます。 いい迷惑 マイナスイメージの名詞をいい(良い、善い)が形容しています。このように簡単にプラスマイナスの転換は起こりえるのでは。 さじ加減、個人の判断で「いいかげん」はどちらにも転ぶ言葉だった、で私は納得しています。いいかげんですかね。

  • runnext
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回答No.2

似た様な用例で「貴様」がありますね 本来なら謙譲する言葉ですが現代ではぼうとくする時に使う事が多いですね 専門家ではないのではっきりとは言えませんがいい言葉で柔らかく表現していると聴いたことがあります 明らかに攻撃的な言葉ではなく遠まわしに優しく言っているといったところでしょうか? まあ時が経つにつれ悪い言葉になったこんな感じでしょうか 私が思うに元々は音声ではなく文字で表現していた言葉なのかもしれません 手紙や文字で書くと不思議と冷静に優しい表現になりますが声に出して言うとその時の感情により表現や言い回しが違ってきますよね 「貴様」 「貴様ぁ~!」 ちょっと違って見えます

ysk26
質問者

お礼

ありがとうございます。 「貴様」もそうですね。よく聞く話ですが、理由はやはり謎です。 それから、書き言葉と話し言葉ではたしかに変わりますよね。言われてみるとたしかに…という気がします。 「適当」も文章ではいい意味で、会話の中で「テキトー」と言うときはたいてい悪い意味で使いますよね。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

ふたつの単語に絶対的な「基準」がなかったことに意味が広がった遠因があったような気がします。 適当 ある条件に程よく当てはまること→程よくの基準があいまい→忙しいときは自分で判断してこれが程よいところだと考える→いいかげんな判断(基準) いいかげん 加減とは足したり引いたりして調節(コントロール)すること、つまり始めからやり方次第ではおおざっぱで 徹底しない、さじ加減でどうにでもなる余地が含まれた 言葉。適当な加減・・・基準のはっきりしない単語が重なっている。 いいかげんな返事をする。 時間にいい加減な男だ。 塩の加減を見る。 子供だから手加減を加えた。 二つの単語は生まれたときからあいまいなところ(主観が入る余地)があったように思えます。英語のbadがすごい、すばらしいという意味で使われだしたほどの変化ではないと思います。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 うーん、何度もくり返し回答を読ませていただいて考えてみましたが、いまいち納得ができずモヤモヤしています。 たしかにどこからをほどよいとするかの基準は人や場合によってあいまいですが、「いいかげんに沸いた風呂だ」と(本来の意味で)人が言う場合、その温度がぬるめか熱めかはわからないものの、少なくともその人にとっては明らかにプラスの価値判断があるわけですよね。その点は揺らがないと思うんです。それがどうしてマイナスの価値判断に逆転してしまうのか…。 「役不足」や「流れに棹さす」とは違って、普通に考えれば誤解しようのない言葉ですから、単なる誤用ではなくそれなりの理由があって逆の意味に使われ始めたのではないかというところまでは考えたのですが、その理由がどうにもわかりかねています。

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