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お風呂の歴史と温泉の関連性
仏教伝来がお風呂の起源だと思っていましたが、 お風呂の起源を考えたときに温泉との関連はあるのでしょうか? その当時は今みたいに湯につかるという習慣はなかったはずですが、もし温泉に入っていたとしたら今と同じように湯につかっていたのでしょうか? そのように温泉でお湯につかっていたのなら何故風呂では温泉みたいに肩までつかるような様式にしなかったのでしょうか?わかりにくい質問でしょうがお分かりの方よろしくお願いいたします
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日本最古の漢文とされるもののひとつに伝聖徳太子作の道後温泉碑文があります。このなかに「沐浴神井而李疹」(神井に沐浴して疹を李す)とありますから、おそらく当時から温泉にはつかったのでしょう。 また平安びとがこよなく愛した白楽天の長恨歌には「温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ」という有名すぎるくらい有名な句があります。 ですから、むかしの日本人もお湯に肩までつかるという風俗は知っていたし、実行もしていたのだと思います。 ただしそれを「入浴」と捉えず、「温泉でやる特別なこと」=多くの場合治療=湯事と考えていたのではないでしょうか。日常においてお湯を沸かして肩までつかるということはなかったし、それを「入浴」だとも考えていなかった。それは水を大量に確保し、沸かすことがまだむつかしい時代であったこともありましょうし、蒸し風呂のほうがかんたんであったということもいえると思います。
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- junt
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No,3に書き忘れましたが、一般的に言って、温浴には水蒸気浴と温水浴の2つがあり歴史上分かっている一番古い温水浴はローマである。ローマには、温水浴の浴場があり、今でもポンペイなどには、温水浴と水蒸気浴を行った両方の遺跡がある。 日本でも二つの浴場があり、銭湯が水蒸気浴だったからと言って温水浴の習慣がなかったということではなく両方同時にあったということです。 そして水蒸気浴の習慣が仏教の伝来とともに持ち込れ、温水浴の習慣は温泉や神道の冷水浴(みそぎ)が起源だったということです。
- junt
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現在の風呂は入浴を意味するが、風呂という語はもともと『室(むろ)』より転化したもので、古くは密閉した室に湯気をこもらせた蒸し風呂であった。はじめスキタイ民族の間に行われていたのが6世紀半ば仏教の渡来とともに、朝鮮を経由して日本に伝わったという説もあり、江戸時代まで盛んだった。京都西本願寺にある飛雲閣の黄鶴台はその名残で、豊臣秀吉がつくったもの。 元来、入浴は宗教儀式の一部『禊(みそぎ)』の思想からきた沐浴で、身体の汚れを落とすことより、むしろ精神を清めることに意義があった。蒸し風呂の銭湯は、鎌倉時代後期、既に行われていた。 江戸時代初期には、戸棚風呂が銭湯として使われた。戸棚風呂は浅い浴槽に膝までつかり、引き違い戸で湯気の漏れるのを防ぐもので、蒸し風呂と浴場を兼ねていた。なお、当時の銭湯は単に身体を洗うというだけでなく、湯女(ゆな)がおかれて酒の用意があるなど慰安の要素もあった。 天井から板を床近くまで下げ、室内保温と常時開放とを両立させた『柘榴口(ざくろぐち)』もあったが、男女混浴のため風紀を乱すこともしばしばあり、明治維新後は禁止され、今日のような銭湯になった。庶民の家庭では据え風呂が用いられ、江戸では、鉄砲風呂、関西では五右衛門風呂(長州風呂)が普通であった。 日本では、温泉の歴史は古く、既に神話の中に出てくる。『伊予国風土記』の中に道後温泉のことが書いてある。どんなことが書いてあるかというと『大国主命がそこへ行って、大分は速見の水を海底を通して伊代に引いた』と書いてある。大分速見の水というのは、今の別府温泉のことである。推古天皇(554-628)が別府温泉に入浴されて有名な道後温泉の碑を作ったということが伝説化している。 日本のほとんどの温泉は少彦名神(すくなひこなのみ)を祭っている。先に述べた道後温泉は、大国主命が開いた温泉であった。大国主と少彦名、つまり大と少とはいつも一緒にになって国土を開発した。そのため少彦名は医薬治療の神様であり、有名な熱海の温泉をはじめ、日本中のほとんどの温泉は少彦名を守り神にしている。この伝説は、やはり神話から温泉浴が出てくるということ、要するに歴史が古いということを物語っている。
- tanuki4u
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仏教伝来との関係では、悲田院が、治療目的にお寺に作られていました。 1のご回答のように、サウナ風呂です。
- nemosan
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以前、浴槽関係の仕事をしていた時に風呂の歴史を 簡単に調べたことがあります。 昔(江戸位まで)のお風呂はサウナ方式でした。 (参考となるサイトを添付しておきます) 大量にお湯を湧かすより、蒸気を使う方が簡単かつ 衛生的だったのは容易に想像できます。 ちなみに、島根県の玉造温泉は、大国主命とともに 国造りをした少彦名命が発見したという伝説が伝わ っています。