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生存欲求と解脱

日本テーラヴァーダ仏教協会のスマナサーラ長老の 著書に生存欲求が消えた状態が解脱だと書いてあり ました。解脱には八段階ある(八解脱)あると聞いたこと があるのですが、これはどの段階の解脱でしょうか。 それではよろしくお願いします。

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  • Syo-ya
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回答No.1

今、手元に「大般涅槃経(大いなる死)」があるんですが・・・・  またアーナンダよ、八つの迷いからの離脱『八解脱』と言われるものがある。 その八つとかなんであるか。 1、色と形のある者が、もろもろの色と形を見ること、 これが第一の迷いからの離脱である。 2、自己の内に色と形は無いという想いをなす者が、外のもろもろの色と形を見ること、 これが第二の・・・。 3、『身も心も清らかだ』と信じ解る(さとる、信解する)こと、 これが第三の・・・・。 4、あまねく、色と形という想いを超越し、 障碍(しょうがい)があるという想い(有対想)をなくし、多様であるという想い(種種想)を心になすことなく、『虚空は果てしがない』と、”虚空の果てしがない処”(空無辺処)という境地に達して住すること、 これが第四の・・・。 5、”虚空の果てしがない処”という境地を遍く超越し、 『意識は果てしがない』と、”意識の果てしがない処”(識無辺処)という境地に達して住すること、 これが第五の・・・・。 6、”意識の果てしがない処”という境地を遍く超越し、 『所有すべきものは何もない』と、”一切の所有のない処”(無所有処)という境地に達して住すること、 これが第六の・・・・。 7、”一切の所有のない処”という境地を遍く超越し、 ”意識もなく意識しないこともない処”(非想非非想処)という境地に達して住すること、 これが第七の・・・・。 8、最後に、”意識もなく意識しないこともない処”という境地を遍く超越し、 ”意識も感覚も滅尽した所”(想受滅)という境地に達して住すること、 これが第八の・・・。 アーナンダよ、以上が、八つの迷いの境地からの離脱と言われるものなのだ。 ・・・ということですから、やっぱり、第八解脱のことを指しているのかと思います。

その他の回答 (2)

  • mmky
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回答No.3

参考程度に 釈尊は菩提樹下で解脱し悟りを開かれました、それから涅槃に入る80歳まで精力的に教えを説かれ、その間多くの弟子を育成されました。それ故、2500年後の現在にも仏教があるわけです。この釈尊の生涯を参考にすれば「生存欲求が消えた状態が解脱」であるというのが明らかに違うというのがわかりますね。 解脱とは、生存欲求が消えるようなものとは正反対の境地であることは明らかですね。解脱の先に妙なる有、つまり伝えなくてはならない至福の喜び、幸福感があったと想像できますね。だから40数年の伝道説法があったんでしょう。それは不立文字の部分なのでしょうが、肉体(色)から発せられる欲を克服した状態であることは想定できます。肉体(色)をも克服し霊としての自覚、霊さえも克服し、と続くのが大涅槃の悟りの意味なんでしょうね。凡人には到底到達できない境地であるがゆえに仏陀と呼ばれるのではないでしょうか。といういことで、「生存欲求が消えた状態が解脱」という一遍だけからは、判断のしようがないといえるのではないでしょうか。そのように思います。

  • Syo-ya
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回答No.2

再度の1です。 こういう話があるんですが、脳波学で故人の品川嘉也氏の著書にあったと記憶しているんですが、中国人気功師の脳波を測定したら、脳死状態の波形を示したんだそうです。 この気功師は幼いころから、気功の訓練をしてきたそうです。 これも、まあ、ある意味、第八解脱状態ですよね(^^ テーラワーダでも瞑想をします。 日本では坐禅等で、禅定といわれる境地になります。 こういうのは、本当に有効なんだと思います。 ・・と、おまけの話でした。

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