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ピカソの絵について
ピカソの絵はとても価値があるらしいですが、かなり弟子の技術をパクった作品もあるそうですが、本当でしょうか?
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お礼コメントを拝見しました。 >この弟子さんですが、おそらく、フランソワーズ・ジローという女性のようです。ピカソも彼女と大きなもめ事があったようですが、その中にそんな事実があった模様です。 ⇒わざわざ教えてくださりありがとうございます。 なるほど、フランソワーズ・ジローですか。名前を聞いたことはありましたが、全く考えも及びませんでした。恋多きピカソのことですから、あり得ないことではないかも知れませんが、それにしても40歳も違う20歳そこそこの娘さんを(しかも3番目くらいの)妻にするとは! まあ、ジローとしては、おそらくピカソ本人というよりはその絵に引かれたのでしょうね。事実、血筋の関係(母親が画家)もあって、彼女自身優れた画才を発揮しましたよね。そして、ピカソの優秀な助手兼助言者として、彼の作品の価値を高めるのに大いに貢献したと言われます。 さて、ここで本題とつながるわけですが、その筋の文献によりますと、ジロー30歳過ぎ、10年共に過ごしたピカソに見切りをつけ、子どもを連れてその元を去ったとのことですが、それは「自分の才能まで食いつぶし消費されかけたから」であるとか。実際、「彼女のアイディアをピカソは吸収し、新しい作風を次々に生み出している」と説明されています。その後ジローは、アメリカ人の医師ジョナス・ソーク博士と再婚し、素晴らしい絵を描き、詩集を物して、芸術論の本を書くなどの八面六臂の活躍をして、1990年芸術文化勲章シュヴァリエを受勲していますね。 ピカソがパクったのは、フランソワーズ・ジローの「技法というよりは発想だった」わけですね。おかげ様で、ひとつ知見が増えました。どうもありがとうございました。
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- Nakay702
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>ピカソの絵はとても価値があるらしいですが、かなり弟子の技術をパクった作品もあるそうですが、本当でしょうか? ⇒確かにその疑いがあったかも知れません。ただ、絵画界でパクリは問題にならないと思います。しかも、ピカソの場合、それは何らかの欲得のためというより、お互い納得づくであったり、共同制作であったりという意味合いが強かったように思われます。キュビスムの歴史を見るとそんな状況が彷彿します。 キュビズムは、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始されました。「複数の視点から見た物の形を一つの画面に収めた美術表現」です。遠近法や陰影などを用いた従来の具象絵画のルールを覆し、立体的な対象を平面的に分解し、幾何学的な形に再構成するという革新的な技法を用いました。キュビスム作品の出発点は、ピカソの『アビニヨンの娘たち』(1907)でした。これを一部の友人にだけ見せた時、酷評されました。マティスは腹を立て、ドランはピカソがそのうち首を吊るのではないかと心配したといいます。しかしジョルジュ・ブラックはすぐにピカソの仕事の重要性に気づき、秘かに『大きな裸婦』(1908)を描いてその後を追った。また、同年秋セザンヌは『エスタックの家』など7点のキュビスム的風景画を描いて公開した。さらに、ピカソとブラックの仕事から影響を受けながら独自の表現を模索していた画家たちがある会場を占拠し、キュビスムの一大展示会を行っていました。 1909年からピカソとブラックは共同でキュビスムの探求を始めた。1911年ごろの作品はどちらが描いた画なのか判別しがたいほどよく似ている。しかも二人の間柄は蜜月的だった。キュビスム作品は初期でこそ不評を買ったが、まもなく評価は高まり、売買価格は跳ね上がり、追随者が排出した。ある時、ピカソは言ったそうである。「ワシはもうお金は見飽きた。もうカネのツラ見たくない!」と。 私はバルセロナのピカソ美術館へ行って驚きました。彼は子どもの頃から絵が好きで、教科書の隅によく落書きの絵が書いてあるのです。それが、どれもこれも上手いのです。また、1枚のカンバスに何度も何度も習作していることを知りました。さらには、粗末な画用紙の一筆描きがありました。近寄って丹念に眺めました。全然線の切れ目のない、一気に描き殴ったとしか思えない一筆描きです。ところが、数歩下がって、改めて見つめ直して、驚きました。何と絶世の美女のデッサンでした! どうして一本線の続きが美女なのか? おそらく、頭の中に浮かべた美女のイメージをものの数分もかからずに一気に描いたのだ。そうとしか考えられませんでした。どの分野でも、天才ほど、すごいことを楽々やっているように見えるものですね。 おっと、長々とそれましたが、言いたいことはこうです。ピカソは「(たまたまそれらしく思われる節があることは認めても)誰かの画法をパクって描かなければならないような事情は何もなかった」と断言できます。
お礼
ご回答有り難うございます。どうも、この弟子さんですが、おそらく、フランソワーズ・ジローという女性のようです。ピカソも彼女と大きなもめ事があったようですが、その中にそんな事実があった模様です。
- AlexJenifer
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「絵を描く技術」にパクるもなにもそもそもありません。画家達はみんな、誰かが面白そうな技術、技法を使ったらそれを取り入れてきました。それは何ら問題のないことです。 「弟子の技術をパクった」などと言って、あたかも問題があるかのように言い立てる方がおかしい。弟子であろうが赤の他人であろうが、自分の絵に取り入れるに値する技法があればどんどん取り入れるのは当然の事ですね。 誰かが遠近法を用いて描いた。それを見た多くの画家がそれを取り入れた。それをパクリなどとはいわない。誰かが新しい画材をみつけて新しい味のある作品を描いた。多くの画家がその画材を遣うようになり、絵画の世界は広がりと深さを増した。それをパクリと非難するものはいません。
お礼
ご回答有り難うございます。どうも、この弟子さんですが、おそらく、フランソワーズ・ジローという女性のようです。ピカソも彼女と大きなもめ事があったようですが、その中にそんな事実があった模様です。
- kaitara1
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ピカソは模倣の天才だったという説があります。ほかのひとが描いた有名な絵を見ると俺ならこう描けるということだったのではないでしょうか。
お礼
ご回答有り難うございます。どうも、この弟子さんですが、おそらく、フランソワーズ・ジローという女性のようです。ピカソも彼女と大きなもめ事があったようですが、その中にそんな事実があった模様です。
お礼
ご回答有り難うございます。NHKで日曜美術館で放送されたお話だと記憶しております。ただ、何時なのかは分かりません。そして、技法とかそういう事が語られていたのですが、忘れてしまいました。ジローさんは、その時は子供が小さかったので、我慢した可能性があります。ただ、数年後からぎくしゃくした関係になったと言われているので、詳細なことが聞けるのかなと思って質問しました。