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日本人男が髪を結っていた理由
江戸時代以前の日本人男性は短髪にせず、長髪で髪を結っていたのはなぜですか?長髪か坊主しかいなかったのですか?
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実は髪を切るのは高度な技術なのです。 今は簡単に髪を切れる散髪用ハサミやカミソリがありますが、昔はそうでもありません。 ヨーロッパでさえ理髪師は医師のような役割でしたし。 日本人男性の髪結いは縄文時代から既に行われていたようです。 ただ単に髪を切る技術が無かったのと狩猟などの作業の邪魔になっていたからだそうです。 弥生時代に入り「みずら(角髪・美豆良)」をするようになり、古墳時代になると製銅・製鉄技術が上がり戦いで兜を被るようになり、兜の緩衝材として自身の髪を後頭部〜頭頂部で結うようになりました。 身分の高い男性はそれに冠を着けるようになります。 それが平安時代に入ると髪結いが洗練されて「髷」となります。 成人男性は冠や烏帽子などで髷を見せないようにするのがマナーになりました。 鎌倉時代辺りになると兜で頭が蒸れるとのことで、頭頂前部の髪を抜いて「月代」という時代劇でよく見るスタイルにするようになりました。 が、当時は常時ではなく戦時のみ髪の毛を抜いていたそうです。 僧侶も髪を剃るのではなく、抜いていたのです。 戦国時代になり、髪を抜くと炎症を起こし兜が被れないということがあり、織田信長が輸入したカミソリで髪を剃って「月代」を作るようになってから皆カミソリで月代を作るようになり、一般男性も真似して月代するようになりました。 カミソリとほぼ同時に散髪用ハサミも入りましたが、そちらはまだ質が悪かったのとヨーロッパでも短髪はまだ少なかったのとで短髪は流行らなかったようです。 ヨーロッパで短髪が増えるのはフランス革命辺りになってからなので、実は日本の文明開化で短髪にするのはさほど時代遅れではなかったのです。
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- Reynella
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中国大陸の文化の影響じゃないでしょうか。 中国大陸では「髪」は古代から特別なものだったようです。林巳奈夫博士という中国考古学の大先生によると、「髪の毛は人間の生命を活気付けるエネルギーの宿るところと」考えられていたそうです。こん刑と言う刑罰には髪を切る、というのがありました。伸びて来るまでは、私は罪人ですと宣伝しているわけで恥辱刑の一つですね。さらに儒教では、親から貰った体は大切なものであるとされ、髪に刃を当てるのは親不孝ということになったそうです。 中国から、社会制度や文字や穀物栽培技術とともに、仏教も儒教も受け入れた日本ですから、こういう風習が伝わったのでしょう。日本でも、出家するときは男性なら坊主、女性は短髪にします。古典文学の中でもいさかいがあって相手を辱めてやろう、でも命を取るのはまずい、というような場合に相手の烏帽子などを奪い取った挙げ句に髻を切り落とす、というようなシーンが沢山出て来ます。 だから町を歩いている大人は長髪か坊主頭、あるいは布などで頭部を覆っている、そんな感じだったのでしょう。今回、いくつか平安、鎌倉時代の町の様子が描かれている絵をみてみましたが、短髪の頭を剥き出しの大人はいませんね。