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藤原 乙牟漏皇后の名前

wikiで藤原 乙牟漏という第50代天皇・桓武天皇の皇后がいたと知ったのですが、なぜ漏れるという悪い意味の漢字が当てられているのですか?何か悪いことをしたのでしょうか?普通は○子ですね?

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  • D-Gabacho
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回答No.3

「漏」という字に意味はありません。「ろ」と読む字として当てられているだけです。 万葉集には「漏」を「ろ」の音に当てた歌がいくつかあります。 具漏伎可美(黒き髪)巻5-804 波漏々々(はろはろ)巻5-866 久漏牛方(黒牛潟)巻9-1798 牟漏能木(むろの木)巻15-3600・3601 思漏多倍乃(白たへの)巻15-3725 もし乙牟漏の「むろ」がむろの木のことなら、むろの木は万葉集の大伴旅人の歌では「天木香樹」と表記(巻3-446)され、江戸時代の『和漢三才図会』では「木之聖ナル者ナリ」とされる神聖な香木ですから、かなり良い意味の名前といえます。

その他の回答 (2)

  • gunsin
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回答No.2

「漏」は雨が降るの意も有るので、農耕民族には、重要な文字ですよ。 女性の名前に○子が使用されるのは、平安中期頃からです。

  • Reynella
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回答No.1

1.悪い事は何もしていない筈です。逝去後に彼女が産んだ子が2人も即位していますし、若くして亡くなった娘も淳和天皇が親王だったころの妃です。悪行があっての命名であれば、死後に子どもたちが帝位に就いたりいずれ就く人の妃になったりはしないでしょう。 2.子をつける慣行が完全に定着するのはもう少し先ですね。母は阿倍古美奈ですし、桓武天皇の他の夫人にも多治比真宗、藤原小屎などの名もあるし、前後の天皇の夫人にも子のない名が多数あります。一方、当時は名を二つ持つ女性も多く、一つには子があり、一つにはない、という例もあります。当時の貴族の名付けでは「音韻の美しさ」に拘ることも流行の一つだったようですから、意味ではなく当時の音韻が美しかったのかも知れません。音韻は記録不可能なものですから、どう読んだのかは判らないので今となってはわかりませんが。

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