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保元の乱や平治の乱における藤原家の人びと
後白河天皇の藤原通憲(信西)が平清盛や源義朝を動員し、藤原忠実の子である藤原忠通も付く、 他方、同じく藤原忠実の子である頼長(弟)は敗れる、 その後、今度は藤原信頼が源義朝と結び、平清盛に近い信西を討った、 これは高校日本史の教科書に載っています。 しかし、ここで登場する都合5人の藤原氏の血縁関係がわかる系図は、 ウェブを探しても出てきません。 忠実・忠通(兄)・頼長(弟)の3人以外の血縁は、 意識しなくてもよいのでしょうか?
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意識しなくてもよいです。 忠実・忠通・頼長の3人は藤原摂関家のお家騒動ですが、信西と信頼は「院」の近臣ということで権力を握っていたのであり、藤原氏といっても別の家柄です。 ちなみに、藤原氏は平安時代以降、多数の家に分立しています。 忠実・忠通・頼長の藤原摂関家は藤原北家の嫡流で藤原氏の総本家です。 信頼は藤原摂関家の分家の分家‥の出で、藤原道長の兄「道隆」の子孫です。 信西は藤原「南家」の子孫です。