• ベストアンサー

お答えいただけましたら幸いです。

「人はいつどんな場合も、本人だけでなく他人もいる、すべての場所や状況などで、その他人をほとんど見ていない。」 などのように書いたり、言う場合、 「いつどんな場合も」は「本人だけでなく他人もいる」と「ほとんど見ていない」の両方にかかっているのか、それともそのどちらかだけにかかっているのか、どれが正しいでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.14

補足にお答えします。 >関知しないというのは、 このスレ内で○を付した箇所(など)も全て、 「(いつどんな場合も)本人から見て」と、その「本人」に限定せず、その「本人」も含めて、「(いつどんな場合も)他の人から見て」ということも含まれている、ということでしょうか(いつどんな場合も)? ⇒はい、おっしゃるとおりです。 そのように解釈することを妨げられない、ということです。

shinleo1918
質問者

お礼

一部訂正です→(など)のように、2つ以上の言葉にかかる説明が同じものの場合、※でそれらを示すとしたら、それらすべてに付ける※はそれらに数字などをつけず(※¹※²といったように)、すべて同じ※でも問題ないのでしょうか(上記例文などのように)?

Powered by GRATICA
shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに、 「現金を銀行以外で貯めておく場合は、家の※中の金庫※に入れておきましょう。」  ※どちらも「自分の」です。 などのように、2つ以上の言葉にかかる説明が同じものの場合、※でそれらを示すとしたら、それらすべてに付ける※はそれらに数字などをつけず(※¹※²といったように)、すべて同じ※でも問題ないのでしょうか(上記例文などのように)?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (13)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.13

補足にお答えします。 >どれも、関知はせず、そのように見ることを妨げない、とのことですが、見る人によって違いが出るのは御免です。 ⇒「言葉は一面心理的存在だ」と言われます。「十人十色」、残念ながら、見る人によって解釈上の違いが出るのは避けられることではありません。 >この場合は、やはり、それぞれに言葉を付け加えるしかないのでしょうか? ⇒再三申しましたが、それぞれに言葉を付け加える必要は豪もありません。そんな文にしたら、同義反復、冗長、非文の誹りを免れないでしょうね。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 関知しないというのは、 このスレ内で○を付した箇所(など)も全て、 「(いつどんな場合も)本人から見て」と、その「本人」に限定せず、その「本人」も含めて、「(いつどんな場合も)他の人から見て」ということも含まれている、ということでしょうか(いつどんな場合も)?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.12

>「(その本人とその他人が座っているか歩いているかなどに関わらず)」には「いつどんな場合も」は含まれているのでしょうか? また、 「いつどんな場合も本人から見て」と「いつどんな場合も誰から見て」なのかは「本人」だけに限定されないと見ることも、「本人」だけに限定する味方もできるのでしょうか? また、もし「本人」だけに限定して見ることができるのなら、以前指摘された箇所も全て「本人」だけに限定して見ることもできるのではないでしょうか? ⇒いずれも、そのように見ることを妨げないというだけです。 つまり、そのようなことは、本文の関知することではない、という意味です。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 どれも、関知はせず、そのように見ることを妨げない、とのことですが、見る人によって違いが出るのは御免です。 この場合は、やはり、それぞれに言葉を付け加えるしかないのでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.11

>No.7の補足に記している例文(など)の「本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、」の部分は、「本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる(その本人とその他人が座っているか歩いているかなどに関わらず)、」(など)ように書いたり、言う場合、「(その本人とその他人が座っているか歩いているかなどに関わらず)」には「いつどんな場合も」は含まれているとともに、「いつどんな場合も本人から見て」と「いつどんな場合も誰から見て」なのかは「本人」だけに限定されない、でしょうか? ⇒文字面では「本人」だけに限定されていませんが、そう解釈することを妨げてはいないと思います。(そうであればなおのこと、前便で述べたように、「いつどんな場合も」などの語句を「本人から見て」の前に補うことなど《無用の長物》となっるわけです。) いずれにせよ、本文の主部は「主語の誰・何であるか」を提示するだけでよく、ことさらその範囲を限定する必要はないわけです。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 つまり、 「(その本人とその他人が座っているか歩いているかなどに関わらず)」には「いつどんな場合も」は含まれているのでしょうか? また、 「いつどんな場合も本人から見て」と「いつどんな場合も誰から見て」なのかは「本人」だけに限定されないと見ることも、「本人」だけに限定する味方もできるのでしょうか? また、もし「本人」だけに限定して見ることができるのなら、以前指摘された箇所も全て「本人」だけに限定して見ることもできるのではないでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.10

>つまり、 もうそれら全てに、「いつどんな場合も本人から見て」と、「本人」だけに限定されないだけで、「いつどんな場合も本人から見て」もそれら全てに含まれているのでしょうか? ⇒はい、そう考えていいと思います。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに、No.7の補足に記している例文(など)の 「本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、 」の部分は、 「本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる(その本人とその他人が座っているか歩いているかなどに関わらず)、」 (など)ように書いたり、言う場合、 「(その本人とその他人が座っているか歩いているかなどに関わらず)」には「いつどんな場合も」は含まれているとともに、 「いつどんな場合も本人から見て」と「いつどんな場合も誰から見て」なのかは「本人」だけに限定されない、でしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.9

>最後の、「いつどんな場合も本人から見て」という意味を全てに込めるには、何か必要な文言やそういった文言の数、入れる箇所などがあれば、教えていただけたら幸いです。 ⇒その方法はありません。そもそも、述部に中にその語句があるのですから、同じ語句を主部にも入れたら、同義反復や冗長、いや非文になってしまいます。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 つまり、 もうそれら全てに、「いつどんな場合も本人から見て」と、「本人」だけに限定されないだけで、「いつどんな場合も本人から見て」もそれら全てに含まれているのでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.8

再々度の補足にお答えします。 >「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(それが一人であれば、それがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その(すべての)一人ひとりがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、(どんな風にであれ、)ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 冒頭の「いつどんな場合も」は、「○どんな風にであれ、○ほとんど見ていない(○意識的にも○無意識的にも)。○あるいは、○それに加えて、(○どんな風にであれ、)○ほとんど見えてもいない(○意識的にも○無意識的にも)」 の○の箇所全てにかかっているでしょうか? ⇒はい、その全てにかかっています。 >また、 既にニュアンスとして「いつどんな場合も」が含まれているのは以下の○の箇所全てでしょうか? 「○本人だけでなく他人もいる(それ、それらが○どんな人(○誰)で○どんな様子で○どんな言動をする人であれ)もいる、○すべての場所や○すべての状況、○すべての空間(○など)で、○その他人を(○それが○一人であれば、○それが○どんな人(○誰)で○どんな様子で○どんな言動をする人であれ、○その一人を、○それが○多勢であれば、○その(○すべての)○一人ひとりが○どんな人(○誰)で○どんな様子で○どんな言動をする人であれ、○そのすべてを)」 ⇒はい、「いつどんな場合も」は○の箇所全てに含まれています。 >さらにまた、それらは全て、 「いつどんな場合も本人から見て」 ということも既に含まれているでしょうか? ⇒いいえ、特に「本人から見て」という限定はかかっていません。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 最後の、「いつどんな場合も本人から見て」という意味を全てに込めるには、何か必要な文言やそういった文言の数、入れる箇所などがあれば、教えていただけたら幸いです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.7

補足にお答えします。 >「どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 は、 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない(△意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない(△意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のようにした場合、 2つの△の箇所(括弧の内の全て)にも「いつどんな場合も」は掛かっているのでしょうか? ⇒はい、仰せのとおり、「いつどんな場合も」の意味は、お尋ねの2つの△の箇所にも掛かっていると思います。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 またいくつか質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいてるうえでお答え願います)。 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(それが一人であれば、それがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その(すべての)一人ひとりがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、(どんな風にであれ、)ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 冒頭の「いつどんな場合も」は、 「○どんな風にであれ、○ほとんど見ていない(○意識的にも○無意識的にも)。○あるいは、○それに加えて、(○どんな風にであれ、)○ほとんど見えてもいない(○意識的にも○無意識的にも)」 の○の箇所全てにかかっているでしょうか? また、 既にニュアンスとして「いつどんな場合も」が含まれているのは以下の○の箇所全てでしょうか? 「○本人だけでなく他人もいる(それ、それらが○どんな人(○誰)で○どんな様子で○どんな言動をする人であれ)もいる、○すべての場所や○すべての状況、○すべての空間(○など)で、○その他人を(○それが○一人であれば、○それが○どんな人(○誰)で○どんな様子で○どんな言動をする人であれ、○その一人を、○それが○多勢であれば、○その(○すべての)○一人ひとりが○どんな人(○誰)で○どんな様子で○どんな言動をする人であれ、○そのすべてを)」 さらにまた、それらは全て、 「いつどんな場合も本人から見て」 ということも既に含まれているでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.6

補足にお答えします。 >では、×を付けられたところは全て、冒頭の方の「いつどんな場合も」が掛かっているという味方をするのは間違いなだけで、既にそれらに「いつどんな場合も」というニュアンスが含まれている、と見るほうが正しいのでしょうか? ⇒はい、そう見てよいと思います、少なくとも、そう見ることを妨げないと思います。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに、 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 は、 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない(△意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない(△意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のようにした場合、 2つの△の箇所(括弧の内の全て)にも「いつどんな場合も」は掛かっているのでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.5

再度の補足にお答えします。 >例文(など)のように「いつどんな場合も」が一つあるだけで、 「(×いつどんな場合も本人から見て)それ、それらが(×いつどんな場合も)どんな人で(×いつどんな場合も)どんな様子でどんな(×いつどんな場合も)言動をする人であれ」であり、 「それが一人であれば、(×いつどんな場合も本人から見て)それが(×いつどんな場合も)どんな人で(×いつどんな場合も)どんな様子で(×いつどんな場合も)どんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、(×いつどんな場合も本人から見て)その一人ひとりが(×いつどんな場合も)どんな人で(×いつどんな場合も)どんな様子で(×いつどんな場合も)どんな言動をする人であれ、そのすべてを」 であり、 「(×いつどんな場合も)本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で」 であり、 「(〇いつどんな場合も)どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない」 である、というような掛かり方を各々しているのではいのか?、 ということなのですが、 どうでしょうか? ⇒わずか1か所、〇をつけた「(いつどんな場合も)どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない」というところだけが有効で、それ以外の×をつけた部分はすべて、次に出てくる語句とは無縁です。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 では、×を付けられたところは全て、冒頭の方の「いつどんな場合も」が掛かっているという味方をするのは間違いなだけで、既にそれらに「いつどんな場合も」というニュアンスが含まれている、と見るほうが正しいのでしょうか? また仮に、それも間違いであるとすれば、 冗長かどうかは置いておき、それらすべて各々に「いつどんな場合も」という意味も付け加えるにはどうすればよいでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9739/12120)
回答No.4

補足にお答えします。 せっかくいいろ書いていただきましたが、いずれも無用にゴテゴテしているだけで、不要な言葉が多すぎると思います。「いつどんな場合も」は1か所で事足ります。 ⇒つまり、「人はいつどんな場合も(他人をほとんど見ていないし)、本人だけでなく他人もいるすべての場所や状況などで、その他人をほとんど見ていない。」です。 カッコ内は、「人はいつどんな場合も」が「他人をほとんど見ていない」にかかることを示すためにあえて入れましたが、通常はこの部分(カッコ内)も要りません。 結局、結論としてはこうなります。 「人はいつどんな場合も、本人だけでなく他人もいるすべての場所や状況などで、その他人をほとんど見ていない。」と言うだけ十分伝わります。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 質問の仕方が悪かったかもしれません。 例文(など)のように「いつどんな場合も」が一つあるだけで、 「(いつどんな場合も本人から見て)それ、それらが(いつどんな場合も)どんな人で(いつどんな場合も)どんな様子でどんな(いつどんな場合も)言動をする人であれ」であり、 「それが一人であれば、(いつどんな場合も本人から見て)それが(いつどんな場合も)どんな人で(いつどんな場合も)どんな様子で(いつどんな場合も)どんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、(いつどんな場合も本人から見て)その一人ひとりが(いつどんな場合も)どんな人で(いつどんな場合も)どんな様子で(いつどんな場合も)どんな言動をする人であれ、そのすべてを」 であり、 「(いつどんな場合も)本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で」 であり、 「(いつどんな場合も)どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない」 である、 というような掛かり方を各々しているのではいのか?、 ということなのですが、 どうでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をほとんど見ていない」 と 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をあまり見ていない」 は同じ意味でしょうか? また、「ほとんど~ない」、「あまり~ない」 は、頻度と程度の両方を意味しているのでしょうか? それとも、頻度=程度、ということなのでしょうか?

  • お答えいただけましたら幸いです。

    ①「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどを見る」 ②「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどが見える」 などのように書く(言う)場合、 「見る」、「見える」 はそれぞれどういう意味になるでしょうか。

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「他人もいる場所(街中や電車内など)」 「他人もいる状況(街中や電車内など)」 「他人もいる空間(街中や電車内など)」 などのように書く(言う)場合、 上の「場所」、「状況」、「空間」 以外で、それらとニュアンス(意味)が異なり、「他人もいる~~」となるような 言葉などはあるでしょうか? あれば全て教えていただけましたら幸いです。

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 他人が見えている」 などのように書く(言う)場合、 「見えている」は、 他人が視界に入ってはいるが、その人(達)を意識してはいない、つまり、「見ている」とは違うのでしょうか(違うとお考えになりますか)?

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「人は常に、他人もいる場所などではその他人に気を使う」 などのように書いたり、言う場合、 「常に」は、以下の表現全て(など)に掛かっているでしょうか?

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をほとんど(あまり)見ていない」 と 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人がほとんど(あまり)見えていない」 はどちらが正しく、どちらが自然でしょうか? また、それぞれどういう意味になるでしょうか?

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「他人もいる、街中や電車内などの場所や状況」 「他人もいる、街中や電車内などといった(いう)場所や状況」 などのように書く(言う)場合、 それぞれお互いにどういう意味の違いがあるでしょうか?

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「全ての他人もいる場所で、行動に気を使うことが大切」 「他人もいる、全ての場所で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合、 二つの意味の違いはなんでしょうか(なんだとお考えになりますか)?

  • お答えいただけましたら幸いです。

    「他人もいるすべての場所など」 などのように書いたり言う場合、 「他人もいる」(など)は、 形容詞でしょうか?

  • お答えいただけましたら幸いです。

    ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 他人を「見ていない」ことは頻繁にあっても、他人が「見えていない」ということはあまりないとお考えになりますか(ないでしょうか)?