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カネオ君 昆布ロード
昔昆布は北海道から富山迄海運でその後陸路で京まで運ばれ消費されたという話が出てきたのですがいまいち意味が分かりません。 富山人が昆布大好きでスーパーの棚が昆布で埋めつくされているのだから事実だとは思うのですが、なぜに北海道の物産が鶴賀ではなく富山で陸揚げされたのでしょう?
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#3です。 私も「北海道の昆布を京都に卸すなら北国街道(北陸道)だろ?」って思いました。なにぶん、カネオ君のその放送を見なかったので。 しかも敦賀から京都へのルートは「鯖街道」という別名がありますが、「昆布街道」というのは聞いたことがない。 それで、追加で調べてみたのです。 http://kyotokonbu.com/kyoto-konbu/connection/history.html 京都の昆布屋さんによると、北海道の昆布が京都に運ばれた主なルートは(やはり)敦賀から琵琶湖を経てとあります。 しかし流通量としてメインだったのは、上記ページにもあるように「北前船」だったと思います。そもそも昆布だしって関西の文化なんですよね。西日本全般に広く昆布だしが広まっていますが、これはおそらく北前船の影響だと思います。干鰯(干鰊)も北海道で作られて西日本を中心に普及しました。米も昆布も干鰯も北前船に乗せられて西日本(日本海~瀬戸内海)を回っていたのではないでしょうか。 そして「富山と昆布の関係」については、こんなものがありました。 https://www.info-toyama.com/stories/konbu 富山県公式の見解によると、富山に「おだし」が普及したのはどうやら明治以降の話のようです。 となると、「昆布は富山を経て京都に運ばれた」というのは、間違いではないものの、ちょっと事実誤認しかねない言い回しであるといえそうですね。 「新幹線は静岡を経て大阪に繋がった」みたいなね。まあ静岡は経ているけれど通り道だろみたいな。 番組を見ていなかったのでどういう流れだったのか分かりませんが、番組の流れ的にそういうものが欲しかったのでしょう。本来であれば「富山の薬売りと薩摩藩を絡めた密貿易」をネタにしたほうがいいのでしょうが、尺の関係でそこまで説明する時間もなく、また番組的に「そこで薩摩藩の話を持ってくると視聴者がそっちに引っ張られて話がとっ散らかる」となってそうなったのかもしれません。 「天下のNHKがウソ(みたいなこと)をいっていいのか!」と思うところもありますが、「突撃!カネオ君」は「NHKの皮をかぶった民放番組」です。 https://united-p.co.jp/showroom/nhk-%e6%9c%89%e5%90%89%e3%81%ae%e3%81%8a%e9%87%91%e7%99%ba%e8%a6%8b-%e7%aa%81%e6%92%83%ef%bc%81%e3%82%ab%e3%83%8d%e3%82%aa%e3%81%8f%e3%82%93/ 制作しているのはユナイテッドプロダクションズという会社で、「しくじり先生」や「マツコの知らない世界」などを作っています。割と手間暇かけて番組を作る会社じゃないでしょうか。 最近は天下のNHKもそういう番組が増えていて、それで最も成功しているのは、ご存知「チコちゃんに叱られる」だと思います。あれはもうほぼ全部吉本興業が作っています。それでNHKの視聴率が好調というのもありますね。インテリのNHKの職員が無理にバラエティを作ると「タローマン」みたいな客席の客のほとんどがポカンとして、数人だけ腹を抱えて笑ってるカルト芸人みたいなものになってしまいます。 私は「富山薬売りと薩摩藩の関係というネタがあったが、これに触るには尺が短すぎるのでそこは切って、富山を経て京都に運んだという話にした説」を唱えたいと思います。 そらちゃん、だいぶ大人びてきましたね。もうそろそろオトコを知っとるのかと下品な妄想が(以下自粛)
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- eroero4649
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https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no54/04.html という事情もあったようです。なかなか面白い話ですね。
お礼
薬売りが一緒に昆布も売った話ですか。 京都が該当するかはわかりませんが確かに軽く高価値の物を津々浦々に売るにはいいルートですね。 ご回答ありがとうございました。
- gunsin
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#1さん回答に一票です。 商人魂が生んだ発想の転換ですね。 敦賀⇒琵琶湖⇒京都&大阪のルートは確立されていて、新規の 参入は難しいので、富山ルートを考えのだと推察します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 紀州のみかんは陸路で江戸まで運んでいました、太平洋側は 黒潮の影響で潮流が複雑で江戸に行くには不可能とされてました。 紀伊国屋文左衛門は船での航路を確立して、早く大量にミカンを 運んだので稀代の豪商として歴史に名を刻みました。 発想の転換と、それを実行する勇気と度胸を有する、好例ですね。
お礼
米の廻送ルートとは別の商人が参入した、あるかもしれません。ご回答ありがとうございました。
- 0120aq1
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鶴賀に行くには能登半島を大回りしなくてはならないから。 富山から京都へは途中、名古屋も通れるし、何も無い海沿いを行くよりもメリットが有る。
お礼
富山京都に名古屋経由はちょっと一般的ではないように思えますがどうでしょう。 ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 くだんの昆布ロードの話は北前船より前の時代の話でしょうから、まあそこはいいのですがそれにしてもやはり富山よりは敦賀ですよねえ。 話半分としておきましょう。ご回答ありがとうございました。