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エリザベス一世とメアリー・スチュアート

この時代を描いた映画が好きなのですが、わからないことが多いです。 ・二人は血のつながりがありますか。 ・エリザベスはメアリーがスコットランド女王であることがなぜ気に入らないのですか。 ・当時、カトリックかプロテスタントかということが重要視されていたようですがなぜですか。

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  • eroero4649
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回答No.1

>二人は血のつながりがありますか。 メアリー1世は、エリザベス1世の父親の妹の孫になります。エリザベス1世から見ると「いとこの子」ですね。 >エリザベスはメアリーがスコットランド女王であることがなぜ気に入らないのですか。 イギリス史は詳しくないのですが、スコットランド女王であることが気に入らないというより、メアリー1世もイングランド王位の王位継承権がないとはいえず、実際にメアリー1世自身も自分にはイングランド王位の継承権があると主張していたみたいなので、そりゃエリザベス1世からすると危険極まりないですよね。 >当時、カトリックかプロテスタントかということが重要視されていたようですがなぜですか。 プロテスタントの語源は「プロテスト(抵抗する)」という言葉です。プロテスタントとは「抵抗する人々」という意味なんですね。じゃあ何に抵抗していたのかというと、カトリックに対してです。 これね、我が国の宗教で例えるなら顕正会と創価学会みたいなものなんですよ。元は同じ宗教なのです。イスラム教にもスンニ派とシーア派ってのがありますが、元が同じ宗教から分派するのは、カトリックとプロテスタントも、スンニ派とシーア派も、創価学会と顕正会も、みんな激しく対立するんですよ。 カトリックからするとプロテスタントは「異端」なので許すことはできないのです。 イングランド国教会は世界で初めて「国の公式のプロテスタント教会」になったところなので、カトリックからすると「絶対に許せない超裏切者」なのです。それが16世紀、日本でいうと戦国時代頃の話です。 ちなみに日本でもカトリックのイエズス会(スペイン、ポルトガル)とプロテスタントのイングランド、オランダとの間の綱引きがあり、徳川幕府はカトリックのイエズス会と袂を分かったので、プロテスタントのオランダを唯一の交易相手として残したのです。 イングランド国教会とカトリックが和解するのは、1982年に当時のローマ教皇だったヨハネ・パウロ二世がイギリスを訪問するようになってからです。なんと448年経ってからの和解でした。 しかしヨハネ・パウロ二世の「異教徒に融和的な姿勢」は原理主義者の強い反発を買い、ヨハネ・パウロ二世は度々暗殺されかかりました。そのくらい、宗教対立というのは難しいのです。

1buthi
質問者

お礼

ありがとうございました。十分勉強になりました。 ・複雑な姻戚関係を教えていただきよくわかりました。 ・エリザベス一世は性格がきつそうでメアリーの押しが足りませんでした。 宗教という信心の源が問題や争いの源でもあるということに考えさせられるところがあります。

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