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戦国時代、武将たちの年始の挨拶について
戦国時代の年始は、主君が自分の居城に家臣たちを招いて、饗応するイメージがありました。 しかし、よくよく調べたところ、主要な家臣のところに主君が出向き、饗応を受ける御成始というものがあることを知りました。 しかし、御成始は鎌倉・室町時代の儀式らしく、戦国時代にも行われていたのか詳しく書いていませんでした。 また、幕府の儀式として存在していたらしいので、戦国大名に当てはまるのか分かりませんでした。 そこで、戦国時代の年始は、家臣が主君の居城に出向き挨拶するのか、主君が家臣のところに出向き挨拶するのか、あるいはそれ以外なのか、教えていただけないでしょうか? よろしくお願いいたします。
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どちらも「あり」でしょう。 最初 (元日) は孝徳天皇 (飛鳥時代) よりあった「朝賀の集い」から受け継がれているでしょうから、主君の下に集まって祝賀する筈です。 正月は元日のみ、或いは現代のように「松の内 (三が日)」というものではなく、御内年始 (仕事始め) は十日ですので、その間にいろいろな行事があり、行事の合間に上司が部下の饗応を受ける段取りも組まれた筈です。 乗り初め (幼子が初めて馬に乗る)、書き初め、歌詠 (連歌)、七草粥、流鏑馬……等々の正月行事は鎌倉時代から武家の行事として受け継がれてきたものですので、全てを行うわけではないとしても各地の戦国武将達に受け継がれたからこそ現在まで残っているものです。 ……なので、年始 (参り) は先ず主君の居城に集まって年始を言祝ぎ、その後、御内年始までの数々の儀式の合間に主君が主だった家臣の饗応を受けるというものだっただろうと思います。 まぁ昔から仲の良い重臣達のところへ行って奥方や子供達に愛想を振りまいて家庭内不和を封じ、幼年時代より世話になった恩ある家臣の下に年始の挨拶をするのも主君の務めでしょうし、その際に家臣に対して刀剣や筆道具といった武士の魂を下賜することが「お年玉」の源になったとも言われます。
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- oska2
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>戦国時代の年始は、家臣が主君の居城に出向き挨拶するのか、主君が家臣のところに出向き挨拶するのか 両方です。 と言うと、身も蓋もありませんが・・・。 正月に家臣が主君の元(館・居城)に行くのは、公式行事。 主君が、主要家臣の元へ出向くのは私的行為。 公式行事では、主君は家臣全体・総勢に話すだけですよね。 対して、私的行為では「信用できる家臣と直接会話」が出来るのです。 家臣の方も「我が主君は、私を信用してくれている」と、もっと忠勤しますよね。 これも、主君の目的の一つらしいです。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 教えていただきありがとうございます。
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