• 締切済み

障がいや病気のある人はなぜ否定されてきたのですか?

昔は古今東西、障がい、病気のある子供の殆どは殺されたり、中絶されていたそうですが、昔は倫理観が希薄だったのでしょうか? あの倫理的な哲学者のプラトンでさえ肯定していたらしいのですが、当時は障害者や病人は人間だと思われていなかったのでしょうか? 医療には違いはあると思いますが、昔は何より宗教が強かったので障害者は不吉な者と思い込まれていたのでしょうか? いつの時代から今のように障害者や病気のある人は肯定されるようになったのでしょうか? 日本は他国と比べてどうでしたか? 倫理的な問題のせいであっても、人間の根源的な本能からくる感情が原因なので、今後も環境によっては昔のような倫理観に逆戻りする可能性はあるのでしょうか?

みんなの回答

回答No.12

醜いからです

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.11

あと、もう一つ、重要なことを言い忘れてしまいました。 「本人の意思の尊重」です。 ・・・コレは、「法律における本人と代理人の関係」にも、通じるモノが、有りますねえ

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.10

>「管理」色 ちょっと、補足させて下さい。 それぞれの施設や、運営ごとに、そうした「色」がどこまでか、というのは、それぞれになっていると、思います。 また、「施設を出て、地域社会へ」というのは、もう、小生が生まれる頃(50年前)から、そうしたことを目指した当事者たちが居て、現在では、欧米では「施設を全廃(全員、地域社会で暮らす)」ということも、有るようです。 (曰く)「自分で作ったカップ麺は、本当に美味かった」 また、「ニーズ」というのも、キーワードでして、 (玉木幸則)>「「アナタは、何等級と認定されましたから、月に幾らまで、サービスを使えますよ」ではなく、「その人その人のニーズに応じて、必要なモノを必要なだけ」という、(福祉)サービス供給にするのが、望ましい」 ・・・おそらく、ケアマネみたいな立場の人たちが、もうちょっと頑張らないと、という感じですか。(現場の人手不足、ということも、あるかもしれないですけど) (曰く)「人件費をケチると、結局、それなりのモノになってしまう」 また(曰く)「日本の福祉関係者というのは、役所の方を向いて「何をすればいいの?」と思っているが、理想としては、利用者を見て「コレが、必要なんです!」と声を上げなければならない」

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.9

reo187286様、おはようございます。 ちょっと、かなり一部分だけ。 小生が聞きかじっただけの内容ですが、 >いつの時代から今のように障害者や病気のある人は肯定されるようになったのでしょうか? 戦争中でも、「役に立ち」さえすれば、まあ、使われた、ということらしいです。 逆に、戦後は「生産性阻害要因」として、「福祉」の名の下に隔離されたりして、「労働力」たる家族のほうが優先されたりしたようです。 現在では、「誰にとっても住みやすい社会が、誰にとっても住みやすい社会(・・・当たり前か)」ということで、「ここからが、フツーですよ」?みたいなことは、少なくとも公的には言われないと思います。 小生の見聞してきたところでは、「弱者に奉仕」というよりは、どちらかというと「管理」色が強いのが、日本の特徴でしょうか? 拙いことで、済みません。

  • 4500rpm
  • ベストアンサー率51% (3211/6286)
回答No.8

太古より人間は生きるために、農業や狩猟、漁業などを行ってきました。 近年になるまで、これらを行うためには労働力としての人手が必要でした。このため、昔は、子沢山の大家族であり、農繁期には家族総出で手伝うことか、当たり前でした。 このような状況では、障害や病気の人間は労働力とならず、かえって、食料を食べるだけの不要な人間と考えてしまうのは、仕方ないことだと思います。 将来、気候の変化で食料が少なくなったり、戦争などで国家レベルで貧乏になったりして、余裕かなくなってしまうと、昔のような状況に戻るかもしれません。

  • takochann2
  • ベストアンサー率36% (2420/6678)
回答No.7

 丈夫で優秀な個体(遺伝子)を残そうとする野生動物本来の原始的な感情(習性)があったのかもしれません。  あるいは、今では治る病も、昔は苦しい不治の病であったかもしれないし、不便な昔は肢体不自由は寝たきりといえるほどの不自由さであったかもしれません。今でも癌の終末期や高齢で何もかも不自由になった老人などが命を絶と事を望むのと同じ心境なのかもしれません。  さらには、慢性的に食糧不足であった昔は、元気に生まれてきた子供ですら間引かれる時代でしたので、労働力にならない障害者はやむを得ず間引かれたのでしょう。  倫理観だけで片付けられる問題ではなかったと思います。

  • DESTROY11
  • ベストアンサー率23% (804/3490)
回答No.6

人間社会は「教育を受けた健常者」を基準に構築されております。 障害者に対応出来るようにするためにはコストや手間がかかるため排除していたと考えます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34517)
回答No.5

現代でも生まれてくるまでその子が障害を持っているかどうか、手足がないような明らかなものじゃない限り分からないですよ。ましてや超音波検査機なんてのがなかった時代にはお腹の子供が健康なのか障害なのかは生まれてみないと分かりませんでした。 だから「障害児だから中絶する」ってのは技術的に可能になったのは羊水の検査ができるようになったここ数十年くらいのことだと思います。 また日本のような医療先進国でもある時代までは、アフガニスタンのような医療が行き渡ってないような国では現代でも、障害を持って生まれてきた子が生き永らえるのは難しい環境というのはあると思います。日本では元々手足がなくて自分から嚥下する能力がない人でも生きていくことはできますが、余程のお金持ちの家じゃない限りそんな子が生きていけない国というのはまだ沢山あるでしょう。 インドじゃ障害を持って生まれると「神の化身」とされるそうですし、アステカ文明では「半ジャガー人」という神格化された存在がいたそうですが、その半ジャガー人は残った記録から推測するとダウン症のことを指していたのではないかという説もあります。ダウン症の子が生まれてきたら「これはジャガーの化身だ。神様の使いだ」とした可能性はあったと思いますね。 日本でも仙台四郎のような「縁起物」とされた障害者がいたことがありますね。 また北海道の縄文遺跡から、小児麻痺にかかって重い障害を持っていた人骨が発見されたのですが、この人骨には成長の痕跡が見られました。つまり、重い障害を持って寝たきりの状態だったけれど介護を受けてそれなりの期間生きていたことが分かったのです。 つい100年くらい前まで、人類にとって一番恐ろしいのは疫病でした。生まれつきで障害を持っているのは別にうつるものではないですが、うつる病気はこちらに被害が出る可能性があり、ある時代まではそれに対して成す術が存在しなかったのでうつる病気を持った人のほうが差別されることになりました。 その代表例がハンセン病(らい病)です。ハンセン病はらい菌という細菌によって発症するもので、らい菌じたいはとても弱い菌なのですが、ハンセン病を発症すると顔や指が溶けたようになってしまうのでとても恐れられました。なのである時代までは日本でもハンセン病にかかった人たちは強制的に隔離されていたのです。 旧約聖書では、ハンセン病にかかった人は「神の呪いを受けた」とされて、人里離れた砂漠の地で暮らすことを強いられました。 うつる病気に感染した人が時に不当に差別されることがあるのは、現代も変わりません。 コロナウイルスに感染した人やサル痘に感染した人を異常に怖れる人は沢山いますよね。一時期のエイズなんかもそうでした。「同性愛者に触るとエイズやサル痘がうつる」と信じている人は現代でも大勢います。

  • OKbokujoo
  • ベストアンサー率24% (284/1160)
回答No.4

非常に残念な時代だったと思います・・・・ 端的に皆親子だけでも生きる事に必死であり、障害、病弱な子の面倒=親の負担比率が大き過ぎだったとも思います。 又、原因の特定が現代程解明されてなく、親の躾、本人の自覚ナシと断定しれていた可能性もありますね。 殺すという選択は他の周りの生活含め、一番早い解決法としたのでしょう・・・

  • FattyBear
  • ベストアンサー率33% (1532/4617)
回答No.3

私の考えですが。 「昔は倫理観が希薄だった」のではなくそのような子供は生きて行ける 可能性がほとんどない環境しかなかったのでそうせざるを得なかったのではと思います。動物の世界でも弱い子や障害のある子は見捨てられます。そうしなければ、親もろともに滅びてしまう可能性もあります。 昔はそれだけ生きて行く環境が厳しかったのだと思います。

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