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江戸時代。「村高」とは。
コトバンク「村高」の記事の一部です。 【村高】 豊臣秀吉以来の検地または石直(こくなお)しによって決定した田畑・屋敷の石高を一村限りに集計したもの。その村の、土地の公定生産高を示すものであると同時に、年貢・諸役の賦課基準とされたもの。 質問です。 「石高」には、「屋敷」も含まれるのですか。 田畑の石高にさらに、屋敷の石高に応じて年貢を納めたのですか。 屋敷の年貢率は、おおよそいくらくらい(例えば上畑並とか)だったのですか。 以上3問、教えてください。よろしくお願いいたします。
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太閤検地で1段あたり1石2斗と聞いております。 中田が1石3斗、下田が一石1斗ですのでその間ですね。 ただ全ての家屋について課税されたのか、一定以上の大きさとか条件があったのか(実用上当然あると思うのですが)寡聞にして私は知りません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり、家屋にも課税されていたのですね。 この情報だけで十分です。 あとは、検地帳を調べてみます。 検地帳は、検索したところ、いやゆうほど出てきましたから。