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アジアで活躍したリーダー

アジアで、毛沢東のようなカリスマ性やマネジメント力を持った人を探しています。毛沢東以外に誰かいますか? 歴史上でも今でも時代は問いません。

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  • eroero4649
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回答No.1

中国史はあまり詳しくないのですが、アジアで最強のカリスマリーダーは、やっぱりチンギス・ハーンになるのかなーと思います。世界征服の二歩手前くらいまでいきましたからね。もしあと10年モンゴル統一が早かったら、ヨーロッパはピレネー山脈まで、中東はエジプトまで、インドは北半分くらいまではモンゴル帝国になった可能性はあったかなと思います。 そしてね、もっとすごい話があるんですよ。実はアジア人男性の遺伝子を調べると、全アジア人男性のうち推定で約1600万人の男性に、ある共通の父親がいることが分かったのだそうです。今のところ、そんなことが可能だった男が歴史上に存在するとしたらそれはチンギス・ハーン以外にはいないのではないか、といわれています。なにせ「敵を撃滅して全部奪ってその妻と娘を犯すのが最高の快楽だよね」という言葉を残してらっしゃるくらいですからね。 日本史においては、やっぱり織田信長の存在が飛び抜けていたと思います。カリスマ性という点においては豊臣秀吉も並大抵ではないとは思います。けれど、秀吉も結局は信長の戦略を引き継いでいると思うので、戦略家という点から考えると信長というのは武田信玄公や上杉謙信公などのスター輝く戦国武将の中でも飛び抜けていると思います。戦略家というと信玄公を思い浮かべる人も多いと思いますが、実は武田政権て割と行き当たりばったりな面が多いです。「めちゃくちゃ勢力を伸ばして、何年も停滞する」をくり返しています。ただ信玄公の名誉のためにいえば、武田政権は合議制で家臣団の了承がなければ決められず、かつ当時の甲斐信濃は不作や飢饉も相次いでいて厳しい政権運営を強いられていたというのがありますけどね。 話を織田信長に戻せば、信長の戦略眼の凄まじさを示す二つのいい例が「桶狭間の合戦」と「長篠の合戦」です。 桶狭間の合戦は、その時点その時点だけで見ると選択肢としては絶対にありえない、危険な手ばかり打ってるんですよ。突然自分ひとりで出撃したのもそうですし、中島砦に向かって進軍したのもそうです。「絶対にそこでそれだけはあり得ない、無謀な選択肢」です。ところが合戦が終わってみれば、そのどれもがベストの手であったというとんでもない合戦です。まるで最初から最後まで信長が描いていたかのようです。あまりに完勝であったがゆえに、相手の今川義元は「海道一の弓取り」といわれるくらいの武名高い人だったのに「京都趣味の間抜けな凡将」にされたほどです。 長篠の合戦においても、あの当時にジリ貧に追い込まれていた武田勝頼が信長相手に逆転勝利を狙えるとしたら、勝頼が最も得意とする野戦に持ち込んで信長を敗退させることでした。信長の首をとる必要はありません。「信長より勝頼のほうが強い」と世間に知らしめればいいのです。だから長篠で勝頼は乾坤一擲の勝負に出ました。実際のところ、勝頼には他に手段はなかったのではないかなと思います。 しかし実際は、野戦に持ち込めた時点で信長の戦略的勝利は確定でした。信長にとっても勝頼が撤退されるほうがジリジリした神経戦が何年も続くことになるので嫌だったのです。 つまり信長は勝頼に「戦術的勝利」のエサをちらつかせて「戦略的勝利」に結び付けていたのです。とにかくその戦略的思考は「いったい何手先まで考えているのだろう?」と思うほどです。 ただ、信長はあの時代においてもそうでしたし、仮に現代に生まれたとしてもあまりに先進的過ぎて我々はついていけなかったと思います。いつの時代においても「早すぎた人」なのです。400年経っても時代が信長に追いついていません。きっと1000年後も時代は信長に追いつかないでしょう。だからあのような終わり方になったのだと思います。明智光秀は、信長が最も信頼している側近中の側近だったと思います。

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質問者

お礼

細かくありがとうございます。 チンギスハーンの遺伝子の話とても面白いです!!

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