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自動詞と他動詞の区別について
「教わる」「授かる」「恐れる」「怖がる」などをヲ格を取る自動詞とする辞書や文法書が少なくありません。 ・英語を教わる。・文化勲章を授かる。・彼を恐れる。・彼を怖がる。 たとえば、「文化勲章を授かる」は意味的には「文化勲章をもらう」と同じだと思いますが、どうして「授かる」-自動詞、「もらう」-他動詞となるのでしょうか。 その理由が分かりません。分かる方がいましたらお教えください。
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- kine-ore
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#8です。 >ご入力が多くてすみません。もちろん誤入力です。 : 了解です。 >「文化勲章を授かる」は意味的には「文化勲章をもらう」と同じだと思いますが、 : いわゆる遣り貰いの「三項動詞」には、「授ける」「与(あず)ける」など直接受身文にできるA群と、「もらう」「貸す」など直接受身文にできないB群があり、B群には「やる/くれる」「借りる」などが対応しています。 一方のA群の場合は、 A者がB者にC物を授けた。 ↓受身文 B者がA者からC物を授けられた。→授かった。 このように「授ける」の受身形「授けられた」の意味を持つ「授かる」は、他動詞の受身形としての自動詞的位置にあるとみることができます。 ですから「岩波国語辞典」では「授かる」を五段自動詞としています。 A者がB者にC物を与ける。 ↓受身文 B者がA者からC物を与けられた。→与かった。 ですから、「岩波国語辞典」でも「預かる」は他動詞五段ですが、「与る」は自動詞五段であってこの意味からは「預かる」とも書くとしています。
- kine-ore
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#7です。 >しかしながら、私は「恐れる」はヲ格の目的語を取るので自動詞とすべきだと思います。 : これも誤入力ですか。
- kine-ore
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#6です。 >「授かる」「恐れる」など・・・は誤入力です。 : では「恐れる」の方は自動詞と認めているのですか。 ならば、質問者が例外がないと断言されている「C」説と齟齬が生じるのではないでしょうか。
補足
「恐れる」を他動詞としている辞書もありますが、自動詞としている辞書が圧倒的に多いのは事実です。 しかしながら、私は「恐れる」はヲ格の目的語を取るので自動詞とすべきだと思います。 他動詞を意味で定義すると混乱が生じます。事実、多くの辞書では記載がバラバラです。 したがって、他動詞の定義は「ヲ格の目的語を取る」と構造(用法)で定義すべきだと思います。日本語教育ではこの方が便利で間違いが生じません。
- kine-ore
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先行の質問は閉じられていますので、こちらにて触れさせてもらいます。 >「授かる」「恐れる」などを自動詞としている辞書は、三省堂の新明解国語辞典など少数で、岩波書店の広辞苑、小学館の日本国語大辞典など多くの辞書では他動詞としています。 : 「恐れる」は次のように自動詞になっています。 広辞苑(第二版):自動詞下一段→おそる・自動詞下二段 岩波国語辞典(第六版):自動詞下一段 「小学館の日本国語大辞典」 これの成果の上に立った一巻本では、 国語大辞典(小学館)自動詞ラ行下一段 私の辞書の中では「ベネッセ表現読解国語辞典」だけが「動詞・下一段・他動詞」となっています。 ちなみに国立国語研究所「動詞・形容詞問題語用例集」においては、 「言海」はじめ1950-60年代の国語辞書12種において、自他が決めにくい語の用例が200語余りのていますが、その中で「恐れる」は12辞典全てが自動詞となっています。 一方、同書によれば「さずかる」では次の通りです。 A)自動詞 言海・明解国語・三省堂国語・岩波国語 例文:「いつか私のやうな者にも…美しい花嫁が授かりますやうに!」(三島由紀夫「潮騒」) B)他動詞 大日本国語・辞苑・広辞苑・角川国語・新選国語・三省堂中辞典 例文:「三十分乃至一時間稽古を授かり帰宅後日の暮れまで習って来たものを練習する。」(谷崎潤一郎「春琴抄」) C)自他両方 講談社国語「(五段自他)授けられる。いただく。be gifted。」 なお、この12種外ですが、「学研国語大辞典」でも自他両方で例文として三島由紀夫「潮騒」の「花嫁が授かりますように」と、「子宝を授かる」が載っています。 事程左様に、自他動詞の判別には困難な問題があることから、学校文法でもあまり重視しない傾向にあるようです。 ですから格助詞では主語を示す「が・の」以外はみな連用修飾語の括りにおけて、例としては、「本が読みたい」「手紙を書く」は共に「対象」として、「川を渡る」「野原に咲く」は共に「場所」としています。
補足
>「授かる」「恐れる」など・・・は誤入力です。 次のように訂正します。→「授かる」「教わる」などを自動詞としている辞書は、三省堂の新明解国語辞典など少数で、岩波書店の広辞苑、小学館の日本国語大辞典など多くの辞書では他動詞としています。 自動詞と他動詞についてはいろいろな定義があり、辞書や文法書によって異なった表記がされています。他動詞の定義の中から、主なものをまとめると次のとおりになります。 a. 動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする動詞 b. 直接受け身になることができる動詞 c. ヲ格の目的語をとる動詞(移動動詞の出発点や通過点は目的語ではありません。) a. について 「自動詞・他動詞の別は、動詞の効果が及ぶのが動作主体であるのか、あるいは客体であるのかによる。」との考え方があり、「その学生は大学を卒業した。」の場合、動詞の動作の前後で変わるのは動作主体の「学生」で、大学は変わらないから 「卒業する」は自動詞だとする辞書や文法書があります。しかしながら、「見る」「写す」「好む」「学ぶ」「想像する」など動詞の効果が客体に及ばない他動詞はいくらでもあります。 また、日本語では他動詞であっても、外国語では自動詞と他動詞の両方が存在するものがあります。例えば、「見る」は英語ではto see他動詞、to look at自動詞、ルーマニア語ではa vedea他動詞、a se uita自動詞などがあります。 また、「会う」や「卒業する」のように言語によって自動詞・他動詞が異なるものもあります。「会う」は日本語では自動詞ですが、英語to meet、ルーマニア語a întâlni他動詞、a se întâlni自動詞、ロシア語ではвстречать他動詞、встречаться自動詞、「卒業する」は英語to graduate from自動詞、ロシア語закончить他動詞、ルーマニア語a absolvi他動詞などがあります。同じ言語では偶然会うのか約束して会うのかなどの意味の違いで自他を使い分ける場合があります。 これらのことから、「動詞の効果が客体に及ぶかどうか」ということで自動詞・他動詞の判断をすることには疑問があります。 b. について 日本語においては、受け身になる自動詞があり、直接受身についてもいろいろな定義が存在します。例えば、「日本語文法ハンドブック」(スリーエーネットワーク)では、「能動文のヲ格やニ格の名詞句を受身文の主語にするタイプ:直接受身・・・能動文にない名詞句が受身文の主語になるタイプ:間接受身」と記載されています。 この定義によると、「吠えるー吠えられる」など直接受身になる自動詞がいくらでも存在します。また、他動詞の受動詞は他動詞でも受身形がありません。 したがって、b. の定義では自動詞・他動詞の区別はできません。 c. について この定義には例外がないばかりでなく、自動詞・他動詞の区別が簡単明瞭で、日本語教育においても便利です。岩波書店の「国語辞典」や「基礎日本語文法」(くろしお出版)などはこの定義によっています。
- Nakay702
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質問者からの補足「自動詞と他動詞について」、ありがたく拝見しました。 QAサイトの、QとAの担当が逆転して観がありますね。いやはや、お粗末な回答者で申し訳ありませんでした。そして、数々のご教示、ありがとうございました。
- Nakay702
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再三の「補足」をありがとうございました。 >「授けられる」は受動詞ではありません。動詞の受身形で受け身動詞と言われています。 >「授かる」は他動詞の受動詞で、他受動詞と言われています。 >「もらう」は他動詞の受動詞で、他受動詞です。 >「もらわれる」は受動詞ではありません。動詞の受身形で受け身動詞と言われています。 >なお、自動詞の受動詞もあり、自受動詞と言われています。 >「見つかる」は自動詞の受動詞で自受動詞と言われています。 >「見つけられる」動詞の受身形で受け身動詞とも言われています。 >また、受動態というのは動詞の種類ではなく、文章全体の態(voice)のことだと思います。⇒「受け身動詞」や「受動態」についてのご指摘はしかと了解しました。 「受動詞、他受動詞・自受動詞」のご説明は、よく分かりますが、術語自体はまったく存じませんでした。おもに参照している国語学会編『国語学辞典』などにも言及なく、私にとってはまったくの新情報でした。 私は「表現法の開発」という意味で、日本語の構造には大いに関心がありますが、正直、文法問題には弱いです。とりわけこのたびは、新しい研究動向に疎いことを強く思い知らされました。すみません、遅きに失しました。どういうことかと申しますと、このご質問は、私ごとき門外漢の出る幕ではない、ということをこの段階ではじめて認識した次第です。どうも失礼しました。これまでの方向音痴的な「回答」をお詫びします。
補足
自動詞と他動詞について これについてはいろいろな定義があり、辞書や文法書によっても異なった表記がされています。他動詞の定義の中から、主なものをまとめると次のとおりになります。 a. 動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする動詞 b. 直接受け身になることができる動詞 c. ヲ格の目的とる動詞(移動動詞の出発点や通過点は目的ではありません。) a. について 「自動詞・他動詞の別は、動詞の効果が及ぶのが動作主体であるのか、あるいは客体であるのかによる。」との考え方があり、「その学生は大学を卒業した。」の場合、動詞の動作の前後で変わるのは動作主体の「学生」で、大学は変わらないから 「卒業する」は自動詞だとする辞書や文法書があります。しかしながら、「見る」「写す」「好む」「学ぶ」「想像する」など動詞の効果が客体に及ばない他動詞はいくらでもあります。 また、日本語では他動詞であっても、外国語では自動詞と他動詞の両方が存在するものがあります。例えば、「見る」は英語ではto see他動詞、to look at自動詞、ルーマニア語ではa vedea他動詞、a se uita自動詞などがあります。 また、「会う」や「卒業する」のように言語によって自動詞・他動詞が異なるものもあります。「会う」は日本語では自動詞ですが、英語to meet、ルーマニア語a întâlni他動詞、a se întâlni自動詞、ロシア語ではвстречать他動詞、встречаться自動詞、「卒業する」は英語to graduate from自動詞、ロシア語закончить他動詞、ルーマニア語a absolvi他動詞などがあります。同じ言語では偶然会うのか約束して会うのかなどの意味の違いで自他を使い分ける場合があります。 これらのことから、「動詞の効果が客体に及ぶかどうか」ということで自動詞・他動詞の判断をすることには疑問があります。 b. について 日本語においては、受け身になる自動詞があり、直接受身についてもいろいろな定義が存在します。例えば、「日本語文法ハンドブック」(スリーエーネットワーク)では、「能動文のヲ格やニ格の名詞句を受身文の主語にするタイプ:直接受身・・・能動文にない名詞句が受身文の主語になるタイプ:間接受身」と記載されています。 この定義によると、「吠えるー吠えられる」など直接受身になる自動詞がいくらでも存在します。また、他動詞の受動詞は他動詞でも受身形がありません。したがって、b. の定義では自動詞・他動詞の区別はできません。 c. について この定義には例外がないばかりでなく、自動詞・他動詞の区別が簡単明瞭で、日本語教育においても便利です。岩波書店の「国語辞典」や「基礎日本語文法」(くろしお出版)などはこの定義によっています。
- Nakay702
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再度の「質問者からの補足」をありがとうございました。 能動詞と受動詞について恥ずかしい勘違いをしてしまいました。 またも仕切り直しをして、箇条書きで以下のとおりお答えします。 ①動詞の語尾「~ける → ~かる」の変換は、例えば「受ける → 受かる」、「助ける → 助かる」、「儲ける → 儲かる」のように、他動詞の自動詞化と見えます。しかし、「授ける - 授かる」、「預ける - 預かる」のように自動詞化せず、他動詞のままという例もあります。 ②そこで、さらに詳細に比較観察すると、この「~ける → ~かる」の変換は、実は能動態とか受動態とかの態の限定を拒絶する、いわば「中間態化」であることが分かります。ということは、例えば「受かる」は自動詞の中間態で、「授かる」は他動詞の中間態ということになると思われます。 ③このように「~かる」は自動詞の受動態も他動詞の受動態も拒絶するので、それなら能動態になるかというとそうではなく、「能動・受動に関知しない」わけで、これが中間態の特徴と言えるでしょう。 ④「授ける」を例にとって態の全体を考えると、「授ける」(能動態)・「授けられる」(受動態)・「授かる」(中間態)という、いわば「三すくみの相補分布」という格好が浮かび上がってきます。 ⑤そこで、最後に、お尋ねの「授かる」と「もらう」について、自動詞・他動詞、能動詞・受動詞、能動態・受動態・中間態などの別を整理するとこうなると思います。 ・「授ける」=他動詞、能動詞、能動態 ・「授けられる」=他動詞、受動詞、受動態 ・「授かる」=他動詞*、受動詞、中間態 (*これを自動詞とするのは誤りだと気づきました。) ・「もらう」=他動詞、受動詞、能動態 ・「もらわれる」=他動詞、受動詞、受動態 以上です。まだ、勘違いや間違いがあるかも知れません。 間違い・疑問点等、見つかりましたら、どうぞまたご指摘ください。
補足
>・「授けられる」=他動詞、受動詞、受動態 >・「授かる」=他動詞*、受動詞、中間態 >・「もらう」=他動詞、受動詞、能動態 >・「もらわれる」=他動詞、受動詞、受動態 「授けられる」は受動詞ではありません。動詞の受身形で受け身動詞と言われています。 「授かる」は他動詞の受動詞で、他受動詞と言われています。 「もらう」は他動詞の受動詞で、他受動詞です。 「もらわれる」は受動詞ではありません。動詞の受身形で受け身動詞と言われています。 なお、自動詞の受動詞もあり、自受動詞と言われています。 「見つかる」は自動詞の受動詞で自受動詞と言われています。 「見つけられる」動詞の受身形で受け身動詞とも言われています。 また、受動態というのは動詞の種類ではなく、文章全体の態(voice)のことだと思います。
- Nakay702
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「質問者からの補足」を拝見しました。 >「授ける - 授かる」という対は、他動詞と自動詞の対ではなく、いずれも他動詞であるが、能動詞と受動詞の対だと思います。日本語文法事典(日本語文法学会編)P-256には、次にように書いてあります。「次のような動詞の対は、いずれも他動詞であるが、やはり項の増減を伴わない。 (12)a. 生徒が先生に算数を教わった。 b. 先生が生徒に算数を教えた。」 ⇒ご教示くださり、ありがとうございます。 あまり確信はありませんが、最初から仕切りなおして、以下のとおりお答えします。 確かに、「授ける - 授かる」は、他動詞・自動詞の対とは言えないかも知れませんね。事実、「受ける - 受かる」、「助ける - 助かる」、「儲ける - 儲かる」のように「~ける → ~かる」の変換が多く自動詞化を示す一方、「授ける - 授かる」や「預ける - 預かる」のように自動詞化しない例もありますね。 では一体、この「~ける → ~かる」の互換はいかなる機序を語るのでしょうか。これらは、お示しのような能動と受動の対をなす語類でしょうか。一見、そうかも知れないと思われますが、いくつか疑問が残ります。本来、受動態とは、例えば「授ける」に対して「授けられる」、「預ける」に対して「預けられる」のように、「~られる」などの語形が担う態ですよね。すなわち、能動・受動を弁別するのは「~る - ~れる・られる」の対であって、「~ける - ~かる」の対にそういう弁別機能があるようには見えませんよね。 それでは、この「~ける - ~かる」は何でしょうか。私の個人的感覚ですが、この「~ける → ~かる」の変換は《「能動態-受動態」の別を中和する、すなわち、「中間態化」する役割を果す》のではないかと思うのです。「授ける」という能動性や「授けられる」という受動性の意味機能の差異を中和する、もっと言えば、《その区分の働きを拒絶する》のではないかと考えられます。 思うに、上で見たとおり、「~ける → ~かる」の変換が多く自動詞化を示す(上記のほかにも、「見つける- 見つかる、架ける - 架かる、まける(値引く) - まかる」など)のに対して、「授かる、預かる」がなぜ他動詞のままかと言うと、それは《動詞本体部(「授・預」の部分)の他動性による》のではないかと考えられます。これらの動詞形は、たとえ辞典では他動詞に分類されていても、「~かる」による自動詞性も合わせ持つと言えるので、厳密には「自動詞・他動詞」と両方を表示すべきではないか、というのが私の持論です。 中間態動詞の他動詞・自動詞の別は、その動詞が形成された時点の区分に従うはずですので、《「授かる」は、「~かる」の付加により自動詞化したので「自動詞」とされ、「もらう」はその本体部(「貰」の部分)の原義により「他動詞」とされている》ものと推測する次第です。
補足
「預かる」「教わる」「もらう」「いただく」などは受動詞と言われています。 授受については、物や恩恵のやり取りなのですべて他動詞ですが、授と受では方向が違っています。授受動詞の対については、「あげる-もらう」などのように別の動詞の場合もありますが、「教える―教わる」のように同じ語幹で語尾が変わるものもあります。なお、受ける場合の動詞を受動詞といいます。受動詞は受動態を使うことなく、ふつうの表現で受動態と同じ表現をします。ふつう受動態では能動態の主語を助詞「から」または「に」で表わしますが、受動詞の表現では「に」が使えない場合があります。能動態:彼は彼女に本を預けた。→ 受動態:彼女は彼から/に本を預けられた。受動詞:彼女は彼から本を預かった。(「彼女は彼に本を預かった。」は間違いです。)
- Nakay702
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>「文化勲章を授かる」は意味的には「文化勲章をもらう」と同じだと思いますが、どうして「授かる」-自動詞、「もらう」-他動詞となるのでしょうか。 その理由が分かりません。分かる方がいましたらお教えください。 ⇒「授かる」(という自動詞)の対としては、「授ける」という他動詞がありますが、「もらう」(という他動詞)の対となるような自動詞がないからでしょう。
補足
「授ける - 授かる」という対は、他動詞と自動詞の対ではなく、いずれも他動詞であるが、能動詞と受動詞の対だと思います。 日本語文法事典(日本語文法学会編)P-256には、次にように書いてあります。 「次のような動詞の対は、いずれも他動詞であるが、やはり項の増減を伴わない。 (12)a. 生徒が先生に算数を教わった。 b. 先生が生徒に算数を教えた。」
補足
>しかしながら、私は「恐れる」はヲ格の目的語を取るので自動詞とすべきだと思います。 自動詞 → 他動詞 ご入力が多くてすみません。もちろん誤入力です。 他動詞をその意味で定義した場合は混乱が生じるので、ヲ格の目的を取るかどうかで定義すべきだと思います。