- ベストアンサー
金鵄勲章に年金が付いたというのは本当ですか。
全国民対象の年金制度よりはるか以前にこういう制度があったのでしょうか。退役軍事の生活をどのくらい支えてくれたものだったのでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
流石に金鵄勲章の年金では、生活できないと思います。 (だいたい功七級の年金が当時のサラリーマンの1か月分の給与に相当。) 金鵄勲章の受勲者(例え最下級でも)は、都市部以外なら故郷の英雄、名士扱いされて各種式典に呼ばれる事も多くなりますから、年金は受勲者が、そういった場で恥をかかない程度の品位を保つための費用を給していると考えるのが妥当かと思います。 (戦前にスーツ等をしつらえたら、現代のインポートのフルオーダースーツを買うのよりもお金がかかってしまいますから。) ちなみに退役をした軍人の生活を支えたのは恩給の方で、こちらは退役直前(恩給を増やす為に、退役直前に昇進するのが通例です。)の1年間の俸給を元にした額(条件により激しく変わりますが1/3~2/3程度)が支払われます。 なお大正時代に大軍縮が実施され、その後に退役した軍人の生活状況の調査が行われており、その結果は以下の様になっています。 ・8割弱が再就職していない。(大尉以上だと再就職は本当に稀) ・再就職しない理由として多かったのが「恩給で最低限の生活ができるから」 ・ただし、都市部で家賃生活をするのは困難。 と言うわけで、恩給がもらえる位まで奉職すれば、田舎で晴耕雨読(軍人なので質素倹約の生活には慣れている)しながら子弟にそこそこの教育は施せる経済状況だったようです…。
その他の回答 (2)
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
はい。金鵄勲章に年金がついていた時代もありました。 1890年2月11日制定、1940年4月29日以降は年金から一時金に変更、第二次大戦後廃止、だそうです(ブリタニカ国際大百科)。 功一級から七級まであって、功一級の年金は900円、最下級の七級だと65円だそうです(ウィキペディア)。 ずっとこのままではなく、物価の変動で、時代によって上昇したのではないかと思われますし、このままだとしても、当時の一般年収が残念ながらわかりませんので、どれくらい退役軍人の生活をまかなえたのか判断できません。 まあ、常識的観点から言えば、最下級の65円に女房が内職をして、ギリギリの生活を営める程度ではなかったか、と私は想像します。 例えば年間1000円ないと生きて行けない物価情勢に、65円もらったって焼け石に水。生活できないわけでしょ。年金+αで生きられるくらいでないと意味を為さないと思うわけです。 反面、「日清戦争から太平洋戦争までの間に、約83万人の軍人に授与された」(ブリタニカ国際大百科)とありますから、それほど大盤振る舞いもできなかったと思われますので、65円で楽々暮らせることはなかっただろうと(αが必要だったろうと)推測します。 あくまでも、推測にすぎませんが。
お礼
軍人は引退が早かったと思われますが、やはり生活は苦しかったのでしょうね。
- f272
- ベストアンサー率46% (8529/18254)
金鵄勲章に年金が付いたというのは本当です。 > 退役軍事の生活をどのくらい支えてくれたものだったのでしょうか。 金鵄勲章を受章できたのはそれほど多くありません。受賞者数が増えてからは国庫負担が大きくなったので,年金ではなく一時金になりました。 年金制度としては,官吏等に対する恩給がありました。1875年に軍人に対するものとして始まって,1884年には文官に対しても制度ができました。現在は国家公務員共済となっています。
お礼
成程、制度としては現在まで続いているのですね。
お礼
軍人も公務員であったことが良く分かりました。軍国主義優先時代に国を守らなければという義務感で軍人になった人も多かったのでしょうね。