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「トップが殺されない国」ということについて
「考える日本史」(本郷和人著)に「トップが殺されない国」という項があります。下記はその原文です。 記 地位が必ずしも大きな力をもたない。権限をオーソライズしない。このことが日本史の特徴。その特徴がいちばん端的にあらわれるのは、政権が終焉を迎えるときです。 たとえば中国の皇帝は唐にしても明にしても、革命を迎えると最後の王様は殺されたり自害することになる。命を断つか、もしくは断たれるのが普通で、生きながらえることがない。つまり、いざというときはトップの地位にある者が責任をとることになる。 しかし日本の場合、鎌倉幕府の最後の将軍、守邦親王、室町幕府の十五代将軍、足利義昭、徳川幕府の十五代将軍、徳川慶喜と、これら誰ひとりとして、腹も切らなければ殺されもしていないのです。 ちがう言い方をすると、責任を取っていない。 この構図は、最終的には極東軍事裁判にまで引き継がれます。あの裁判のとき、判事が東條英機に「お前たちは天皇の命令に従って戦争を起こしたのか」と訊いた。すると東條は「そんなことはありません。天皇は戦争をしろとは一言も言ってない。天皇陛下はこの戦争とは関わりがありません」と答えた。そうすると判事が「ではお前たちは天皇の言うことを聞かない存在なのか」と確認すると、東條は「とんでもない。我々は天皇に忠実な臣である。天皇の意思に逆らうようなことはいたしません」と断言するのですが、これはどう考えても矛盾しています。矛盾しているのですが、東條のなかでは、この矛盾は矛盾ではなかったのでしょう。東條たちには絞首刑の判決がくだされますが、天皇には退位や財産の没収などの罰は与えられなかった。だからこそ戦後に大きな混乱がなかったと評価できますが、結局日本は、「地位」に権限もともなわなければ、責任もともなわない国、と言えます。 (以上) 本書の前後の関係から、日本では世襲の原理が強く働いていて、いわゆるトップが殺されない国(日本の特質)になった、というふうにも理解できるのですが、ただ、「なぜ、日本では、そうなのか、そうなったのか」というのが私には読み取れませんでした。 お考えを、教えていただきたいのは2点です。 1 なぜ、「日本の特質」になったのか???ということです。素人なりに、「極東に位置する島国であり、穏やかな気候・風土であり、外国との戦争(白村江の戦い、元寇を除いて)がなかったことが、トップの責任をギリギリと追及しない、というなあなあ主義というか、事なかれ主義のようなものを育んだのではないか???」というようなことも関係しているのではないかと思い浮かんだのですが、私がボーと考えたことに対する異論も含めて、皆さんのお考えを教えてください。 2 仮に、「考える日本史」にあるように、日本の特質として、「トップが殺されない国」というのがあるとすれば、この特質は、明治以降の社会、経済、文化的な交流の進展によって、失われた、あるいは失われつつあると理解してもよいのでしょうか???そもそも、「トップが殺されない国」ということに対する異論でも構いません。
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- cse_ri4
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日本に固有の政治事情として、「権威」と「権力」の分離があります。 近い例としては、キリスト教圏における教会と国王の関係、またはイスラム教圏におけるカリフとスルタンの関係があります。 で、日本で権威と権力が分離し、それぞれ別々の代表が建てられた結果、質問にあるように「トップが殺されない国」になったのです。 権力の交代時、まあ権力者どうしで殺し合いが起きます。 他国の場合、わかりやすいのは中国の皇帝や韓国の王ですが、権威と権力が分離されていないため、権威者と権力者がたいてい同一人物になります。 権力者が敗れて交代する時、権威者も同一人物ですので、そのまま死にます。 しかし日本では、権威者と権力者が別ですので、権力者が交代しても権威者が「あんたが大将」と新たに任命するだけで、別に死ぬ必要はないのです。 まあ、権力者の交代に従って、権威者も交代する時もあります。 鎌倉将軍がそうですが、その際はそのまま引退するだけで終わりです。 別に死ぬ必要はありません。 まれに権威者と権力者が争う時もあります。足利義明と織田信長の争いがそうですが、織田信長は追い出すだけで命までは狙いませんでした。まあ、信長は天皇という別の権威者を確保していたので、別に命を取る必要はなかったのでしょう。
- SPS700
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1。日本語では「歴史」と「物語」は二つに分かれていますが、フランス語の l'histoir、ドイツ語の Geschichte、ロシア語のисторияなど、一つの単語で表されていて、みんな作り話です。 ですから誰がどう書いても日本史は作り話です。それに基づく「日本の特質」も書く人の数だけあります。ですから日本はダメだという本も、和をもって尊しとするのが日本の良い点という人もいて良いと思います。 喧嘩しないで仲良くする裏には、事なかれ主義やナーナー主義があるのはおっしゃる通りだと思います。 2。トップが殺されたのは言わないだけで、結構あったと思われます。明治以降のヨーロッパのモノマネ時代には、洋魂洋才によって変わったものもあり、目下進行中のようですね、
お礼
ありがとうございました。 ですから誰がどう書いても日本史は作り話です。……見解の相違かも知れませんが、極論過ぎるのではないでしょうか???それだと、私のような素人が歴史を学ぶこと意味は別にしても、歴史を研究する学者や先生にとって、「歴史を研究する意義は作り話を作り上げること。」となってしまいませんか??? それに基づく「日本の特質」も書く人の数だけあります。……書く人の数以上にあるかも知れませんね。ただ、今回の質問は、「トップが殺されない国」というのを日本の特質の1つとした場合に、という前提の下での質問でした。 トップが殺されたのは言わないだけで、結構あったと思われます。……質問する前に、私も考えたのですが、そもそも知識が乏しくて思い浮かびませんでした。それにそもそも「トップ」というのをどの範囲に考えるか……例えば、天皇や将軍を念頭に置くのか、一国一城の主にまで広げて考えるのかによっても異なってくるようにも思います。 明治以降のヨーロッパのモノマネ時代には、洋魂洋才によって変わったものもあり、目下進行中のようですね、……そう思われますか。ありがとうございました。考えてみると、そもそも、時代の変化によって、何事も変化をするものであって、「つまらん質問」だったような気がします。
お礼
ありがとうございました。 日本で権威と権力が分離し、それぞれ別々の代表が建てられた結果、質問にあるように「トップが殺されない国」になったのです。……後段部分も含めて、分かりやすいご回答だと思います。 織田信長は追い出すだけで命までは狙いませんでした。まあ、信長は天皇という別の権威者を確保していたので、別に命を取る必要はなかったのでしょう。……ただ単に「命を取らなければならないほど、脅威ではなかった。」ということじゃないでしょうか???信玄が父親を殺さずに追い出してしまったのも、「命を取らなければならないほど、脅威ではなかった。」ということじゃないかなぁと、私は考えています。