- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:吉宗は、最も朝廷や天皇を軽んじて馬鹿にしていたか?)
徳川吉宗は朝廷や天皇を軽んじて馬鹿にしていたか?
このQ&Aのポイント
- 8代将軍・徳川吉宗は、江戸時代の歴代の徳川将軍の中で、最も朝廷や天皇を軽んじて馬鹿にしている将軍だった様に思われます。
- 朝廷や天皇を軽んじていたからこそ、徳川吉宗は将軍に選ばれたのではないでしょうか。
- 寧ろ、大坂夏の陣から100年が経っており、朝廷や天皇を重んじる必要はなく、逆に武家政権であることを示すために馬鹿にしていたのではないかと思います。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
吉宗が8代将軍に選ばれたのは、6代将軍家宣の正室で近衛家の天英院が強く推したことが大きかったといわれています。 吉宗の時代の幕府と朝廷・天皇の関係はおおむね良好で、これといったトラブルは起きていません。むしろ、桜町天皇による朝廷儀式の復古に助力したとされています。 また、武術奨励・質素倹約のイメージが強い吉宗ですが、日本古来の貴族文化の保護・振興にも関心があったらしく、蹴鞠の名手の左近衛権少将飛鳥井雅香を招いて蹴鞠を観覧し鞠道の判物を授けたとか、江戸の町人奈良屋安左衛門が藤原定家の長歌短歌古今相違帖を所蔵しているのを聞いて、これを買い上げ、権中納言冷泉為久に贈ったとか、一条家の寝殿が古形だと聞いて見取り図を取り寄せさせたとか、桜町天皇に新たな勅撰和歌集をつくるよう奏請した(実現せず)といった事績が記録されています。
その他の回答 (1)
- gunsin
- ベストアンサー率32% (422/1314)
回答No.1
>朝廷や天皇を軽んじて馬鹿にしている将軍 この論拠は、何処からなのでしょうか? 聞いた事が無いので、御教え願います。 そのような人物なら、老中から推挙されないと思います。 徳川家康は朝廷・公家全体を20万石としました、そして 京都奉行所を作りました、名目は治安の維持ですが、 朝廷を監視するのが役目でした。 なんだかんだ言っても、朝廷のチカラは無視できないのです。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございました。 (⇩)このページですね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AE%B6%E9%A0%98#近世 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AE%B6%E9%A0%98#近世
お礼
ご回答ありがとうございました。