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シベリア抑留者の一部の者を中国が早期に回収した事実の実態

中国国民党・蒋介石は、ソ連が抑留使役した日本人・日本兵のうち一部の者をその身分、能力、友好性などを考査した上で、中国と日本の間の戦後処理実務者として使用するために、ソ連に対し、それに該当する人物の引渡しを求め、早期に多数の釈放者が存在した形跡があります。 この該当者に当たる人たちの、職業、身分、その人数などをご存知の方は、ぜひ教えてくださいませんでしょうか。 私の父は、昭和23年にバイカル湖のほとりのウランウデから、抑留生活を終えて帰国しました。 しかし、満州国当時の職場の上司の方と旧交を暖めていましたが、、当時の過酷な生活から健康を失ったまま67歳で生涯を終えました。 その上司の方は、この早期釈放者の一人で、亡くなられる寸前まで中国を何度も訪れ、日中間の政府、民間の間の友好交流に尽力された方です。 父の生涯にまつわる歴史的事実について、興味があるところです。 よろしく教示のほど、お願いします。

  • 歴史
  • 回答数3
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みんなの回答

  • junt
  • ベストアンサー率38% (97/254)
回答No.3

 戦後5年を経た1950年7月18日スターリンの提案によりシベリアから撫順へ969名の日本人捕虜が移送されました。そして、撫順戦犯管理所では周恩来から、思想面から教育と改造を行うことという指導の下徹底した洗脳が行われ、こうした思想改造教育を完全に終了した人達に対する軍事法廷が1956年6月から7月にかけて開かれ45人を除く大多数が免訴、帰国したのです。帰国した人達は、中帰連を結成し熱心な反戦平和運動を展開しています。

bluemoon-light
質問者

お礼

有難うございます。たしかに、国民党以外に中国共産党でも同様に、日本人捕虜を回収して工作したことは用意に予想できることですね。

  • kuro804
  • ベストアンサー率29% (523/1762)
回答No.2

 回答ではありませんが 友人(56歳)のお父さんが同じような経験をされたことを聞きました。ただ帰国は早期ではなく、数年は旧ロシアで過ごされた後に帰国され、思想的な問題?で大物政治家の保護のもとで暮らされ、つつましく十数人の会社を経営し、十年くらい前になくなられました。友人が言うには中国へもし行ったならそれなりの待遇がされたかもと。  歴史には疎いですが、戦時中から戦後にかけての日本はもちろんのこと、ロシア、中国の政治的争いの渦中に巻き込まれた特殊な人々のような気がします。 戦後直後の動乱期に中国、ロシアに保護された人々と言えるかもしれません。 ぜひとも歴史的背景を含めてお父様のたどられた道を明らかにしてください。ご健闘祈ります。

bluemoon-light
質問者

お礼

戦争経験のない人たちの、もっともらしい国家観や国際(アメリカ)協調路線がマスコミを席巻しているこの現在、実際に戦争の中に生きてこられた方々の、心中に沈殿し、あるいは自ら収めてきた様々な思いを少しでも拝察できれば、それで6万人の死亡未帰還者の方たちへの線香の一本としたいと思っています。 有難うございます。

回答No.1

こんにちは、 回答ではないのですが、ちょっとご参考までに・・・ ご存知かとは思いますが、月刊誌「正論」の巻末には、あなたさまの質問のような読者の質問室があって、広く日本中からそれについて知識がある方の、回答が寄せられています。 あの雑誌の愛読者は高齢者も多く、したがって戦争経験者も多いので、シベリヤ抑留のような大きな問題は、質問されたらかなりいい回答が期待できるとおもいます。 毎月1日発行なので、1日を待って参考にご覧になるか買ってください。そして質問されたらいかがでしょうか~? また、父上と同じ部隊の方も見つかるかも知れません~ 勿論、このOKで、解決できればそれに越したことはありませんが~ ご苦労された父上の足跡を、是非調べて下さい。 調べることによって、自分の勉強にもなり、平和について考えるよすがにもなるかと思います。 ああ、生意気言いました。 お許しを~~~~

bluemoon-light
質問者

お礼

参考になるアドバイスをいただきました。 感謝申しあげます。

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