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福祉の援助について
私は、社会福祉に関わる仕事に就きたいと考えています。勉強する中で社会福祉の援助について、ある人から「どうして生産性のない人たちを社会全体で支援していかなければならないのか??」と質問されました。。 働いている人を中心に考えるからそういう疑問を持ってしまうのではないか、人は一人では生きられなくて、助け合うことが必要なのではないかと私は考えるのですが。。 難しい質問だとは思いますが、何か他の意見・考え方をもっている方がいらっしゃいましたら聞かせてください。
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働いていない人でも「モノ」を購入すれば「消費税」を取られますね? 生活保護を受けていても、そこからまた納税してるわけです。 私見ですが、浮浪者(という言い方はどうかな?とも思いますが)でもダンボールやアルミ缶で収入を得て、生存の為に食料を買っていたりします 「税」にこだわりませんが、私はアルミ缶やダンボールを集めに来ている浮浪者の方の為に分別して、その人が来た時に手渡しします 朝早くからビニール袋を開けて漁られるより静かなので迷惑かからないし、お互い気持ちいいでしょう? 話が逸れました 介護保険の基本的考え方はあなたの言うとおり、「相互扶助」です。 あなたは道を歩いていて突然トラックから落ちた鋼材に脊髄を傷つけられ、首から下が不随となった場合、 「人間は一人で生きていける」 …と思いますか? 自分で手首を切る事も、首を絞めることもできないですよ? そういうコトが思い浮かばない人は体験しないと判らないんですね。 日本人も大多数はそうだと思いますよ 24時間テレビでわざわざ街にまで出て、募金する人でさえ、自分がそうなるとは思ってないでしょう。 だから平気で点字ブロックの上に自転車置いたりするんですよ もっともっとそういう視点で考えることを啓蒙しないと駄目ですね。
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- curumi
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私は現在、重度の知的障害者の作業所で職員をしています。確かに障害があるが故にできないことも多いことは事実ですが、職員や家族、地域の支援で多くのことを体験し成長することができます。その結果、作業所でわずかでも賃金を得ています。この姿を見て、私自身が学ぶことも大変多いです。また、私が障害を持つ人たちと共に過ごす中で助けられる事も多いです。 この世に生きている限り誰しもが人の助けを受けて生きていると思います。相互扶助があるからこそ生活していけるのだと思います。今は健康で自立した生活をしていても、高齢になり自立した生活ができなくなった時は、人の助けが必要になります。そのような人たちも「生産性がない」と言ってしまうのでしょうか。 「どうして生産性のない人たちを社会全体で支援していかなければならないのか??」と質問をした人は、自分が高齢になったときどう考えるのでしょう。 社会は世代を超えた相互扶助がなされているのだと思います。
お礼
お返事ありがとうございます。私も人はお互いに影響を与え合って生きていると思います。誰も一人では生きられないと思います。助け合いのない社会というのは成り立たないのではないかと感じました。私達もいずれ支えてもらわなければいけないと言うことを忘れてはいけませんよね。
- syomajin
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視点を変えると、今の日本は労働生産性が向上し、ハンディキャップを抱えた人をみんなで支えることができるくらいに、日本社会の能力がアップしたと考えることができるのではないでしょうか。世界を見回してみても飢えで苦しみ、満足に食事もできない国はたくさんあります。昔の日本を見ても古代では海に流されたヒルコの例や見せ物になるなどつらい歴史があります。今のような幸福な社会は人類数百万年の歴史の中のここ百数十年のことではないでしょうか。もし今後日本の国力が落ち食料調達が困難になると労働生産性のない消費するだけの人たちは、援助も受けられなくなり、そのような人を抱える家族はますます困窮し処遇に悩み最後にはどのような結末を迎えるのか・・・。衣食足りて礼節を知る。
お礼
お返事ありがとうございます。たしかに世界はいつどんな状況になるかわからないですね。私はそんなことは考えたこともなかったので少しショックでした。自分の視野の狭さに恥ずかしいばかりです。教えていただいたサイトなど活用して歴史から勉強したいと思います。
こんにちは。 そもそも、世の中に生産性のない人は居ないと思います。生きているだけで、生産性はあります。 例えば、どんな人でも食事はしますよね。 食べる事によって食べ物を作る人や、売るお店や、 色んな流通の人たちが仕事をしていけるんです。
お礼
お返事ありがとうございます。そうですね、「生産性がない人」などいないですよね。生きていれば、その人は必ず他人に影響を与えているし、それも私は「生産性」といっていいと思いました。
○日本国憲法第25条は、1「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」2「国は、すべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しています。これは国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があるという意味です。 ○現実の社会福祉を取り巻く環境は、大きく動いています。社会福祉の概念も、当初の生活困難や心身に不自由のある人々への援助から、すべての人々がかかえる問題の解決へと拡充されてきています。まさに、乳幼児から高齢者まで、さまざまな状況にあるすべての人々の幸福の実現へと向かっているといえます。 ○「最大多数の幸福を求める政治」=「極少数の幸福を切り捨てる政治」のギャップを埋めるのが社会福祉の視点でしょう。
お礼
お返事ありがとうございます。福祉の対象が、すべての人々になったことは、いい流れだと思います(人はみんな何かしらの心配や問題を抱えていると思う)。ただお金のことしか考えず、サービスを変えていってしまう政治に疑問を感じることはありますが。。
お礼
お返事ありがとうございます。先日、交通事故で家族を亡くし、自身も半身麻痺になってしまったという方に会う機会がありました。その方の暮らしはその事故をきっかけにがラット変わってしまったそうです。ものすごく考えさせられる場面でした。いつ自分が支援される側になるかわからないなかで「生産性のない人をなぜ支援しなくては?」という議論をするのはおかしなことだと思いました。