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士官学校と幼年学校について
- 士官学校と幼年学校について興味があります。学校の背景や生徒の関係について知りたいです。学生生活には同性愛的な主従関係があったのか疑問です。
- 士官学校や幼年学校の出身者が有名な軍人とされているため、学生時代にどのような経験をしたのか気になります。学校の描写に偏っていない本も知りたいです。
- 海軍予備校から陸軍の士官学校に転向することは現実的なのでしょうか。海城学校は幼年学校の出身ではないのでしょうか。士官学校や幼年学校に関する情報を教えてください。
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加賀乙彦氏の小説の描写(同性愛の蔓延)は、事実と異なると48期OBから批判が出ています。 また、「錨のない船」では来栖良航技大尉(太平洋戦争中の外交官来栖三郎の子息)の死因を捻じ曲げており、モチーフの真実性よりもストーリーの都合を優先する小説家に見えます。 (来栖良大尉は、事故死であったのに日米ハーフだったので米兵と誤認され民衆に竹槍で惨殺されたと史実を改変している。) >海軍予備校の海城学校に在籍していたが、ある理由から陸軍に転向して士官学校を受験し合格したという人物が出て来るのですが、そんなことは現実に可能なのでしょうか。 以下の回答は、その漫画が何を示しているのか分からないので筋違いだったら申し訳ありません。 陸軍士官学校の受験と合格は、海城学校って海軍兵学校への入試が有利な教育を行うというだけの私学ですから可能です。 (現代の東大合格〇〇%をうたう予備校と立場は変わりません。) →なお当時は、陸海軍ともに優秀な少年の奪い合いが熾烈に行われていましたので士官学校・海軍兵学校の入試直前で志望を変えるのはよく有りました。 あと海城学校って海軍省から公設の学校と誤認されるからと元の名称である「海軍予備校」を変える様に要請されたから「海城学校」に校名を変えた訳ですし…。 >海城学校に通っていたということは、彼は幼年学校の出身ではないのでしょうか。 幼年学校は陸軍の士官学校入学前の将来の陸軍士官を養成する公設の学校ですから海城学校に通っていたのであれば幼年学校の出身者とは成らないと思います。 (海城学校を中退して幼年学校に入りなおすという手も一応有りますが…。) なお陸軍では将校に成るには陸軍士官学校を一度は経由しなければなりませんが、そこに至るルートは多種多様です。 (極端な話、とてつもなく優秀であれば徴兵された一兵卒からでも士官学校への入校への道が用意されている。) 幼年学校を経由するのはそのルートの一つでしかありません。 (ただし、陸軍内でも中将以上への昇進や陸軍大学校受験の為に軍務を融通する等の幼年学校出身への学閥サポートの存在を指摘する研究者も存在します。) >士官学校とか幼年学校とか、将校という言葉の響きの格好良さに強い憧れがある反面、初めて読んだ加賀乙彦さんの著書があまりにも衝撃的で非常に驚いています。詳しい方、何卒ご教示いただけますと幸いです。 士官学校とか幼年学校は、学生数が少なく、校長の育成方針でも気風が極端に変化しますので、画一的な方針は出せないと思います。
お礼
早速の詳しいご回答誠にありがとうございます!! 拝読していてとても楽しかったです。 件の小説は卒業生の方々から抗議があったりと、やはり事実そのままというわけではないのですね。少し安心致しました。笑 別の小説では重要人物の結末を変えていたりしているとのことで、それはそれで面白そうなのでそちらも読んでみようかと思います! ご紹介ありがとうございます。この作家さんのお書きになる文章自体はとても好きなので他作品も気になっているところでした。 また、海城学校は当時、予備校という側面が強かったというのもご説明いただいて初めて理解できました。海城学校に入ったからといって全員が海軍士官学校に入れるわけでも、また入るわけでもなく、受験を有利にするための場所という性格が強いのですね。 余談ですが身内が数十年前にこの学校を受験した際、体育会系的な雰囲気が非常に強かったそうで尻込みをしまして、ご縁はいただいたのですが結局別の学校に入りました。そういう気風が現代でも少し残っているのかなとなんだか楽しく思いました。 話を戻しますが、幼年学校に入る年齢を鑑みますと、海城に在校していたならやはり普通に考えてその登場人物は幼年には通っていないのでしょうね。もやもやして混乱していたのですっきりご回答いただけて、すとんと腑に落ちる感じが致しました。 どのカテゴリーで質問するべきか分からなかったのですが、素晴らしいご回答者さまにお会いできてとても幸いでした。 重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。