• ベストアンサー

明治時代の陸軍士官学校の資料はあるのでしょうか?

先祖に関して調べているのですが、陸軍士官学校の出身者名簿のような資料はあるのでしょうか?また、どこかで閲覧可能でしょうか? 寺内正毅元帥と同期だったらしいのですが、寺内元帥が士官学校出身では無いらしく、兵学寮時代なのか良く分かりません。 名前は小川邦臣というのですが、何か情報をご存知の方よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • jackmkh
  • ベストアンサー率80% (4/5)
回答No.2

陸軍士官学校出身者の名簿でしたら秋元書房の『陸軍士官学校』という本に創設以来終戦までの全出身者の名前が記されています。ただし、昭和45年の本なので、なかなか手に入らないかもしれません。 http://www.amazon.co.jp/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%A3%AB%E5%AE%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1-1970%E5%B9%B4/dp/B000J9KL88/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1218565805&sr=8-1 しかし、寺内元帥と同期ならば上記の本でも無理でしょう。寺内元帥は明治4年8月に兵学寮や士官学校などを経ずに少尉に任官されています。 『小川邦臣』でアジア歴史資料センターを検索してみたところ、3件の結果が返ってきました。明治24年の時点では陸軍砲兵大尉だった模様。 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=C07050314800 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=C04029653900 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=C04028671300 『日本陸海軍総合事典』の647ページには陸軍の階級が創設され、人事が発令された明治4年5月頃に少尉以上の階級にあった人物の名前が(おそらく全て)載っていますが、こちらには名前がありませんでした。  このページには寺内元帥は少尉として掲載されています。

tidomo
質問者

お礼

大変貴重な情報ありがとうございます。 晩年には砲兵工廠にて働いていたと聞いていますので、この砲兵大尉で間違いないかもしれません。 とても参考になりました、ありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#171433
noname#171433
回答No.1

学校名簿なんて、部外者に見せるでしょうか? 直系先祖ならば、役所へ行けば戸籍関係を見せて くれるのでは?

tidomo
質問者

補足

もちろん戸籍は写しを持っていますから、生没年や家族構成などははっきり分かっています。 しかし戸籍に軍の仕事の情報などのっていようはずもありませんから、士官学校(兵学寮)にいつ入ったのか、どういった仕事をしていたか等は全く分かりません。 寺内元帥は高名な方ですから、同期という所から何かご存知の方がいらっしゃれば、と思いました。

関連するQ&A

  • なぜ海軍兵学校と陸軍士官学校が一流校だったのですか

    第二次大戦以前には、第一高等学校(後の東大)と並んで、 海軍兵学校と陸軍士官学校が一流校と言われたそうですが、 なぜ、東大(第一高等学校)と並ぶような一流校とみなされていたのでしょうか。

  • 陸軍中野学校の学生の階級を教えてください

    戦時中を舞台とした小説を書いています。当時、陸軍中野学校という情報戦士(スパイ)を養成する特殊教育機関がありましたが、在学中の兵の階級を調べています。陸軍士官学校や陸軍予備士官学校からの推薦で入校した兵ですが、少尉任官には早いし、となると下士官の曹長となるのか?階級が付与されていたのか、ご存じの方がおられましたらご教示願います。

  • 陸軍士官学校出身の祖父について

    私は母からあなたの祖父は陸軍士官学校出身だと聞かされていますが母が8歳のときに祖母と離婚して出て行き、その後数回会っただけであまり良い印象がなく、詳しく覚えていないそうです。母から軍服姿の写真を貰い、よく調べてみたくなりました。苗字は塙 名は正義だと聞いています。生きていれば90代かと、亡くなった時は再婚された方と千葉県に住んでいたことまではわかっています。何か情報があればと思います。

  • 士官学校、幼年学校について

    こんにちは。 私は戦争映画が好きで、そこによく士官学校とか幼年学校とかいう記述が出て来ますので、それらはどういった場所なのか興味があります。 作家の加賀乙彦さんがそういった学校のご出身で、著書に当時の学生生活のことが詳しく載っているとありましたので読んでみたのですが、確かに非常に緻密で面白かった反面、生徒達の多くが全寮制の学生時代に同性愛的な主従関係を結んでいるのにとても驚きました。一部のそういった指向のある人同士が行うというより、生徒の大多数にその気風が蔓延していたというように読めるのですが、やはりこれは事実を脚色しているのでしょうか。 それとも本当にこういう学校では、生徒同士(というより先輩後輩の縦での関係)での疑似恋愛のようなものが横行していたのでしょうか。これが事実だとすると、Wikipediaに載るような有名な軍人の多くは士官学校や幼年学校の出身ですので、学生時代にそういう経験をしていることになると思うのですが、そんなことはあり得るのでしょうか。 士官学校や幼年学校のことを書いた本で、そういう描写に偏っていないものがありましたらぜひご教示下さい。 また、今読んでいる漫画に、海軍予備校の海城学校に在籍していたが、ある理由から陸軍に転向して士官学校を受験し合格したという人物が出て来るのですが、そんなことは現実に可能なのでしょうか。 海城学校に通っていたということは、彼は幼年学校の出身ではないのでしょうか。 質問ばかりで申し訳ありませんが、士官学校とか幼年学校とか、将校という言葉の響きの格好良さに強い憧れがある反面、初めて読んだ加賀乙彦さんの著書があまりにも衝撃的で非常に驚いています。詳しい方、何卒ご教示いただけますと幸いです。

  • 見習士官と准尉

    旧陸軍の士官は士官学校を卒業すると曹長の階級章をつけて見習士官になりますが、陸軍には準士官の階級として准尉とゆう階級がありますね そこで質問です、見習士官と准尉(昭和16~20年頃)ではどちらが階級が上位なのですか。もちろん士官学校を卒業していない軍曹出身の曹長と准尉では、准尉が上位で、曹長が下位とゆうこはわかっているのですが、どなたか教えてください。

  • 帝国陸軍・海軍(明治、大正、昭和時代)の英語力は如何程なりや?

    明治維新以降、陸軍・海軍は海外から武器・戦艦等のハードウエアーと戦略・戦術などのソフトウエアーを海外(特に英・独)から輸入したでしょうし、その後も、陸軍士官学校、海軍兵学校等の教育機関である程度高度な「英語」「独語」教育がなされていたと思われます。 但し、私達が直接目にすることの出来る当時の海外よりの軍事資料等は総て日本語に翻訳されており、当時の「陸軍」「海軍」または「教育機関」内部でどのような外国語教育がなされていたのか、その程度はと言うところでは全く想像もつきません。 具体的には、辞書無しで「英文資料」を「読み書き」出来たのはそれこそ参謀クラスの超エリートだけだったとか、東条英機・山本五十六の英語力はこうだった、ってな逸話でも結構ですので、分かる範囲で教えて頂けませんか? 明治生まれの祖父も確か陸軍の学校に行っていたとか聞いていますが、果たしてどんな英語教育だったのか今となっては聞くすべも当然ありません。

  • 海軍大学校とは?

    今、Wikipediaにて歴史に関心を持っているものです。同名で執筆もしていますが、一つ疑問です。 まず、海軍大学校の項目が無いので作ろうと思うのですが、私が探したところ、あまり詳しい資料がインターネット上にありません。 Wikipediaには、陸軍士官学校、陸軍大学校、海軍兵学校については詳しい記述があります。また、海軍大学校の卒業者リストなどもネット上にあり、その他細々とした資料が散逸しているようにも思えます。 ご存知の方、歴史的観点、個人的意見、伝聞、噂などなんでも大歓迎です。知っている観点から、どんなに些細なことでもいいので、ご教授いただけたらと思います。

  • 海軍と陸軍と旧制一高

    古い話しですいません 大日本帝国時代の話しで海軍兵学校と陸軍士官学校と旧制一高とよく聞きますが どこが一番難しい学校だったのでしょうか?個人差は別として全体的な入学者のレベルで教えて下さい 佐藤一朗 瀬島隆三 中曽根康弘などは特別として あくまでも入試が難しかった順序でお願いします

  • 海軍兵学校で皇族を殴るのは禁止されていた?

    海軍兵学校で皇族を殴るのは禁止されていた? 海軍士官を養成する、海軍兵学校や海軍機関学校ではでは、主に最上級生が、下級生を教育のために殴るのが許されていました。 「必ず拳で殴る。道具を使ってはならない。殴る側も痛みを感じねばならない」 「殴る前に必ず声をかけて、殴る理由を明らかにしする」 「親指を中に入れて拳を握り、下級生が体勢を整えてから、頬を殴る (ケガの防止)」 「このようにして殴ると下級生がケガをすることはなく、意外と痛くなかった」 「上級者が下級者を殴るのはお互いが生徒の時代のみで、卒業して士官になった後は、よほどのことがなければ上級者が下級者を殴ることはない」 などということです。 兵学校には、海軍大臣の息子とか艦隊長官の息子、華族の息子、東郷元帥の孫なども入りますが、そういうことは一切無視されたようです。 ただし、皇族である兵学校生徒については、 「暗黙のルールとして、皇族の生徒は殴ってはならなかった」 「兵学校名物とされる棒倒しにも、皇族の生徒は参加しなかった」 などと聞きます。 兵学校では、同じ分隊の生徒が不始末をすると、連帯責任で分隊の他の生徒も殴られたようです。 皇族の生徒は、授業は他の生徒と一緒に受けるが、皇族専用の居室で生活していたので、 「皇族の生徒は、そもそも分隊には所属していないので、連帯責任を問われることもない」 と言うことだったのでしょうか? ご教示の程よろしくお願いいたします。

  • 戦前の高級軍人の家族に関して

    戦前の高級軍人(陸軍士官学校・海軍兵学校を出た軍人)の家族の暮らしはどんなものだったのでしょうか? 裕福な暮らしをしていたんでしょうか? しつけ等に厳しかったんでしょうか? ご存知の方は教えてください。 よろしくお願いします。