• 締切済み

海軍と陸軍と旧制一高

古い話しですいません 大日本帝国時代の話しで海軍兵学校と陸軍士官学校と旧制一高とよく聞きますが どこが一番難しい学校だったのでしょうか?個人差は別として全体的な入学者のレベルで教えて下さい 佐藤一朗 瀬島隆三 中曽根康弘などは特別として あくまでも入試が難しかった順序でお願いします

  • 高校
  • 回答数3
  • ありがとう数1

みんなの回答

回答No.3

時代によって変わります。 1932年(昭和7年)入学までは、  海軍兵学校 > 第一高等学校 > 陸軍士官学校 1933年(昭和8年)入学以降は  第一高等学校 > 海軍兵学校 > 陸軍士官学校 です。1932年までは、海兵は合格者数は150人以下(一時期例外あり)でした。 一高の理系は合格者数は200人でした(海兵は試験としては理系に属します)。 海兵は学費もいらず、また当時は軍人の社会的地位が高かったことから、一高よりも優秀な人間が大勢受験しました。 1933年以降は、海兵の合格者数は150人以上になり、戦争末期には3000人を越えました。 一高の定員はほとんど変わらなかったので、このころは逆に一高の方が難関になっていました。 陸士は一貫して海兵や一高よりも入学者数が多かったので(ほぼ海兵の倍)、難易度としては一番下でした。

  • ssskoji
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.2

以前、人から聞いた話です。 海軍経理学校 >海軍兵学校 >陸軍士官学校 ・親戚に海軍士官がいたので多少海軍びいきかもしれません。 また、旧制中学から海軍経理学校入学後、終戦となり旧制一高に行き、最終的に新制の東大を卒業した人の話です。 海軍経理学校 > 一高  ・自分の受験体験の中で経理学校が唯一合格する確信が無かった<倍率約50倍 ・戦争末期であり、経理学校は特に志願者が多かったと聞いています。 ↓ご参考 http://members2.jcom.home.ne.jp/kaikei36ki/ 2つは別々の人の話です。 ですので一高がどこに入るかは定かではありません。 今も昔も同じで、人気のある学校の難易度が高いということと思います。 人気があったのは海軍と思います。その結果前記のような図式になるのではと思います。

noname#140608
noname#140608
回答No.1

昭和6年生まれの母に聞きました。 「たぶん、旧制一高が一番難しいのではないか」と言っていました。 ただ、軍隊の学校と官立高校との比較なので・・・ 海軍兵学校http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) 陸軍士官学校http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%A3%AB%E5%AE%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

関連するQ&A

  • なぜ海軍兵学校と陸軍士官学校が一流校だったのですか

    第二次大戦以前には、第一高等学校(後の東大)と並んで、 海軍兵学校と陸軍士官学校が一流校と言われたそうですが、 なぜ、東大(第一高等学校)と並ぶような一流校とみなされていたのでしょうか。

  • 旧海軍で・・・

    旧海軍において、下士官同士、または下士官が兵に鉄拳制裁というのはよく聞くのですが、士官が下士官を殴るというのは普通だったのでしょうか。 また、旧陸軍ではどうだったのでしょうか。

  • 海軍大学校とは?

    今、Wikipediaにて歴史に関心を持っているものです。同名で執筆もしていますが、一つ疑問です。 まず、海軍大学校の項目が無いので作ろうと思うのですが、私が探したところ、あまり詳しい資料がインターネット上にありません。 Wikipediaには、陸軍士官学校、陸軍大学校、海軍兵学校については詳しい記述があります。また、海軍大学校の卒業者リストなどもネット上にあり、その他細々とした資料が散逸しているようにも思えます。 ご存知の方、歴史的観点、個人的意見、伝聞、噂などなんでも大歓迎です。知っている観点から、どんなに些細なことでもいいので、ご教授いただけたらと思います。

  • 陸軍中野学校の学生の階級を教えてください

    戦時中を舞台とした小説を書いています。当時、陸軍中野学校という情報戦士(スパイ)を養成する特殊教育機関がありましたが、在学中の兵の階級を調べています。陸軍士官学校や陸軍予備士官学校からの推薦で入校した兵ですが、少尉任官には早いし、となると下士官の曹長となるのか?階級が付与されていたのか、ご存じの方がおられましたらご教示願います。

  • 帝国陸軍・海軍(明治、大正、昭和時代)の英語力は如何程なりや?

    明治維新以降、陸軍・海軍は海外から武器・戦艦等のハードウエアーと戦略・戦術などのソフトウエアーを海外(特に英・独)から輸入したでしょうし、その後も、陸軍士官学校、海軍兵学校等の教育機関である程度高度な「英語」「独語」教育がなされていたと思われます。 但し、私達が直接目にすることの出来る当時の海外よりの軍事資料等は総て日本語に翻訳されており、当時の「陸軍」「海軍」または「教育機関」内部でどのような外国語教育がなされていたのか、その程度はと言うところでは全く想像もつきません。 具体的には、辞書無しで「英文資料」を「読み書き」出来たのはそれこそ参謀クラスの超エリートだけだったとか、東条英機・山本五十六の英語力はこうだった、ってな逸話でも結構ですので、分かる範囲で教えて頂けませんか? 明治生まれの祖父も確か陸軍の学校に行っていたとか聞いていますが、果たしてどんな英語教育だったのか今となっては聞くすべも当然ありません。

  • 帝国海軍 術科学校についての質問です

     私が読んだ本では、「帝国海軍士官の教育・養成の流れとして 海軍兵学校卒業後、少尉候補生になり、その後艦隊での実地勤務を終えて 少尉になり、大尉になると術科学校に入校、三年後少尉候補生として卒業」 と書いてあったのですが、大尉に、なったのに少尉候補生に下がることは 本当にあるのでしょうか?  詳しい方、分かり易い説明をお願い致します。

  • 戦前の高級軍人の家族に関して

    戦前の高級軍人(陸軍士官学校・海軍兵学校を出た軍人)の家族の暮らしはどんなものだったのでしょうか? 裕福な暮らしをしていたんでしょうか? しつけ等に厳しかったんでしょうか? ご存知の方は教えてください。 よろしくお願いします。

  • 戦前の学歴ランキング教えて下さい!

    1910年代から太平洋戦争に入る前の約30年間、学歴ランキングはどんなものだったのでしょうか? 医専や海軍兵学校、陸軍士官学校も教えて下さい。 厳密には日中戦争が始まってますから戦時中と言わないといけないかもしれませんが、よろしくお願いします。

  • 海軍兵学校は外国人留学生を受け入れてなかったんですか?

    お隣韓国の次期大統領とも目されるハンナラ党党首 朴 槿恵(パク・クネ)氏の父君・故 朴 正煕(パク・チョンヒ)氏は成績優秀で日本の陸軍士官学校を卒業されているそうです。 そういえば李朝最後の皇太子李垠(イ・ウン)殿下もそうですね。 調べてみるとこんな例は結構あったようです。 でも海軍兵学校のほうはそういう話を聞かないのですが…。 有名でないだけで留学生はいたんでしょうか。生徒募集要項を見る限りは「日本国籍者に限る」とは書いてないのですが…。 それとも朝鮮人の場合は「日本人」扱いだったんでしょうか。

  • 海軍兵学校で皇族を殴るのは禁止されていた?

    海軍兵学校で皇族を殴るのは禁止されていた? 海軍士官を養成する、海軍兵学校や海軍機関学校ではでは、主に最上級生が、下級生を教育のために殴るのが許されていました。 「必ず拳で殴る。道具を使ってはならない。殴る側も痛みを感じねばならない」 「殴る前に必ず声をかけて、殴る理由を明らかにしする」 「親指を中に入れて拳を握り、下級生が体勢を整えてから、頬を殴る (ケガの防止)」 「このようにして殴ると下級生がケガをすることはなく、意外と痛くなかった」 「上級者が下級者を殴るのはお互いが生徒の時代のみで、卒業して士官になった後は、よほどのことがなければ上級者が下級者を殴ることはない」 などということです。 兵学校には、海軍大臣の息子とか艦隊長官の息子、華族の息子、東郷元帥の孫なども入りますが、そういうことは一切無視されたようです。 ただし、皇族である兵学校生徒については、 「暗黙のルールとして、皇族の生徒は殴ってはならなかった」 「兵学校名物とされる棒倒しにも、皇族の生徒は参加しなかった」 などと聞きます。 兵学校では、同じ分隊の生徒が不始末をすると、連帯責任で分隊の他の生徒も殴られたようです。 皇族の生徒は、授業は他の生徒と一緒に受けるが、皇族専用の居室で生活していたので、 「皇族の生徒は、そもそも分隊には所属していないので、連帯責任を問われることもない」 と言うことだったのでしょうか? ご教示の程よろしくお願いいたします。