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張飛妻、夏侯姫
建安5年(200年)、薪を伐採していた夏侯覇の13-14歳の従妹を、張飛は捕えて妻とした。後に女児を産んだ[8]。 なんとなくwikipedia見たら唐突にハチャメチャなことが書いてあったんですが、これは人質としてかっされってきたら気に入っちゃったとかですか? それともなんとなく誘拐したら曹家の重臣の娘だったんですか?
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これは人質としてかっされってきたら気に入っちゃったとかですか?それともなんとなく誘拐したら曹家の重臣の娘だったんですか? 昔の話ですからね。三国志を書いた人、それを訳した人、それを漫画にした人、とかなり書き換えられている話の再構成は難しいでしょう。 普通、女性が薪を採って売るのは、父親に死なれたり病気だったりする貧しい家の印ですから、かわいそうに思って連れ帰ると名家の血縁だった。 という程度のことでしょう。 https://dic.pixiv.net/a/%E5%A4%8F%E4%BE%AF%E6%B0%8F%28%E5%BC%B5%E9%A3%9B%E5%A6%BB%29
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- ninkinoki
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夏侯惇や夏侯家は当時曹操の配下の中でも、相当の武将でした。張飛も、敵軍の劉備の中の五虎将軍の1人です。そして、黄巾の乱の討伐時代は曹操も劉備も仲間になって一緒に戦ったり、中原の戦でも、袁術や呂布と一緒に戦っています。そういう時に、夏侯家の娘を娶るなんて事は普通にあり得ます。 最初の出会いは、バッタリ会ったり、俗にいうナンパをしたのかもしれませんが、ちゃんと夏侯家と話して、結婚をしたんだと思いますよ。もしくは、巧妙な政略結婚の可能性もありますね。 流石に、天下に名前が知られてる張飛が、大将軍の夏侯家の娘をさらって結婚は現実的にしてないと思います。
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ご回答ありがとうございます。 記述が正確であるならば、建安4年(199年)に劉備と曹操は敵対してるんですよね。
お礼
ご回答ありがとうございました。