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1941年、仏印南部への進駐決定を英国は事前に把握

  • 質問No.9752266
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Wiki「仏印進駐」の「5 日米関係の悪化と南部仏印進駐の決定」によれば、仏印南部への進駐決定を英国は事前に把握していたそうです。
(以下、wiki抜粋)
1941年7月2日の御前会議において仏印南部への進駐は正式に裁可された。(『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』)。しかしイギリスはこの時点で仏印進駐の情報をつかんでおり、7月5日には駐日イギリス大使ロバート・クレイギーが日本の南進について外務省に懸念を申し入れている。日本側は情報漏洩に驚き、進駐準備の延期を行ったが、(略)
(抜粋終わり)

思いついたことを次々と質問して申し訳ないですが、教えてください。
1.どこから情報が漏れたのですか。
日本から米国への外交電文は筒抜けだったそうですから、このルートから漏れて、米国から英国へ伝わったのですか。
2.どの程度の内容まで漏れたのですか。
「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」には、「帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せす」とあります。
よろしくお願いします。

仏印進駐
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%8D%B0%E9%80%B2%E9%A7%90

回答 (全2件)

  • 回答No.2

ベストアンサー率 30% (6408/21196)

歴史 カテゴリマスター
1
イギリスの情報網に引っかかったのでしょうね。なにしろジェームズ・ボンドはイギリスの人ですからね。

2
諜報戦で一番大切なのは、手持ちのカードの全ての情報を知っているのか、それとも1枚の情報だけを知っているのか、それとも1枚も知らないのか、それを相手に特定させないことです。そしてそのことについて最も長けている国がイギリスです。
第二次世界大戦中にイギリスはナチスドイツが誇る暗号機であるエニグマを解読していました。しかし「本当はエニグマは解読しておらず、エニグマを解読して得られたとされる情報はドイツ国内に広めたスパイから得ていたのだ。だけれども、そのドイツ国内にいるイギリスに情報を送ったスパイが誰なのかを特定させないためにエニグマを解読したということにしたのだ」という説を唱える人もいます。
どちらが正しいのか、イギリス政府は今でも明らかにしていません。
だからイギリスがどこまでの情報を得ていたのかは分かりません。何もかもが筒抜けだったのか、それともなんとなくの情報からブラフを仕掛けてきたのか。英国紳士はウソがお上手ですよ。
  • 回答No.1

ベストアンサー率 44% (526/1183)

 イギリスが何処から掴んだか確固たる情報は無いのですが、1941/07/02の時点だとゾルゲ事件(ソ連のスパイが近衛内閣のブレーン尾崎秀実と繋がっていた)が発覚していないので、近衛内閣の国策要綱は連合国側に筒抜けになっていたと思います。
 (なんせ1941/09/06の御前会議で決定した「帝国国策遂行要領」まで連合国側[ソ連]へ通報しているので…。)
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1540/1624)

ご回答ありがとうございます。
ゾルゲでしたか!!
ゾルゲをヒントに調べました。
取調べの結果を昭和天皇に上奏した原案が見つかっていました。
これによると1941年7月2日の御前会議の内容を、間違いなくゾルゲは入手していました。
ゾルゲからソ連の何者かに情報が渡ったのでしょうが、その先、英国へはどんなルートだったのか、追々自分で調べてみます。多分、難しいとは思いますが…。
御前会議のなんと三日後に駐日イギリス大使が日本の外務省に申し入れているのですから驚くべき速さです。
しかし、こんな申し入れをすると、英国自身の諜報網が日本の政権中枢にまで浸透していることを日本へ知らしめることになりますね。
考えれば考えるほどミステリアスで面白いです。
疑問は少し残りますが、気分的にはすっきりしました。
投稿日時:2020/05/24 19:30
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