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死んだら・・・

raccoon_dog65の回答

回答No.3

こんばんは。 死ぬということを科学的に見て人類はいつ認識したんでしょうか? つまり、人間は死んだと見えても仮死状態であったりということは江戸時代まではよくあったそうです。 現代医学ではある程度基準があるので(瞳孔が開いていて、光を当てても瞳孔が閉まらないなど)判断が可能ですが、江戸時代にはそのような医学的基準は明瞭ではなかったと思います。 つまり、陰陽師の世界(生と死が明確でなかった時代)は医学的な死の基準が明確でなかったこともあり、更に病気の原因も全くわからず(ウィルスの概念も無いので)、明らかな外傷や老衰以外は死んだ人をおそれるしかなかったのだと思われます。 逆に言えば、生死の境が判然としない数千年の間、人類は死後世界がどうなっているのか悩んできたのだと思います。 現代の科学から言えば、人の死はそれ以降は単なる物質となると思われますが、今までの数千年の苦悩を踏まえれば、そう割切れないところが人間だと私は思っておりますので、死後の世界は生きている人間が作ったものだと理解するしかないのではないでしょうか。

tinatsu-w
質問者

お礼

ありがとうございます。参考になりました。そのトオリかも知れないですね。

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