• ベストアンサー

戦国時代 ボクシング

戦国時代にもパンチで敵をノックアウトするトレーニングをしましたか?

noname#241786
noname#241786
  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数0

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

武士の戦闘というのは命がけです。 パンチでノックアウトなどという生やさしいものではありませんでした。 従ってトレーニングもそれ相応のものでした。 武器を持たずにお互いに掴み掛かって相手を組み伏せて殺す技を組み討ちと呼んでいました。 戦の合間にこの組み討ちの稽古をしていました。 単に稽古だけでは長続きしませんので試合形式となり主君の前で行われるようになりました。 現在も行われている大相撲がこれを継承したものです。 詳しくは下記のURLをご参照下さい。 武芸 (日本) - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/武芸_(日本) 組討の項に下記のような説明があります。 甲冑の戦いは十度に六、七度組討に至ることは必定なり。 往古の武士の相撲を修行せしことここにあるなり。 木村柳悦守直撲『角力取組伝書』延享二年 このように、弓・火器、槍、刀剣の間合いに続く格闘において、微力でもって剛強の人を組み伏せた時の形状などが集められ研究された 相撲 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/相撲 古代と中世の項に次のような説明があります。 当時の相撲は打撃を主とする格闘技であり、既に勝敗が決した相手にトドメの一撃を加えて命までをも奪った上、しかもそれが賞賛される出来事であった事から見ても、少なくとも現代の相撲とはルールも意識も異なるもので、武芸・武術であったことは明確である 相撲節会に求められていた実践的な意味での相撲は、組み打ちの鍛錬として、封建制を成立させた武士の下で広まった。

その他の回答 (2)

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

たしか… 戦場で武将が武器を叩き落とされた時に身を護る為の技として、 相撲とレスリングを合わせたモンゴル相撲やタックルのような、咄嗟に相手を地面に倒す投げ技を身に付けていたかと。 敵を倒してから手元に残った小刀や、相手の武器を取り上げて刺すという、 それが戦場で用いる武術の一つだったようです。 互いに鎧や兜を身に纏って顔面まで覆っていたので、 素手によるパンチのような打撃は有効な攻撃と認識されてなかったかも。 打撃を用いるなら、パンチよりも敵の喉元を狙う肘打ちに近いものだったのではないでしょうか。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10498/33019)
回答No.1

していません。日本にはボクシングのようなパンチで殴る格闘技はありません。 日本で戦国時代から盛んだった格闘技は、相撲です。あの織田信長が相撲好きでスポンサーになっていたといいます。相撲の打撃は、手のひらによる掌底です。

関連するQ&A

  • 戦国時代の見張り塔を高層にすることはできなかったんですか

    ランドマークタワーにのぼってふと思いました。戦国時代って敵を発見したら狼煙をあげたりして合図してましたよね。それに見張り塔みたいなのもあったと思います。ただそんなに大きくないと想像されます。例えば地上100mくらいの見張り塔を建てれば敵を発見しやすくなると思います。土台をしっかりつくれば100mくらいの塔を木造でできるような気がするんですが、間違いでしょうか?戦国時代じゃなくても江戸時代でも、そのような塔を作ったらいいのではないかなーと思ってしまいましたが、いかがでしょうか?

  • 戦国時代の合戦や情報に関する疑問

    こんにちは! 私は戦国時代が好きで、よく戦国時代に関する本を読んだりします。 この間なんですが、暇潰しに散歩をしている時に戦国時代に関する疑問が浮かんだので質問します。 何の疑問かと言うと、まず合戦についてです。私はよく散歩するのですが、短いルートでもかなり家に戻るまで時間がかかります。そこからふと戦国時代の合戦をイメージしてみたんですが、戦国時代の合戦というと、右翼から中央の味方を救援するために横槍を入れたとか、某城を攻めさせている味方を呼び寄せ敵にぶつけるとか…とにかく巧みな部隊移動で合戦が行われてますよね?でも不思議なんですが、現代の整備された散歩でも移動にかなり時間を要します。ましてや戦国時代ですから、道も悪かったと思います。すると、部隊に横槍を入れさせるとか、味方を呼び寄せて敵にぶつけるとか、本当にできたのでしょうか?特に横槍なんかは、横槍を入れようとしても、敵の横に行くまでに時間がかかりますから、敵に横から攻めるというのがバレてしまい、あまり効果がないような気がします。 あと、情報についても不思議だなと思ったんですが、現代の情報化された社会でも某県の県境に人間が100人いる、なんてなかなか把握できませんよね?戦国時代だったら、それは敵の侵入を意味しますから、迎撃しないといけないと思うのですが、敵の侵入を把握できるほど情報化は進んでいたのでしょうか?あと、把握しても実際に現場に間に合うのか疑問です。 私の疑問は以上です。今までゲームとかの神の視点(合戦を上から覗いた)のような感覚でしか戦国時代を考えていなかったのですが、人間の視点だとかなり視点に限界があるように思え、疑問に思う点がありましたので、どうか教えてください

  • 戦国時代 武器を使わず敵を倒す技

    戦国時代に武器がなくなったら素手で敵を倒す技があったと聞きました。 どうやって武器を使わずに敵を倒したのでしょう?

  • 戦国時代にうちこわしはなかった?

    江戸時代は百姓一揆に伴った米屋の打ち壊しなどがあったと聞いているんですが、 戦国時代にはこういったことがなかったんでしょうか? 江戸時代の百姓に比べ、戦国時代の百姓は武装していて武力もありましたし、 戦国時代は慢性的な飢餓状態であったと聞きました。 となれば、戦国時代に凶作や不作などが起きると、飢餓状態から 食料を持っている米屋を襲うということもありえたと思うのですが、 そういう文献にあたったことがありません(私の調査不足が大いにありえますが…) もし米屋などを襲わなかったとしたら、戦国時代の百姓が飢餓状態をどうやって乗り切ったのか、ぜひ知りたいです。 何分、歴史の初心者ですので、なにか色々、こちらの歴史認識に誤りがあるかもしれません。 その点もご指摘くださればありがたいです。

  • 戦国時代

    最近、戦国BASARAの影響でこの時代に興味を持ちはじめました!! 解りやすく、初心者向けの戦国時代の本、漫画を教えてください! よろしくお願いします。

  • 戦国時代 総大将

    よく歴史もののドラマ・アニメなどで 戦国時代の戦において、敵の総大将を討ち取って 「総大将、討ち取ったりぃ~」 なんて言葉をよく聞きます えてしてそのような状況では、討ち取られた方の軍が急に戦をやめたりしますが、 実際の戦国時代の戦では 総大将(および当主)が討ち取られたからと言って 戦の大局に関わらず負けが確定したのでしょうか? 確定したのであれば、その場合はいかなる状況下であっても 戦をやめて即時撤退・降伏していたのでしょうか? ※『負けてなお抗う者はいたのでしょうか?』と言う意味です

  • 戦国時代について

    戦国時代の次の時代は、何時代ですか?

  • 戦国時代を生き抜く知恵

    戦国時代のことを、「何となくボーっと」考えているうちに、戦国時代というのは、 1 優秀な部下が欲しい 2 優秀な部下に寝首をかかれたくない この2つの原則が、「戦国時代を支配していた」(今の時代も同じかな(*^_^*))のではないかと考えたのですが、もちろん他にもあると思います。 それで、戦国時代を考える上で、「戦国時代を生き抜く知恵」というのにはどんなものがあったのだろうか???という疑問が湧いてきました。 あなたの一番印象に残っている「戦国時代を生き抜く知恵(こんなのがあったよ)」というのを教えて下さい。 BAは選ばないで、締め切りますが、それでもよろしければ、沢山、沢山教えて下さい。

  • 戦国時代での合戦での戦い方

    戦国時代での合戦での戦い方 回覧ありがとうございます。 よく、三国無双、戦国無双など合戦物のゲームをプレイします そこで歴史事典みたいなので、武将の武勇伝をよく見るんですが 真田幸村など敵陣に攻めて暴れてたようですが 実際の戦場ではどのように剣を振り戦っていたんでしょうか? ゲームはゲームで何度斬られても死にませんし、ピンピンしてますが、実際じゃ一度斬られただけで箇所によっては即死ですよね いかに相手の剣を避け、弾き、相手の急所や胴体を斬るかが強さの定理なんでしょうかね? 敵に囲まれたり、1対数十で来られたら流石に無理でしょうし 敵に背を向けたら最後。後ろから斬られ死ぬような残酷な現実もありそうですね なので立ち回り?みたいなのも重要なんでしょうかね

  • 戦国時代の合戦で・・・

    戦国時代の合戦で  一番最初に槍同士でぶつかりあう足軽の人たちは どういう気持ちだったんでしょうか? 時代劇などみてると 少々相手を倒しても次から次へと敵がきて 死ぬのは目にみえてます。。 自分なら合戦前に逃げ出してしまいそうです、時代の考え方の違いなんでしょうか。 殿様のために死ぬのが本望なのかな。 合戦に出る時点で ほとんど死を覚悟だったんでしょうか・・ それでも ある程度強ければ生き残れたのかなあ。