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幸せとは何かの真相
- 現代の世界では、デジタル環境の発展により写真や音楽など多くのものがスピードに駆逐されている
- 幸せの要素としては、身体能力の維持(セックス)と恋愛が重要であり、また経済投資も大切である
- 新しい音楽のリリースが世界中で熱狂を巻き起こす時代は過去のものであり、これからも起こることはないだろう
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質問者が選んだベストアンサー
私は難しい話しは分からないのですが、幸せの感じ方って人の価値観によって全く違うものだから、視点を変えたら他の幸せって見つかるんじゃないかなーって思います。 人によっては「不便だからこそ楽しい」という人もいますよね。 田舎で自給自足が幸せだって人もいます。 そういう人達にしてみたら、近代社会の発展は全く楽しくないですし、昔の方がいい、になると思います。 そうなるとそういった物理的なものって、プラスともマイナスとも言えないものだと思います。 私が思うのは、そういった人達含め、全ての人に共通する幸せというのは「人との繋がり」だと思えます。 結局人間の幸せって、自分じゃない誰かからしか感じることができないんじゃないかな、と思えます。 それこそ質問者さんの言う恋愛や気の合う人との飲み会とかは、そのままそうですよね。 自給自足生活や不便を楽しむ人だって、少ないながらも人との触れ合いが必ずあって、それに助けられていて「幸せに思えること」ができています。 貧困の発展途上国であっても「家族と一緒にいられて幸せ」という人もいます。 近代社会の発展から楽しみを得ている人も、それを作っている人がどこかしらにいて、繋がりを感じることができ、それで「幸せ」となると思います。 今のSNSも結局「人と繋がりたい」と思う人が沢山いるから発展したと言えると思います。 結局、人は一人じゃ寂しくて幸せを感じることができないんだと思います。 究極「自分じゃない誰かがいるだけで幸せ」なんだと思います。 だから視点を変えれば、人との繋がりから「幸せ」っていくらでも見つかるんじゃないかな、と思えます。 私は子供の存在が一番の幸せです。 いなくなるというのは考えられません。 けど、子供が生まれる前に全く幸せでいいことが何もなかった訳ではないです。 その時その時に「求めるもの」が違っていたんだと思います。 きっと人ってそういうもので、環境や感覚が変われば、幸せに思えるものは変わるんじゃないでしょうか。 だから、そういった物理的なことに幸せを感じる人も、社会が変わっても幸せに思えることは沢山見つかるんじゃないでしょうか。 それは全部「人」によって得ることができるものであって、「人」が全部のベースになっているんだと思います。 うーん、なんだか自分で書いていてごちゃごちゃな感じで分からなくなってきましたが、要は 「人がいれば、どんな状況でも幸せを感じることができる可能性を秘めているものだ!後はその人の考え方や捉え方次第なんじゃないかな?」ってことです(笑)
その他の回答 (2)
- copemaru
- ベストアンサー率29% (895/2998)
>至極パーソナルなこと(幸せとは何か等)を考えると、身体能力の維持(セックス)と恋愛くらいしか人間の楽しみなんかもはやないのでは、という気がしてきます。あとは食やそれらのアクティビティを支える経済投資。また、それでいいような気もします。 人それぞれでしょうが,私は子どもの誕生と成長が幸せです。
お礼
素晴らしい!自分はそう思えるタイミングを逃した気がします。ローリング・ストーンズのように生きてゆくのでしょう。 ご回答ありがとうございました。
- tanakanono
- ベストアンサー率24% (134/553)
もう少し長い時間レンジで考えるといいかもしれません。 経済は物々交換から始まり、需要と供給の予約から貨幣が生まれました。 趣味で歌っていた歌をお金を払っても聴きたいとなったから音楽で商売ができるだけです。スポーツでいえばプロ野球はお金を払ってみるが草野球は無料ですよね。 今の状態が変わっていってしまうことを悲観しているようですが、経済活動は終わらないので、また別のものができてくるはずです。 人が人として生きていくのは変わらないので、幸せとは何かという問いの本質的な答えも変わらないと思います。 奴隷や身分制度がなくなり、平等になった分、優越感が失われていたり、大正から昭和の経済成長期の熱気がなかったり、少し前と比較すると幸福度は下がるのかもしれません。しかし、もっと前の食糧難の時代やその前から比べると幸福度は高いのかもしれません。 幸せかどうかは自己感覚なので、深く考えない人が幸せなのかもしれません。
お礼
>> 経済活動は終わらないので、また別のものができてくるはずです。 これは仰る通りですね。あと40を超えてふと思うことですが、自分は単に独り遊びに向いていなかったかもしれない、という。基本、表現って「猫」気質が強くないと向かないのですよ。最近、本格的な自転車を買ってサイクリングしたいとかふと思うのですね。体力維持にもいいですし。あと、気質の合う人(同性)と呑んでいる時間などは最高なんですね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
非常に示唆に富んだ素晴らしいご回答だと思いました。ありがとうございます。 >>人によっては「不便だからこそ楽しい」という人もいますよね。 >>物理的なものって、プラスともマイナスとも言えないものだと思います >>貧困の発展途上国であっても「家族と一緒にいられて幸せ」という人もいます 個人的な意見ですが、此処にはあまり語られない「経済的テクニック(私はこれをチートと呼んでいますが)」が必要かと思っています。例えば、貧乏人が都落ちの如く田舎でやむかたなく野良作業に従事したとします。対し、ITでセミリタイアした者が経済的不安なく同地で暮らすのとでは「幸せ」の度合いが違う気がするのですね。この間までマニラに半年ほど仕事で滞在したのですが、彼ら彼女らは親族を大切にする一方、家から一歩先に出た外界(政治社会)をほとんど信用していない気がするのですよ。僕はそこに居て楽しかったけれども、周囲の比人は比較対象を持ち得ないが故にチートを知ることもない、また彼ら彼女らの陽気な国民性も欧米植民地化が撒いた種であって、経済要因から派生するものではないのかなと思いました。 >>全ての人に共通する幸せというのは「人との繋がり」だと思えます。 >>究極「自分じゃない誰かがいるだけで幸せ」なんだと思います。 >>今のSNSも結局「人と繋がりたい」と思う人が沢山いるから発展したと言える そう正にこれです。そして究極的には一時期流行った「弱い繋がり」ではないのですよね。「強い繋がり」ですよ。でも現在もネットで流行っているのは「ほのめかし」的コミュニケーションなのですね。 >>子供が生まれる前に全く幸せでいいことが何もなかった訳ではないです。その時その時に「求めるもの」が違っていたんだと思います。きっと人ってそういうもので、環境や感覚が変われば、幸せに思えるものは変わるんじゃないでしょうか。 変に独身期間が長引き、且つ自由を手にしていると、もう此処はいいかなと思います。個人の価値観の話になってきます。 >>物理的なことに幸せを感じる人も、社会が変わっても幸せに思えることは沢山見つかるんじゃないでしょうか。それは全部「人」によって得ることができるものであって、「人」が全部のベースになっているんだと思います。 そうですね。その通りです。そして思うのですが、この先はビートルズのように人を愛すのか、ストーンズのように愛すのか、という個人的価値観の話だと思います。僕は(今にして、ずっと)ストーンズだったのですね。 *最後に「繋がり」に関して、個人の問題と絡めて書きます。とある問題に関しまして、各人による過去~現状までの詳細な説明及び各社慰謝料の支払い、とします(何のことか知らなかったらスキップしてください)。