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火葬場でのお骨撮影に対する不快感とは
- 火葬場でのお骨撮影に対する不快感とは、最近親戚の病気で亡くなった男性の嫁が、火葬場まで参列し、収骨室でのお骨の撮影を行ったことへのショックを指します。
- 撮影が禁止されている収骨室で何枚もお骨を撮影した理由や、撮影したいと思った心理について理解することは難しいですが、このような行為は他の参列者に不快感を与え、心理的な衝撃を与える可能性があります。
- 自身には直接的な被害はないにもかかわらず、撮影を見てしまったことに対して苦しんでいる気持ちも理解できません。このような場合は、専門家や心理カウンセラーの助言を受けることで、心の整理をつけることができるかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
今まで考えたこともなかったことでしたが、その撮影を実行した人は故人の死を現実のものとして理解したかったという意味で普通の人より感情が豊かな人だったのではないでしょうか。普通の人はそのような場面は悪夢のようで、現実でないものとしたい欲求があると思います。その人は一見理性的なようで、撮影でもしなければ現実を受け止められなかったのではと思います。火葬場の出来事はどんなことでも不快なものです。
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- munorabu
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》なにかこう考えたらよいとか心理が分かる方がいらっしゃいましたら教えてください。今でも、撮影を見てしまったことがなぜかとても苦しいです。 ご自分の倫理観から来る衝動でしょうね。 ただ倫理観とは人それぞれですから他人に押し付けるものでもありません。 例えば、タトゥーをファッションだと考える人と反社会的な人だと考える人がいます。 また強面の人とベッカムの様な人では印象でタトゥーの捉え方を変える人もいます。 倫理観とはそういうものです。
お礼
倫理観から来る衝動でそのような行動になったということですね。 倫理観がない方だったと受け止めれば、納得ができます。 御回答をいただきありがとうございました。
- toiawasedesuyo
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59歳 男性 突然旦那が無くなりせめて旦那のそばにいたいと言う衝撃に とらわれたのでしょう 棺桶に眠っている人の写真を撮ると、その人がお迎えに来ると言いますよね もしかしたらお迎えに来てほしいと思ったのかも知れません
お礼
縁起に関わるので、そういう言い伝えがあるのかもしれませんね。 葬儀で供えられたお花を配っていましたので、いただきましたが、1週間お花を見るたびに悲しい気持ちになりましたので、いただくのも考えたほうがいいのかなと思いました。 御回答をいただきまして、ありがとうございました。
通常はしない行動ですよね。 ですが、おそらくですが、明確な理由は、亡くなられた奥様も持っていないで、撮影していたのではないでしょうか。 突然死で気が動転してしまい、現実を受け入れられず、とっさにとった行動がそうだった。 単にそれだけだったのではないでしょうか。人間は心のバランス、正確には脳の判断力が極端に落ちるとあり得ない行動をしてしまうことがありますから。
お礼
心のバランス、正確には脳の判断力が極端に落ちるとあり得ない行動をしてしまうということですね。泣く事もなく、あまり悲しそうには感じられず、シャーシャーとしていましたので、そのようには見えませんが、心の中は分かりませんものね。 御回答をいただきまして、ありがとうございます。
- maiko04
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老衰ならともかく、30代、結婚してまもなくの死だったからこその行動かと。 何でもいいから形見として一緒にいてもらいたいという気持ちの 現われでしょう。 「撮影禁止」と掲げた施設の理由はわかりませんが、 昔は葬式に関する撮影はタブーでした。 一緒に連れて行かれるといった迷信が強かったのです。 しかし今は祭壇をバックに全員で撮影したり、葬儀の模様を写真撮影する 人(業者)も出てくるようになりました。 常識は人によって違います。感情も人によって違います。 あなたの感情もよくわかります。が、彼女の感情も理解してあげてください。 土葬が普通であった時代、そっと眠ってもらうという風習であったのでは 思います。(全員がそうではないでしょうけど) それをガンガン燃やしてしまうなんてひどすぎるといった思いもあります。 葬式が終わって火葬場で見送ったら燃やしている間にご飯を食べるのも 私としては意義があるところですけど。いかが思われます? 送り方は人それぞれあっていいのではないかと思いますね。 「撮影禁止」ルールは破ってしまったけれどね。 ルールであれば守りたいところではあります。
お礼
葬式が終わって火葬場で見送ったら燃やしている間にご飯を食べる風習は、私の住んでいる地域にはなく、初めて知りました。そういうことが、常識のように行われてきているのを昔から見てきたのでしたら、そういうものなのだと理解をすると思いますが、私は食べる気がしません。 形見としてでも、お骨の写真を残したい気持ちだったとしても、ありえないことです。 御回答をいただきまして、ありがとうございました。 見ていた周りの人達も、とても不快感でやめてほしかったそうです。
お礼
お骨の写真を何枚も撮影をすることで、現実感として実感したいということでしたら、 そのような考えはとてつもなく理解ができませんね。 御回答をいただきまして、ありがとうございました。