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芸術は社会に承認されたらよくないのでは?
芸術は社会に承認されたらよくないのでは?
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- moritaroh
- ベストアンサー率56% (658/1172)
歴史的な側面を踏まえると、もともと芸術は今日のような価値観のものではなく、生活道具の生産のための技術、すなわち職人と芸術家はほぼ同じ存在でした。 しかし、特に産業革命以後、生活に必要な多くの道具をつくることは工業分野へと移り、モノの生産や技術を最優先とすることから職人が解放されたとき、美的感覚や美意識を追求することを最優先とする芸術家が誕生したのです。 言い換え得れば、本来的に美意識は社会の変化の中で、社会の要請を受ける形で技術とともに発展してきたのですが、これまた時代の変化によって、美意識のみを追求することが社会により許容された...と言えるのではないでしょうか。 この観点からすれば、もちろん、芸術の価値(美しさや貨幣的な価値)が社会から承認されることもあると思いますが、仮にその価値を認められず芸術が「意味のないもの」であったとしても、それ自体(意味のないものであること)を社会から承認されていたと言えます。 つまり、芸術は「社会から承認されないものでよい」ということが、そもそも社会的に承認されていて、また、そのように承認されない(生活に必要な道具などをつくることとは異なっていても良い)ものであるからこそ、美意識の追求や新しい価値観の創造といった領域で発展することができたのだと言えます。 さて、そのうえで『芸術が社会から承認されてはならない』という価値観は間違いではありませんが、芸術が生み出した新しい価値観が社会に承認された場合には、本来の芸術は、その承認された価値観を超えた価値観を提示しなければならない(ゆえに新しい価値観であるから社会の承認を得にくい)、ということなのだと思います。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
芸術には装飾とか実用の部分・分野もあるというか元々はその方が大きいのですが、世間に今まで無かったあるいは欠けている価値観を提示するとか異議を申し立てる役目も重要と思います。 芸術は何か目的の為、目的に従属するのではなくて、芸術自体を目的とすべきというのは近代になって重視される考えでもありますが、初源的なものでもあるように思います。 今まで認知されなかったものの価値が認知された途端になくなるということは無いと思います。しかし認知されると権威主義(偉い人や機関から誉められてるからいいものだ)とか高いからいいものだとかいうような本末転倒なものが挟まってくるのは事実ですね。 社会に正しく承認されるならいいことだと思いますが、見当違いに、あるいは金銭面だけで祭り上げるのは良くないと考えます。 たいしたこともない作品が宣伝で広く認知されるのと、実際に発表に立ち会った人たちが口コミや役職を生かして取り上げるのでは全く違うのではないでしょうか。 つまり認知の内容や妥当性にもよると考えますがいかがでしょう。 創作して発表する人が認知されない・評価されないことを目的にしていたらそれは本末転倒で矛盾しています。大方の作家は正しく認められることを求めています。 認知されていないものを公平に観る事は観る側の求められる事だと思います。 今の世間に無い価値観を提示してそれが評価を受け認められたとしたらそれは異議が認められたわけだから成功と考えるのが正しいでしょう。
- 久保 泰臣(@omi3_)
- ベストアンサー率24% (254/1030)
芸術は、時として奇をてらう事で人気を得て、高く売りつけ その額で稀少価値を増や、バブルにします。 たとえば、国立競技場は あちこちで奇抜な建築をする安藤忠雄が、ザハ案を推薦して 建築不能なデザイン、巨額すぎる、と反対され 隈研吾案に落ち着いた経緯があります。 役人は、運営費さえも無責任主義なので 日本全国 の役所系施設は、民間建築より 奇抜な建物が多くなってしまいました。 その建築物件がある関係者も、コストパフォーマンスより 奇抜をデザインした者を評価して、価値を維持しようとします。 建築分野だけでも、このテイタラクなので 仏像、絵画、などは業界の思う壺になっています。