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社会主義と現代芸術
社会主義共産主義国家には、現代芸術ははやらないようです。 私自身の考えですが、現代芸術とは、多分に、社会批判性文明批判性というものを取り上げていると思う。それだからこそ芸術の価値もあると思うんです。これが、昔の貴族中心の芸術はそんなことはなく、ただ綺麗に作っていればよかったわけですが、時代の要請とともに芸術の質も変わってきたと。 しかし、疑問なのは、なぜ社会主義共産主義国家は、このような社会批判文明批判的なものを廃さなければならなかったのでしょうか? ソ連や東欧の芸術は、言っては悪いですが、たいへん乏しいものに思えました。
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#1llamaです。お返事拝見いたしました。 まず、質問者さんは現代芸術には批判や皮肉はつきものだという 考え方に半分は賛成で半分は反対です。 理由の一部を簡潔に言いますと、作家の意図した造形を理解できずに 作品を何かの批判としたほうが納得がいくと批評家や思想家が後付で 解釈して作家の意図したものから一人歩きし支持された作品が多分に 存在するのではないかというのが主な理由です。 ようするに、好きなように解釈された作品でありまた、それが 許される自由度があるというところでしょうか。 中には明確に批判ととした作品のものがあるでしょう、インターネット の世界ではないですが、批判や皮肉というのは人の目につきやすく 売名ではないのでしょうけど、なにかと目立つ手法の最たるものなので 現代芸術における一番手のような地位に思われているだけかも しれません。(少なくとも私はそう思っています。) 私の場合、(現代)芸術の本分は何かを感じたことを造形(表す)する こと全般だと思いますのでテーマはなんだっていいのだと思って います。テーマはなんとなくで結構だぐらいに思っている ぐらいですから。 わたしは現代芸術は作品を通して作家のプロフィールを公開している ようなものぐらいに捉えています。 たぶん、美術を楽しみとして長いあいだ身近に接してきた為だと 思いますが、作家の気持ちを考えてみる場合そんな考えが頭を もたげてくるのです。 わたしの考えを元に現代芸術を捉え直しててみた場合 では社会主義国家では勝手に自由に解釈しても良い芸術作品が 人々に(社会に)支持されるのか?また作家のごく個人的な感情や 出来事の作品を大いにに受け入れる社会であったのか? ということです。 NOじゃないかなというのが私の考えです。 マルクスの本ですらいろんな解釈を許さなかったわけでしょう? >現代芸術はあらゆることを批判していると思うんですね わたしは質問者さんが何かを批判とした芸術作品を好む、または 芸術作品を何かしらの批判と取る傾向が強い人。 というのが率直な感想です。 最後にピカソなら隠れてでも作品は創ったであろうし、人々から 相手にされなくても作品を発表したと思います。 弾圧されても、亡命して死ぬ覚悟で国外で作品を展示したでしょう。 しかしピカソの作品のテーマの大多数は造形と空間表現ですので 特には問題になるような作品ではないような気がします。
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>ソ連や東欧の芸術は、言っては悪いですが、たいへん乏しいものに思えました。 乏しくなっちゃったんでしょう、弾圧されたから。 それ以前はロシア・アヴァンギャルドとか、マレーヴィッチとか、ありましたでしょう。 だけど権力者側としては、社会批判する芸術家を野放しにしておいたら、中央集権主義では困るのではないでしょうか? そういう時代になれば、画家や作家やその他芸術家たちは、自由な作品を隠れて作ったとしても、発表すれば身の危険が出てきたでしょうし。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%89 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%89-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BA%80%E5%B1%B1-%E9%83%81%E5%A4%AB/dp/4004304504 社会主義とか共産主義は、よく知りませんけれども、本来は労働者のために・・・みたいなのが、ソ連型社会主義というのですか? あれだと全体主義的になっていったんでしょう。 そういう場合に社会批判されたら、不都合なはず。
お礼
トロツキーは、ブルジョア芸術を肯定していた(逆に言うと、ブルジョア的でなければ芸術にならない)という思想を持ってたようです。ロシア・アヴァンギャルドについては知らないのですが、ソ連のまだ強固でない時期にあった柔らかな芸術運動でしょうかね。 「現代芸術」って特に文明批評、政治批評、伝統批評など、「こんな常識でいいのか?」ということを問い続けることを養分にしているものと捉えているんですが、それが社会主義では許されていない。これでは、もしかすると政治的に理想的であったかもしれないが(それは「人間」の買いかぶりによって見事に裏切られたが)、芸術的には死しかないと言うことを予見できなかったのだろうかと。 つまり、クソみたいな矛盾だらけの世の中だから、力強い芸術が可能なんですよね。それは結局資本主義体制、弱肉強食社会、人間の過小評価社会です。でも、芸術は力強いと感じる。 社会主義って言うのは、そんなに批判されたら困るようなものだったのでしょうかね。
- harepanda
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共産主義の国には、資本主義の国とは違った芸術が発達したのですが、それが正当に評価されないまま、なし崩し的に時間ばかりが進んでいるような気がします。 たとえば、北朝鮮の得意芸であるマス・ゲームですが、あれは立派に芸術のレベルに達していると思います。ただ政治色が強く、体制維持のためのショーであるというだけで。「戦艦ポチョムキン」という有名な映画もありますが、傾向は同じだと思います。 共産主義国が社会批判的な美術を許容しなかったのは、体制維持の手段として芸術を利用していたからです。でも、これって共産主義国だけの現象ではありませんよね。ドイツではナチ政権の時代に、新興美術(とくに表現主義)を「退廃芸術」として弾圧していました。ようは、ナチと同じだと思えばいいんです。 共産主義の時代を生き延びた芸術は存在します。正教会系のイコン、イスラム系の建築、グルジアの合唱など、レベルの高い芸術はたくさんあります。とくにグルジアの合唱はUNESCOの無形文化遺産に指定されており、シュトラビンスキーをして「グルジアは音楽のレベルでは世界一だ」と言わしめたほどのものです。
お礼
現代芸術というと、やはり、諧謔、体制批判、常識の転覆というような、「社会体制からの放逸」ということをテーマにしていることが多いです。それを、社会主義の芸術は許さない、社会はすばらしいんだ、独裁者様は絶対だ、労働はすばらしいなど、なんともお題目をそのままなぞらえてしまうという、人間として全く停滞してしまうという惨状を呈すると思うんですね。それは、おっしゃるとおりナチにも通じます。 つまり、社会主義はあるいはナチズムはなぜ、社会批判というものを認めなかったのかですね。つまりは「芸術」を。 芸術といっても、反政治色の入らない純粋技術精神的なものは、当然栄えますよね。
ピカソはコミュニストなので社会主義が芸術にとって障害になる ということはないですね。 国家の偉大さのみを描かせようとした権力者に問題があるのでしょう。 純粋美術はほかの資本主義ほどの萌芽はなかったようですが、 プロパガンダとして発表されたポスターなどの作品のなかには 美術品として扱っても良いほどの作品が何点かありますね、 私個人の感想ですが。 現代美術が社会主義を扱わなかったのは単に流行と商売上の 理由からだと思います。作家は意外と時代の流行に敏感なんです。
お礼
社会主義体制の国家では、ピカソも製作に制限が加わったのではないでしょうか?社会主義権力はどうして思想の多様化を嫌うのかということです。プロパガンダポスターなどに見られる、伝統的な技法というものは健在だと思いますが、現代芸術特有の、アイロニー、諧謔、批判というものが許されていないです。現代芸術はあらゆることを批判していると思うんですね。社会主義こそ最も対象となるのではと。
お礼
実に的確なお答えだと思います。 必ずしも、「批判」が芸術の主流問うわけではなく、私のアンテナの感度がそこに向いているというだけのようです >また作家のごく個人的な感情や 出来事の作品を大いにに受け入れる社会であったのか? ということです。 NOじゃないかなというのが私の考えです。 これでほとんど疑問が解けました。 マルクスの本ですらいろんな解釈を許さなかったわけでしょう