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東下り ここ(都)に例へるならば なぜ都になるの

東下りの一文で、 「その山はここに例へるならば比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、」 という分を現代語訳にすると、 その山はここ(都)に例えるのならば、比叡山を二十ほども積み重ねたほどの高さで になると思うのですが、なぜ男たちは駿河にいるのに急に都がでてくるのですか?

みんなの回答

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

 なぜ男たちは駿河にいるのに急に都がでてくるのですか?  東下りの初めに「昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり」とあります。  自分は価値がないものだと思って、京都には居るまい、東の方に住む所を探そうと思って、行った、という意味です。  したがって、原文の「ここに例へるならば」は、これを読む京都の近くの人にもわかるような例をあげると、という意味で富士山の高さを説明しているのだと思います。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17102)
回答No.1

常に故郷を懐かしんでいるから。

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