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日露戦争の兵器費

日露戦争の戦費は、アジア歴史資料センターの『日露戦争史』によると、約20億円(今のお金で約2兆6000億円に相当)です。 戦費の大半は物件費で、主に兵器費だそうです。 兵器とは何ですか、教えてください。 おそらく弾薬と戦車・各種の砲・小銃だと思っていますが、これらは国産できたのですか。 また、戦費調達のため発行した国債は14億7329万円で、この内13億円が外債です。 兵器や燃料を輸入するには莫大な外貨が要りますから、外債を発行したのはこのためですか。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • ithi
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回答No.1

kouki-koureisyaさん、こんばんは。 当初は陸軍は国産兵器にこだわっていましたので、31年式野砲・山砲、30年式小銃を開発、実戦配備しました。だけど、弾薬の消費量が当初予定量を大いに上回り、追い付かなかったので、弾薬不足になって急いで外国で外注したという話があります。あと31年式野砲・山砲は駐退機がついてなかったので、ロシア軍のものより射程距離や発射速度が遅いという欠点がありました。そのため、外国に38年式野砲を外注しましたが、戦争には間に合いませんでした。もっとも有名なのは有名な203高地を落とした28センチ榴弾砲でしょう。要塞攻略用の日本には野戦重砲という兵器がありませんでした。そのために沿岸防御用の28センチ榴弾砲を転用するということをします。 とにかく日本の陸軍の将帥が弾薬量の消費量を気にするということもあったくらいです。自動火器としては機関銃も双方で使用していたようです。 詳細は下記のURLを参照ください。 間違いが多いと指摘されていますが、参考に司馬遼太郎の「坂の上の雲」、吉村昭の「ポーツマスの旗」をお読みになることをお勧めします。 31年式野砲 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%B9%B4%E5%BC%8F%E9%80%9F%E5%B0%84%E7%A0%B2 30年式小銃 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%B9%B4%E5%BC%8F%E6%AD%A9%E5%85%B5%E9%8A%83 38年式野砲 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%AB%E5%BC%8F%E9%87%8E%E7%A0%B2 28センチ榴弾砲 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%B3%8E%E7%A0%B2 日露戦争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 陸戦の勝利には、31年式野砲・山砲と28センチ榴弾砲、30年式小銃の貢献が大きかったのですね。 しかし、これらの兵器は、当然のことですが開戦時に用意できていたので、戦時中は補充分だけ生産すればよいことになります。 連合艦隊も開戦時、編成されていました。 日露戦争の臨時軍事費(決算額)の内、物件費は11億7000万円(今のお金で1兆5210億円)です。 私の疑問は、この莫大なお金でいったい何を買ったのか、作ったのか、でした。 >弾薬の消費量が当初予定量を大いに上回り、追い付かなかったので、弾薬不足になって急いで外国で外注したという話があります。 そういうことですか! 調べてみますと、なんと言っても弾薬費が凄いようです。 28センチ榴弾砲は、延べ16,940発を発射したとwikiにあります。 砲弾は鋳鉄製で弾頭部を焼き入れされていたそうです。 連合艦隊の弾薬使用量も物凄いものだったでしょう。 輸入した兵器は、戦争には間に合わなかったが、ドイツ製「38年式野砲」800門だそうです。 また、戦死者・戦傷者合わせて約22万7000人も出たのですから、この数の何割かの小銃を補充生産したのでしょう。 おおよその見当はつきました。

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  • ithi
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回答No.3

kouki-koureisyaさん、こんばんは。 余談ですが、実は陸軍は奉天会戦時にほとんど現役部隊の全部と予備役部隊のほとんどを満州や朝鮮に展開してしまいました。そのために新たに増師という政策をとり、新たに4個師団を作り、このうち第13師団は樺太占領を行いました。 陸軍にとっては一生懸命準備は重ねたけど、経済的にも物量的にも穴が目立つことになってしまいました。 詳細は下記のURLを参照ください。 第13師団 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC13%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D) 第14師団 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC14%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D) 第15師団 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC15%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D) 第16師団 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC16%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 つくづく戦争は高くつくものだと思いました。 日露戦争の勝利を「惨勝」と呼ぶ研究者がいますが、うまい表現を思い付いたものです。 第13師団の樺太占領については、しっかり調べてみます。 何か、火事場泥棒みたいです。

noname#239327
noname#239327
回答No.2

戦車が登場したのは1914年あたりなので、戦車自体がなかったですね。日露戦争の外債を返却し終えたのが1986年というのを最近知って驚きました。

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