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江戸時代の戸籍管理

ichikawa2017の回答

回答No.1

>戸籍管理がお寺から藩庁に移ってますが、元々いたお寺にお墓を建てても、よかったんですか? 戸籍に相当する人別帳はお寺が管理していましたが菩提寺と檀家の関係は寺檀制度と呼ばれる人別帳とは別の制度に基づいていましたので元々のお寺に葬られても一向に差支えはありませんでした。 >遺体を10数キロも離れた農村まで運んだのも不思議ですが 現在の感覚では徒歩で10kmは遠く感じられますが、移動手段が徒歩に限られていた江戸時代には左程の距離ではありませんでした。 三里程度であれば野辺送りの葬列は組まれていたでしょう。 蛇足 ご先祖様が居られた城下や村落の周辺に火葬場の跡が残っていませんでしょうか。 江戸時代でも火葬という習慣はありました。 村落には共同で管理していた火葬場がありました。 江戸の街にも五三昧と呼ばれる火葬場がありました。 又火葬を行う火葬寺というのもありました。 ただし、火葬するには大量の薪が必要でしたので江戸では裕福な商家に限られていました。

sokoo0823
質問者

補足

城下には火葬場が、あったかどうか分かりませんが農村には火葬場は、なかったですね 檀家制度の人別帳とは別の制度に基づいてたとはどんな制度でしょうか? 余談ですが、農村にあった屋敷は所有主は城勤でいないので管理するために代々、親せきの者が住んでたみたいですから、人別帳にはその親せきの家族のことが書かれたんですかね

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