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歌川広重の播磨、舞子の浜
江戸時代の浮世絵師、歌川広重の作品に播磨、舞子の浜がありますが、江戸生まれの広重が、はるばる神戸あたりまでやってきて書いたとは考えにくいのですが、やはり、想像で書いたのでしょうか?
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#1です。補足です。 >>なるほど。ほぼ、想像で書いたであろうが、本人が(若い頃)訪れた可能性もある、ということですか。もし、想像で書いたなら、それはそれですごい才能だとは思いますね。 富士山の絵などは実際に甲府へ旅行していますし、東海道のものには広重が生まれる前に架け替えられた木橋の絵があるなど、よく調べてあるそうです。 想像と、実際に見たもののデフォルメと、非常な文献漁りと、西欧から輸入した遠近法の取り込みなど、類まれな勉強家であったと思われます。
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- SPS700
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回答No.1
やはり、想像で書いたのでしょうか? はい、下記だと広重が描いた東海道五十三次だけでも三十種類以上あるそうですから、東京京都間を30往復はしていないでしょう。京都から播磨はすぐです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1_(%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5) 播州赤穂へは赤穂事件の1701年に四日半で行けたわけで、道路は整備され宿場も53箇所あり、時間さえかければそう難しくはなかったと思います。
質問者
お礼
なるほど。ほぼ、想像で書いたであろうが、本人が(若い頃)訪れた可能性もある、ということですか。もし、想像で書いたなら、それはそれですごい才能だとは思いますね。ありがとうございました。
お礼
なるほど。単なる浮世絵職人ではなく、芸術家と言えるかもしれませんね。ありがとうございました。