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父親の良いところを思い出してみませんか?
- 最近は父親が家庭の中で肩身の狭い思いをする世の中になったような気がします。
- 父の日にちなんで、父親の良いところを思い出しましょう。
- 子供の頃、父親に助けられた経験はありますか?
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なんだか、子育てに懸命だけど、それを上手く表現出来ない『父親の性格と深い愛情』を知れる良いエピソードですね。昭和の父親は、寡黙で無愛想で「背中で教える」ってな感じ。うちの父もそうでした。 単身赴任で、物心が付いた頃には家に居なくて。帰ってきても、年に1~2週間。お客さんみたいな感じでしたね。お互いに、何を言ったらいいのか分からない感じで。 男ってのは本質的に、(時代が変わっても)そんなもんかもしれません。ある時、左官業の父が「手伝ってくれるか?」と、仕事場に誘ってくれて。仕事は、屋根の瓦替え。子どもが歩くと、瓦が割れるのです。ソレを叱りもせず、終わった後に(私が歩いて割ったところを)再度瓦替え。 その事に気付きながらも、(詫びる事も無く)何も言えなかった自分に対して、仕事終わりに「よー頑張ったなー。あんがとさん」って、笑ってくれて・・・。本当に、良い父親でした。
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- kamejrou
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こんにちは5mm2さん さてお邪魔するのですが父親の思い出? 私の父親は漁師の家の次男坊に生まれましてね 随分、賢かったようです 今はもう死語でしょうが部屋住みと言うのでしょうね 養子に出されました 明治45年の生まれで私は遅い子なのです 大学へ行かせてもらってる 出征兵士のように歓呼の声に送られて東京へ出たらしいアハハハ 母がお父さんは凄かったと言ってましたから 田舎では秀才であったのでしょう 我が父親ながら先見の明があったのでしょうねえ 時代の風に上手に乗って当時北海道は公共事業に予算は潤沢でしたから 会社を起こしまして 十三人兄弟ですから叔父たちの面倒も見ていましたね 男気のある親父でしたかね? 私が東京の大学に行きたい 好きにしろ 私は一年浪人しているのですが予備校はここでなければと東京に居続けた 何も言いませんでしたねえ 大学にも入れて帰省した折、親父と風呂行こうか? 親父痩せたなあ? そうか? 帰りに馴染みの居酒屋であったのでしょう? 亭主、俺はこいつと酒を酌み交わすのが夢だったんだよ これを書いていても私は涙が出ます 私は昨今の児童虐待を眺めれば情けない まあここいらで
お礼
kamejrouさん、こんにちは。 目の方は少しずつ良くなってますか、moyomoyoさんも気にしてましたね。 kamejrouさんのお父さんは、僕の祖父に似てますね。 実家は百姓でしたが、やはり次男で若い時に田舎から別府に出てきて、苦労してそれなりの職と地位を得たようです。 祖母は漁師の次女で、同じように田舎から出てきて、職場で祖父と知り合っています。 お父さんが賢いのは、kameさんから容易に想像できます。 そのころの次男次女は、みな苦労してますね。 実家を出されて、その中で事業を起こすのも、さぞかし大変だったのでしょうね。 兄弟が13人いたのもビックリで、今まで聴いた中で最高の数です(笑)。 北海道、公共事業、兄弟分と言えば、もう義理人情の世界のようですね。 そして面倒見の良い遺伝子も、kameさんに受け継がれてるのでしょう。 東京の予備校に置いてくれたのは、kameさんに期待してたからでしょうが、経済力もあったという事でしょう。 その点は羨ましいですね。 僕の親父は大正13年生まれで、一応大学に入りはしたものの戦争に行き、卒業できたかどうかは分かりません。 戦場から戻っても、直ぐにはまともな就職口は無かったようで、親を困らせる放蕩息子だったようです。 そんな中でも女性には苦労しなかったようで、結婚し僕が生まれたのですが、親父と一緒に風呂に入った記憶はないですね。 別府では、殆んどの家庭は、市営の銭湯や町内の共同風呂に行きます。 勿論すべて天然の温泉です。良いでしょう。 そんなことで、一緒に酒を飲む事も、ふろに入ることもなかったので、それができたなかったkameさんが羨ましいです。 代わりに、可愛い双子の娘を両腕に抱いて、マンションの狭い風呂に毎日入っていました。 残念ながら、今はアラサーなのでそれも叶いません(笑)。 逆に、将来二人に抱えられて風呂に入れて貰うかもしれません。 児童虐待は本当に許されませんが、そんな子に育てた親にも責任が有ると思います。 賢い親から生まれ、良い環境で育った子は、当然良い子に育つでしょうが、逆の環境と、親の無責任な子育てのせいで、犯罪を犯すようになった子を見ると、可哀想になることが有ります。 「育てるように子は育つ」と言いますから、親の責任は大きいです。 ではまた。
- 31192525
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5mm2さん、こんにちは。 心臓をやるまでは山に登ってまして、それは子供のころ父に無理やり連れていかれた山登りの影響です。子供だからって、ゆっくり歩いてくれませんでしたので、とっても大変でしたけど、それが登山の体力をつけてくれたようなものです。父と一緒に近くの山は全部登っています。 なにはともあれ、その後いろんな山に登るきっかけになりました。
お礼
魔王さん、こんにちは。 魔王さんも心臓病持ちでしたか、一緒ですね。 僕はステン3本入ってます。 写真を見ると、三叉路 になった所がまだ少し狭くなっていて、これは多分生まれながらで、足は速いが持久力がない原因ではないかと勝手に思っています。 それで、マラソンや登山は苦手で敬遠してましたが、山頂に登った爽快感はよくわかります。ロープウエーで登ったのですが(笑)。 親子で幾つもの山に登頂したというのは、実に羨ましいです。 凄く健康的で、男らしくて、自然の中で生きるという感じがしますね。 息子を鍛えながら、登山の楽しさと怖さを教えてくれたのでしょうね。 今はもう登ってないのですか。 丘くらいのハイキングなら良いかもしれませんね。 先週ドイツにツアー行って、ライン川クルーズをしました。 約一時間ですが、川の両サイドに魔王さんのIDのような古い城が幾つも有りました。 途中にローレライの崖もありましたが、予想通り大したこと無かったです。 ありがとうございました。
- longrailjpn2018
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嫌な思い出が少ない。 母親も含めて、自分は幸せだったのかなぁー。
お礼
こんにちは。 嫌な思い出がないのは、健康体と一緒で、幸せなことだと思います。 きっと自分が親になってから、あれやこれやと、同じような事があったと有り難く思い出すのではないかと思います。 いまからでも少しずつ、感謝の気持ちを表したほうが良いと思います。 「親孝行 したいときには 親はなし」ですからね。 ありがとうございました。
- citytombi
- ベストアンサー率19% (1721/8628)
父の日ということで先日墓参に行ってきましたが、もう亡くなって15年以上経ちます。 亡くなる前の3か月ほど、ほぼ毎日病院に通い詰めて泊まり込んだ日々は、実に濃いものでした。 最後の頃は用を足すにもベッド脇の簡易トイレですることになりましたが、その始末をしている時に、父親が「臭くないのか?」と聞いてきたので、私が「家族だもん、臭くないよ」と言ったら、父親の目から涙が出てきて頬を伝っていきました。 これといって親孝行出来なかった自分ですから、この時は「ちょっと親孝行できたかな」と思った瞬間でした。
お礼
citytombiさん、こんにちは。 「父の日」に、お墓参りとは思いも寄りませんでした。 きっと「母の日」や、このような記念の日には、お墓参りされてるのでしょうね。 故郷を遠く離れて暮らしてるということも有ると思いますが、僕は両親への感謝の気持ちが足りないですね。 息子さんが、両親の下の世話までするというのはあまり聞きませんが、何か事情がおありなんでしょうね。 それにしても、3か月間毎日の病院通いは大変だったでしょう。 お父さんもさぞ嬉しかったことと思います。 僕の父親は84歳で亡くなったのですが、それまで非常に元気で、自分で食事をするくらいだったのですが、ある日喉に何かを詰まらせて亡くなったそうです。 それで介護の必要も無かったのですが、トンビさんのように深く記憶に残る会話もお別れも有りません。 その点、トンビさんの方が良かったかなとも思いますが、同じような介護ができたかどうか分かりません。 親孝行としては、本当に良い行いだったと思います。 僕もこれからは毎年、墓参りにはいけませんが李白の漢詩のように、故郷に向かって頭を下げ、父親や親族もことを思い出したいと思います。 ありがとうございました。
5mm2さん、こんばんわ。 父は金融機関のサラリーマンで、私が小さい時から朝早く出掛けて、帰宅は毎日遅くて、休みも中々取れない人でしたから、平日の学校行事に来てくれた事は一度も無くて私は、何時も寂しい思いをしてました。小学校最後の授業参観は、私が研究課題の発表をする事になってたので 、父には「絶対見に来てね」 と言ったけど、どうせまた来ないだろうなと思ってました。 そんな心境だったので教室の一番後ろに父の姿を見つけた時は嬉しくて泣きそうになりました。家に帰って父に声が大きくて良かったと誉められた事も嬉しかったけど、長身で韓流スターのイ・ソジンさん似の自慢の父を皆に見て貰えたのが一番嬉しかったです(笑)。
お礼
loinさん、こんにちは。 昨日の「父の日」は、何かプレゼントしましたか。 僕は小さいクッキーをもらいました(笑)。 お父さんも毎日激務だったんですね。 昔は、お父さんはみんな忙しかったので、参観日にはお母さんが行ってましたね。 父兄参観日と言うより、母親参観日と言う感じでした。 うちは双子なので、一度だけ夫婦で行って、二人で別々の部屋に顔を出していました。 双子は同じクラスにしないんですね。 お父さんは頑張って最後の参観日だからと、娘の為に有休を取ったんですね。 うちの娘がそんなに喜んでくれるのだったら、僕は毎回でも有休を取りますが、「来てね」なんて言われたことが有りません(笑)。 声が大きいと褒めてくれたのは、何か答えでもしたのでしょうか。 答えて間違うと恥ずかしいので、なかなか手も上げられないというのもあるでしょうが。 僕の参観日は、いつも祖母が来ていました。 昔でしたから、暇なはずの親父も来たことは有りません。 懐かしいですね、もう何年なるでしょうか。 ありがとうございました。
こんばんは。 父が幼かった頃、学歴が無かった事もあり苦労したと言っていました。 祖父が自営で失敗したという事もあり、父は長男であった事で 兄弟を養うために働く事で生きていくのが精一杯だったと知りました。 そしてそんな父は履歴書を書く事が嫌だったという事も。 父は穏やかな人でした、苦労して育っていることで 人の気持ちが分る大人になれと言われました。 私が27歳の時に力尽きて亡くなりました。 いつも思っているのは、何かしてあげれば良かったと。
お礼
Live-monsterさん、こんにちは。 お父さんは、苦労されたんですね。 普通は自分の事で精一杯ですが、兄弟の面倒まで見るのはとても大変だったでしょうね。 そんな苦労の中で、穏やかだったのは良かったですね。 よくやけっぱちになったり、その環境から逃げ出したりする話はよく聞きますが、子供のLive-monsterさんのことも考えてのことかも知れませんね。 昔は「若い時の苦労は、買ってでもしろ」とよく言われたものですが、最近はあまり聞かれませんね。 僕は大した苦労もしてないので、娘たちにも言ったことがなく、甘やかして育てて失敗したなと、少し反省しています。 やはり親の苦労を見せて、人の優しさを教えるのが一番ですね。 ありがとうございました。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1225/8755)
お父さんの想い出は 木の匂いと、おがくず 木工家具職人だった父は 家でも家具は全部手作りでした。 部屋の中は常に木の香りと、 そしておがくず 懐かしい香りですね。 仏壇まで手作りでしたよ。
お礼
purimuro-zuさん、こんにちは。 お父さんは、木工家具職人さんでしたか、珍しいですね。 若しかしたら、職人気質で仕事一筋の気難しいお父さんだったりして。 でも、木の香りは良いですね。 畳の香りと違った、安らぎの中に何か凛としたものを感じます。 それは、建物や家具や指物など芸術作品など優れたものと結びついた記憶があるからではないかと思います。 今でもお父さんの作品に囲まれて生活してるのでしょうか。 中には、お母さんやpurimuro-zuさんのリクエストに応えたものも有るのでしょうね。 お客さんが来ても、話の種になって良いですね。 仏壇には、何かお父さんの願いが込められて作られたのでしょうか。 「俺も、妻も一緒に入れてくれ」とか、凄いの一言です。 実家には、僕の作った木製のウチワ立てや、ハガキ入れが有りましたが、代が変わった今はどうなったか分かりません。 ありがとうございました。
- sakuranbojam
- ベストアンサー率10% (160/1505)
夏休みの自由課題で 空き箱の車を作ってもらいました。 ゴムで走るようになっていて 素晴らしい出来栄えでしたね 笑。
お礼
sakuranbojamさん、こんにちは。 というか、お久しぶりと言うべきでしょうか。 また宜しくお願いします。 子供の夏休みの自由課題は、半分はお父さんが作ってるのではないでしょうか(笑)。 僕はすべて自分で作りましたが、小学生の時、1mくらいの木製の立派な戦艦大和を持ってきたやつがいました。 あんなもの大人の男でもなかなか作れません。 「これ持っていけ」とお父さん自慢の作品を、子供に持って行かせたのは見え見えで、先生もよく分かってると思います。 その点、sakuranbojamさんの「空き箱の車」は、丁度良い力の入れ具合ですね。(笑)。 ゴムも輪ゴムをつないだりしてませんか、僕もそれで糸車の戦車などよく作りましました。 もう残ってないのでしょうが、かわいい娘のために一所懸命、自分も楽しみながら作ってる姿が想像できます。 ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
うちのおとんと言えば、お好み焼きと焼き飯が思い出の味です 専用の鉄板でよく焼いてくれました 焼き飯も中華鍋が重いので、おかんに代わって豪快にスナップを利かせて鍋を振る姿をよく覚えています あとはなぁーんもしないおとんなんですけどね(笑)
お礼
michiyoさん、こんばんは。 「おとんと言えば、お好み焼きと焼き飯」ですか、流石、ナニワのおとんですね。 専用の鉄板は、厚くて大きいんでしょうね。 それに向かい合って、焼けるのを待ってたのでしょうか。 我が家も、お好み焼きとたこ焼きは、僕の役目です。 焼けても家族が先に食べるので、自分はなかなか落ち着いて食べられません。 ビール片手に、コテや千枚通しを動かします。 michiyoさんは一緒に作ったりしなかったんでしょうか、うちの女たちも座ってできたのを食べるだけですね。 michiyoさんは、お父さんと向かい合って、ビールを飲んだり、ついで上げたりすることは有ったのでしょうか。 父親はそれを夢見るものです。まだご健在でしたら是非一度。 焼きめしも、大きめの中華鍋で作るのが美味しいですが、女性の細腕では重いでしょうね。 男がフライパンを使って、上手に具材を空中でひっくり返すのは、見ていて格好いいでしょう。 僕は残念ながらそこまでいかないので、チャーハンだけは妻が適当に、ビチャビチャのを作ります(笑)。 「あとはなぁーんもしないおとん」ですか。 でも、子供の知らないところで頑張ってたのかもしれませんよ。 一度お母さんに聞いてみたら(笑)。 ありがとうございました。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
5mm2さん、こんにちは (^ ^) 父親との良い思い出と言えば、なんといっても、子供の頃、毎年キャンプに連れて行ってくれたことです。 今と違い、薪や米、食材を背負ってのことですから、海軍上がりの頑健な父ならではだったと思います。 たまたま、仕事の都合で行けなくなった時、私が、「お父ちゃんのうそつき!」と激しくなじったのを覚えてますから、余程楽しみにしてたんでしょうね。 後、経営していた小さな鉄工所に弁当をふたつ持って行って夜11時まで働き、帰ってから、寒い部屋で毛布をかぶり深夜2時まで油絵を描き、いっぱしの画家になったのも、「人間、やれば出来る」ことを身を以て示してくれたと思います。 それと、私が小学校5年の時、汽車賃だけくれて、自分で切符を買い大阪から鹿児島に帰らせてくれたのも自信になりました。
お礼
alterdさん、こんばんは。 海軍上がりのお父さんですか、頼もしいですね。 キャンプは男の腕の見せ所ですから、さぞ格好良く見えたことでしょう。 昔は薪や米、食材を背負って行ってましたか、大変でしたね。 僕は残念ながら、家族でキャンプに行ったことがないんです。 僕の子供も娘ばかりで、そのチャンスが無かったです。 そう言えば、会社主催の家族キャンプに、一度行ったのを思い出しました。 魚釣りをしたりカレーライスを作ったりして、結構娘たちも喜んでいましたが、覚えてるでしょうかね。 子供が言ったこととはいえ、「お父ちゃんのうそつき!」は、お父さんも少しきつかったでしょうね。 それが分かるのも、自分が父親になってからですね。 働き者のお父さんは、弁当を二つも持って出かけるのですか、流石海軍て感じですね。 ぼくは一度も無いですが、お母さんも大変ですね、毎日毎日。 そんな両親の姿を見て育ったので、alterdさんも頑張り屋さんなんですね。 お父さんは、知る人ぞ知る画家さんなんですか、僕も少し油絵を描きましたが、すぐ見切りをつけて水彩をたまに描く程度の根性なしです(笑)。 「人間、やれば出来る」を教えてくれたのは、ありがたいですね。 僕が教えて貰ったのは「人生は楽しい」くらいですが、それも良いです。 小学校5年で、汽車による一人旅ですか、それも大阪から鹿児島まではビックリです。 まさに、子を谷底に落とす百獣の王ライオンですね。 我が家は娘ということも有りますが、とても真似できませんね。 それだけ、信用してたのでしょうね。 ではまた。
お礼
こんばんは。 sp550uzさんは、男性ですね。 我が家は娘二人で、彼女らが中学生になる前まで、家族揃って何回か転勤しました。 やはり単身赴任は、家族の絆が弱くなるのではと考えたからです。 男の子の場合は、大きくなると父親と面と向かうと、どこかバツが悪いことがりますね。 黙ってても分かるところもありますが、何か言い出し難い所が有りますね。 父親の仕事をしてる時の姿が見られたというのは、良い経験ですね。 普通はなかなか子供に親の仕事を見せられませんが、「手伝ってくれるか?」と言うのは、それを息子に見せたかったのではないでしょうか。 若しかしたら、瓦を割るのも計算済みで、それでも一緒に同じことをして、自分も昔した失敗を経験させたかったのかもしれませんね。 僕も釣り好きの親父に、一度連れて行って貰ったことが有りますが、餌をつけてもらって海に投げても、竿を上げるタイミングが分からず、直ぐ餌を取られてしまい、またつけてもらっては、また取られるという繰り返しでした。 怒られはしませんでしたが、残念ながら「よー頑張ったなー。」はありませんでした(笑)。 ただ親父の邪魔しただけの釣りでしたが、これも貴重な思い出です。 ありがとうございました。