イスラム圏がテロの温床になることの考察
イスラム圏がテロの温床になることの考察
ここは哲学カテゴリーで、哲学の学問の様式で投稿しています。
政治関係カテゴリーなどの常連さんには勝手が違うと思いますが、哲学は狂人が喚き散らす場でして、好き勝手に喚き散らしてくれて結構です。
一見礼節を逸脱したり、まともな結論を要求していないかのようでしょうが、哲学はそういう場所です。
さて、イランに安倍総理があいさつに行ったら、返事がタンカー攻撃でした。
そもそもイランイラク戦争の時日本はイランとイラク双方と外交関係を結んだ数少ない国でしたが、その当時から中立的立場なのでイランにとっては日本とは敵でも味方でもないというところでしょう。
そして今回は明白な敵対国アメリカの御用聞きだった。
戦前の日本の軍部の独走があったように、臨戦状態のイラクで政府のどの階層が攻撃に関与したのかは定かではありませんが、お上品国家群と違って臨戦態勢の国にはタンカー攻撃くらいは「軽い挨拶」ではないだろうか。
礼節をもって、話は一応聞いたが、本来歓迎する話ではないし、敵対国の御用聞きだったということでしょう。
さて、イスラム圏には気になることがありまして、植民地支配による世界の征服と世界大戦という厄災を招くことで、ヨーロッパルールが、外交と紛争解決の国際ルールとなりました。
キリスト教圏主導の世界の常識とでもいえましょうが、イスラム圏にはイスラムの常識がある。
そのイスラムルールの外交と紛争ルールがあまりにも無視されるとヨーロッパルールではテロと規定される暴走が起きてしまうのではないかという、まあ仮説というか考察です。
例えば何年か前に、トランプが自分の娘におねだりされたからと、シリアの軍事施設に気まぐれでトマホーク50発をぶちかましたことがあります。
戦争といっても、「武士道」「騎士道」というのが昔ありましたが、自らが血を流すことのない「戦い」の古風なしきたりを損なった卑怯で一方的な攻撃を娘のおねだりで仕掛けて、だれもそれに何も言わない国際ルールというのは、イスラムにとって真珠湾攻撃以上ではないでしょうか。
人類史上各地の歴史に語られる、生き死にをめぐる争いの最低限のルールと戦士の尊厳を踏みにじる行為です。
ヨーロッパルールでそれが適法で、イスラムルールで違法なら、むしろイスラムの誇り高さの方を、あらゆる文明国が理解すべきだとも言えます。
政治的には当然そうはいかないでしょうから、ここは哲学で研究課題募集です。